コンサート

むかしは泣き虫だった

悪口は気にならなかったけれど、ちょっとつつかれただけでもすぐに泣いた (ノД`)・゜・。
男の子にとっては、面白いおもちゃくらいの感覚で、よく泣かされてました
多分、スイッチが甘かったんだと思う。「泣け」と言われたら泣けるくらいのスイッチの甘さ、それは目じりを押せば涙を流せる女優のように

それは本能だったのか「泣けばなんとかなる」とでも思っていたのか、幼稚園の頃のわたしは面白いくらいに、毎日1度は泣いていたような気がする。多分、先生も「また泣いてるの」と思っていたんじゃないだろうか
わたし、やっぱりそのころから「面倒な子」だったのかもしれない。無邪気を通り越して、喜怒哀楽をふんだんに出し入れできる子どもだった

いつから泣かなくなったのか…それは多分、幼馴染があまり泣かない子で、急に「恥ずかしい行為」と認識するようになった頃からかもしれない
幼馴染もわたしも長女だったので「お姉ちゃん」と呼ばれる立ち位置にもかかわらず、わたしはよく泣き彼女は我慢のできる子だった。「お姉ちゃん」呪縛です

子どもの頃は、感動的なドラマや動物モノの映画なんかを見てもよく泣いた。それは素直に、胸の底からこみあげてくるなにかがあっての自然な行為だったけれど、いつからか「じわっ」と来るだけに収まるようになっていた
大人になった…ともとれるけれど、本音はわたし、わりと「薄情者」で「思いやりがない」といわせるタイプの子どもに成長していました。どこでそうなったのか、でも、いつも泣いている自分の奥にはもうひとりの自分がいて、泣いているわたしを冷静に見ている別人格があったように思います
だから、泣けなくなった…というのが正しいかもしれない

それとね、わたし、面白い泣き方するの。「うわぁ~ん」って泣くの、漫画やアニメの擬音そのままに「うわぁ~ん」とか「え~ん」って感じ。それがある時、おかしな泣き方だなって思って、恥ずかしくなったんだと思う
だって、女の人は「しくしく」とか「はらはら」とか「さめざめ」と涙を流すものでしょう? いつまでも「うわぁ~ん」はないよなぁって思った

ところ変わって数年前になりますが、突然なにを見ても涙が出る時期がありました。園児の演技を見るだけでうるっとしてしまったり、一生懸命な姿にじ~んとしてしまったり、自分でもびっくりするくらいに涙もろくなっていたのです。いやぁあれにはさすがにびっくりした「歳をとったものだ」と

その少し前の頃は、多分軽い鬱だったんだと思う。なにをしてもすぐに涙が出る。なにをしてても「あぁわたしって…」とか「なんで? どうして?」って感情に揺さぶられてた。母子家庭だったあのころ、子どもたちがいなかったら病院に行かなきゃならないくらいに陥っていたかもしれない
なにが辛かったのかって、掘り返すと「怠惰な自分のせい」だったんだけれど、ひとりじゃなくて良かった。本当にわたしは我が子に助けられてここまで生きてこられた。自分の境遇とか人生に甘ったれていた。そんな自分を見直す時期でもあったんだと今ならわかる

最近は、そんなに涙することもなくなった。本当の意味での大人になったのかもしれない。本当の意味って、言葉の使い方間違ってるかもしれないけれど、でもそういうことなんだと思う
昔から自分のこと「大器晩成」って思っていたけれど、他のひとより精神的な成長が遅かったわたしには、離婚してからの7年間は本当に成長するための時間だったんだなと思います。そういう意味でわたしは、前の旦那様には感謝しているし、今の旦那様にも感謝している。そしてそんなわたしを見捨てずに見守っていくれていた家族に感謝している。人はやっぱり、ひとりじゃ生きられないんだな・・・・

このお話は、下記の紹介文に基づいて「自分探し」のつもりで書いています

そういえば! 今さらなのですが、何度か使用していますTOPの画像の絵は、わたしが描いたものです。娘が高校時代の時に吹奏楽部の定期演奏会のため書いた案内用ポスターの一枚でした。だから音符がついてます

いつもお読みいただきありがとうございます とにかく今は、やり遂げることを目標にしています ご意見、ご感想などいただけましたら幸いです