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遠くの娘よりご近所さん

最近、実家の母のまわりが騒がしい

最近、というのは少々語弊があるかもしれない。わたしの母はもともと友人が多く、父が亡くなる以前から「ご機嫌伺い」よろしく代わりばんこにお友だちがやってくる賑やかな家だった。まぁそれもここ10年程度の話ではあるが・・・・

話せば長くなるのでざっくり要点だけ…
わたしの母は長い間、もう40年近く姑勤めをしていた。これがまたわがままでびっくりするくらいブラックな姑で、実家に母の友人が遊びに来れる状態ではなかったのだが、まぁその姑(つまりはわたしの祖母)が亡くなってからは堰を切ったように、いろんな人がやってくる家になった
面白いことに姑(祖母)の身内もそこに含まれる。彼女は相当な根性の持ち主で、自分の姉妹に葬儀のその日まで「大嫌いだった」といわれるような人物だったのだ

父亡きあと、それまでも付き合いのあった近所の方々が更にこまめに母を気にかけてくれている。本当に恵まれているなって思います
隣の家にはわたしの同級生の元カレがいて、わたしより10も大きいその彼は隣人以上に母を気遣ってくれる。真向いの奥様は昔から母を姉のように慕っていて、今はひとり暮らしの母の担当民生員だ。何年か前に通りの向こうに新居を構えたわたしの同級生の両親は、母の実の妹とも仲がよく、今ではお互い行き来するいい茶飲み友だちになっているし、そのほか、地震があれば夜中にも関わらず、母より歳の大きい友人が「なにもなかったか」とパジャマ姿で駆けつけてくれたり、運転のできない母を買い物や気晴らしに連れて行ってくれる同級生、ごみ捨ての曜日に顔を出して庭の草むしりをしてくれるランチ友だち・・・・本当に本当にありがたい。本当に本当にやさしいひとたち、ここ数年の母はとても温かい空気に包まれている

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近年のなんちゃらにより高齢であるわたしの母は、優先順位が高く、春先に決定していたお注射チックンのその日を、待つばかりの身の上だった
しかしなにを思い悩んだのか、普段はあっけらか~んとすべてを笑い飛ばして生きているような母が、あろうことか「帯状疱疹」になった
(本当はここに至るまでにも色々問題はあったのだが、とにかく最終地点は「帯状疱疹」だったのだ)

帯状疱疹とは、疲労、ストレスなどによって免疫力が低下した時などに出るぶつぶつ・・・・わたしも経験があるがこれはチクチクとして痛痒い程度の可愛いものではなく、心音のどっくんどっくんにならってじんじんじくじくと痛みが響くやっかいなものなのだ
とにかくそれは、年齢が行って免疫力が低下すると出易いこともあり、インフルエンザにも罹ったことのない健康体の母が、ここにきて(今さら?)、なんの悪あがきなのか⇐ こんな時、いちいち「もうだめなのか」と考えてしまう自分が憎いのだけれど、離れているから余計に不安になる

わたしは母に「そんなに悩む必要がどこにあった!?」と聞いた。まぁ確かに、父がいなくなってからはそれなりに不便・・・・は。いや、不便は父の存在がないというだけで(それも大きな痛手ではあるが)、今の母は上記に記した通りまったく不自由している様子はない。だって毎日のように代わる代わる母の友人たちがやってくるわけで、わたしの電話がつながらないくらいに忙しく出掛けているわけで、それは母の年齢ではありえないほどにアクティブなのだ。しかもただやってくるわけではない。買い物に始まり、ごみ捨てや、庭の草むしり、通院に到るまで至れり尽くせりで、だれかがやってきては殿様扱いして世話を焼いていく。実にありがたいことである

なのになぜ!?

だいたい「帯状疱疹」や「10円はげ」とか、その他もろもろストレス要因で体に出る症状というのは、遡って3~4ヶ月前のことが原因であることが多いらしい。それを踏まえて考えるに、彼岸の前ぐらいのことだろうかと推察する。聞けば、お注射チックンに伴う後遺症やら直後の症状に対し、いらぬ心配をして不安になった…のではないかという

え? 友だち毎日来てるんだよね? 楽しくわいわいしてるんじゃないの?
いったいどんな話をしたら不安になるの? てか、その不安を話せよ!?

言いたいことは山ほどあった。でも、それと同時にわたしの母は滅多に他人に弱音を吐かないひとだったと思い出したのだ

ばかじゃんっ!

もういい歳して、なにを気遣って、みんな心配してきてくれてるのに、ただお茶を出して、他人の話を聞くだけなんて、友だちなのに!!

