犬とパソコン__2_

書く⇐ なんのために?

先日参加させていただいた#わたしの執筆スタンスですが、少々書ききれないことがあったので、こちらに残しておこうかなと思います

基本読書が得意ではないので、だれかの書き方に寄せるということはできないと思うのですが、それでも「だれか(作家)に似ている」と言われることはあって、若い頃は落ち込んでいたなぁ…自分はだれでも書けることしか書けないのかぁって、えっらそーに。でも、どんな本書いてるか知らなくても有名人に「似てる」と言われればそれはそれで嬉しかったり・・・・だって相手はプロだもの、そりゃ浮かれるよね?

わたしの小説って妄想からの切り売りなものだから、セリフ重視というか、説明文というか、背景がない小説だったのよね。いや、背景は頭の中にあるんだけれど、妄想状態にあるときは脳内イメージで展開されるからわざわざそれを文字にして紙に起こすという作業が困難だった…というべきかもしれない
多感というのか、余ってるというのか、子どものころからわりと自分を追い込むことが多かったので、現実逃避は得意で、すぐトリップしちゃう癖があって、構想(妄想)だけならたくさんある。それはもう『小説』とは言わずに「シーン」なのかな? だからト書きのような小説になりがちなのかもしれない…起きていても金縛りに会えた高校時代、あの頃携帯小説があったらそれでもよかったんだろうけれど「通学(勤)電車に文庫本」っていうスタイルが定着していた当時は、セリフ少なめの、なにがなんでも難しい文章の、っていうのがよしとされていたような気がしていたんだよね。だからと言って本を読まないわたしにはかっこいい言い回しはおろか、素敵な一文すら書けていなかったように思う。今もその傾向が少しあるから、無理に情景でつなごうとしたりしてるかもしれないなぁ

それでも、ひとつだけかっこいいこと考えてた。それは・・・・

「なんのために書くか?」

っていうこと。テーマにも似てるけど、テーマとはちょっと違って、それがテーマがないことをごまかすための手段だったのかな?
テーマを考えられなかったから、書く理由をつけてみましたって感じね

テーマのなかった頃は、なんのため?「だれかのために書く」を掲げていた。それは「特定のだれか」ではなく「だれでもいいだれか」・・・・多分自信がなかったからだれか読んでくれるひといないかなぁ程度の、ひとりでも読んでくれりゃいいやって、投げやりな感じ。でもこれって「読む人がいれば書く」って解釈もできるけど、それって随分と傲慢ね。でも学生ってそういうものかもね

手当たり次第に投稿していた頃は、なんのため?「だれかのために書く」だった。これは同じようで同じじゃない。今度は「だれでもいいだれか」ではなく「特定のだれか」のために書こうと思った。それは友だちだったり、親だったり、存在するだれかに言いたいことを伝えるための手段として…と考えを改めた・・・・これもある意味エゴかもね。言葉を掛けたいっていうより、言えなかったことを載せてるって感じがするもの。実際それが相手に伝わることもなかったし。ある程度年齢が上になってくると根拠のない自信が湧いてくるものだしね

その次は、なんのため?「伝えたいことを書く」だった。これも似ているようでちょっと違う。でも、少しずつ成長はしてるのかな~? ここまでくるとちょっとテーマ的なものがぼんやりと出てくるのかな? でも気持ちに文章が追い付いていけなくて結局書き上げられなくなっていった。そう、実は完成させることがとても困難だった。今もあまり変わらないのかもしれないけれど、少なくともこの頃よりは「書き上げよう」って気持ちはある
でも、やっぱり読書しないと文章書けないのかなぁ・・・・って、仕上げられないと書けなくなるというか、気持ちもなえるし、私生活の変化も相まってだんだんと小説を書くことはしなくなってしまった

そして現在…となるわけですが、少なくともあの頃より文章力も上がっていると思うし、本も少しは読む・・・・か、な?
今は、なんのため?「解放するために書く」かなぁ。結局書くことが好きで、手帳でもカレンダーでも落書きでも、ペン持ちゃ書いてる。そしてこの頃は、自分の中の妄想をとにかく紙に起こしたくなった。しばらく離れていたせいか、とても楽しくてしょうがない。でも楽しいってことがいちばんなんだなって思います。今はただ余計なことを考えずに書きたいことを書く。原点に戻った感じ…

なんのために?「書きたいから書く」なんだな

あ、なんか、どう~っつ~ことなかったな



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