そう思ったらなんだか腹立たしくなったというか、その気遣いがくっだらね~なって思ってしまって、つい・・・・

もうばばぁなんだから、もっとまわりに迷惑かければいいじゃん。病気になるほどひとりで悩んでないで、年寄りらしく「不安だ~」「大変だ~」「心配だ~」って言ってりゃいいべな! 他人の愚痴ばっか聞いてないで、自分のこともっとしゃべりゃいいじゃん。もっとわたしたち(娘)や友だちに泣きつけばいいじゃん

・・・・って、言った
ちょっと言葉悪いけど、自分の母親相手だったし興奮してたから・・・・

なんというか、今までと同じようにできないのは当たり前だし、だからこそ手助けしてくれる手がある。そして手を差し伸べてくれる人たちは、いやいやしているわけでも仕方なくでもなく、心から母を心配しているし、自分の妹であり友人なのだ

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ひとは悩みがあったら、だれかに相談するものだ

少なくともわたしはそうする。友だちどころか、最近では子どもたちにまで愚痴ってる。まぁそれがいいことだとは言わないし、母的にはそうすることは大人のすることじゃないとでも思っていたのかもしれないし、余計なことを言って煩わせてはいけないなんて、昭和のもんぺ世代の考えそうなことだけれど、みんなそんな母親を心配してきてくれているのに、頼らないのはなんだか失礼というか、とにかく! わたしが母の友だちだったなら、やっぱり「ばかじゃないの」「みずくさいじゃない」って言うと思うし

まぁ、確かにね。お嫁に来てからの母は我慢強く、性格のキツイ姑のもとずっと「余計なことを言わない」を貫いてきた。だからきっと甘えることも、ひとに寄り掛かることも忘れてしまっていたのだろう。いや、長女である彼女には、思えば昔からそういう我慢カテゴリーから移動することができなかったのかもしれない。だからわたしはそんな母に、声を大にして「弱音を吐いていいんだよ」といいたかった ⇐ちょっとやさしくなった

わたしも長女だが、そう我慢強くもなければむちゃくちゃ甘えるし、重いくらいに寄り掛かれるよう育った。それは多分父がわたしをホイホイしてくれたからというのもあるけれど、時代かなぁ・・・・いや、性格かな

でもね、わたしは長女だから、結構その発言には効力がある(らしい)
どうやら母は、わたしの言うとおりに「甘え」て「寄りかかる」ことを解放したようなのだ。するとどうだろう・・・・

ご近所さまの訪問頻度が増えた。増えるどころか母の仕事がなくなるくらいに世話を焼いてくれる
帯状疱疹の経験者だという近所の先輩嫁様は「お前は米さえ炊いていればいい」と、毎晩のようにおかずを運んでくるようになった。一緒に買い物に出かけていた友人は、買い物をしてきてくれるようになった。近所に住んでる妹は毎日薬を塗りに来てくれる(ちょっと厄介なところでね(;^_^A
極めつけが、もう何年も連絡を取っていなかった友人が久しぶりに電話をかけて来て「元気なのか」と聞かれた母は「(帯状疱疹になって)痛くて泣いている」と答えたらしい。普段ならこんな言い方はしないのだが、わたしの発言が効力を発揮したらしい。そしたらその友人は懐かしむ間もなくやってきて、母の通院の送り迎えをするという。しかも彼女は、朝5時に出掛けて行って病院の番を取り、開始時刻と同時に診察できるよう母を病院に連れて行ってくれた。久しぶりの友人がすることか!?

最近、母の周りでそんなことが次々と起きている
そして、母は別に重病患者でもなんでもなく、ただよそ様より友だちが遊びに来る確率が多いだけのひとだ

最近、というかもうずっとなのかもしれないが、それにしたってわたしの暴言のあとは、これまで以上に目に見えてホイホイされている。わたしたち娘が戸惑うくらいに・・・・

これは・・・・

なんとなく、父の仕業じゃないかと思った
父が母を守っているのだ…と

いやいやいやいや、ンなわけ…と言いたい気持ちは充分わかる。だがしかし、なのだ

これまでも母は多大な恩恵を受けて過ごしてきた。まったくかわいがられる要素を感じないが、どうも大事にされている。母が元気なうちは、母の作ったたくあんが食べたくてやってくる友人も多かったのだが、それだけではなかったらしい。特に付き合いを変えたわけでもない。ただ「甘え」や「寄りかかり」を解放しただけのこと。途端に、母親の周りには天使がいるのではないかと思うくらいの親切ラッシュが起こっている!

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戸惑ったのは妹だ。妹はスープの冷めない距離にいる。そんなに近くに娘がいるのに「なにをやっているのだ!?」と、批難されているのではないかと懸念している。わたしから言わせれば、単に友だちが世話を焼いているだけなのだから「いらぬ心配」だと思うのだが、気にしいの彼女はいつもハラハラしている

別に妹が母を放置しているわけではない。毎朝会社に行く前に実家に顔を出し、ふたことみこと会話をしている。だが、その都度そんな酒の湧く徳利のような話を聞かされては、さすがに「あんた何様よ!?」となるのも無理はない。どこに足を向けて寝たらいいのか解らないと言って電話をかけて来たくらいだ
わたしと違って働き者の妹は、みんなにいつも「忙しい」と思われている。確かにいつも忙しそうだけどね、性格的なものもあるんだろうな。その逆にわたしは本当に「なにもしないひと」と思われているから、余計に腰の軽い妹は忙しそうに見えるのかもしれない

さて、この奇跡のようなありがたい出来事。どこでどう恩返しをしたらよいのやら・・・・ありがたい、ありがたいと言っているだけでは、罰が当たってしまいそうだ
でもそうね、世の中捨てたもんじゃないなって思うのと同時、小さな町の取るに足らない実家のご近所は、なにがあってもびくともしない、おおきくて温かいものに守られているような気がした・・・・






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