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書くひと⇒ 字を書く

先日キクラゲ校長さんの、こちらの企画に参加させていただきました ↓ ↓ ↓

シンプルなお題『字を書く』でしたが、子どもの学校の書類を書かなくなって久しいわたしは、書くことが「好きだ」と豪語している割に、最近は手帳に予定を書き込む程度しか字を書いていないことに気づきまして、自分の字に自信がなかった。おそらく、何度も書き直すことは目に見えていたので、紙を無駄にしそうだと思い結構気を遣って裏紙使ったり、子どもらの使い古しのノートで練習しようと思ってました。でもこういうのって、切羽詰まった感があった方がよりリアリティを追求できるかも!?と思い直して、万年筆やらフリクションだのも選んでいたけれど、結局いつも使っているものにしたのでした

過去の自分への手紙・・・・と考えて、わたしはドラマを想像した。どういった経緯で過去に…というところまでは想像しなかったが、とにかく過去、しかも中学2年生の自分へメッセージを残せる機会をいただいた…という設定を設けた。最初は当時気にしていた「自分はモテない」から「結婚できない」のではないかという不安を払拭させてやろうと思っていた。しかしわたしには過去に夢みていたような大恋愛の末に順を追って素敵なウェディングエピソードがあるわけではなかったので「モテない」ことと「結婚」にはまったくの接点はなく、とりあえず世の中には男と女しかいないわけで、しかも女の方が長生きだとしても若干少ないわけで、それって算数で言うところの「性別の違う仲間を作りなさ~い」的な問題であればまったく問題にはならないわけで、わけでわけでわけで・・・・
と、考えた挙句、今一番困っていることを根本から絶ってやろうと、ほぼほぼ私利私欲ではあるが周りに迷惑もかけずにつもり貯金ができそうな手紙をしたためることにした

思いのほかたくさんコメントをいただいて、切羽詰まった感…特に最後の殴り書き「マジで!」のひとことにわたしの本気度を読み取っていただけたようで、それだけで報われた気がした。その他ラーメンの味が気になるとか、卒業式になにがあったのか、など楽しんでいただけたようでよかったです
そこで、ちょっと内容をなぞりながら、わたしのあまり自慢にもならない過去を振り返りつつ、解説していきたいと思います

その1.年頃という魔法の呪文はない…

乙女はみんな騙される「年頃」という言葉。世間一般的に「年頃」とは20~25歳くらいまでをいうのだそうだ。その年齢になれば女の子はみな、キレイになって、着やせして、素敵な男子にエスコートされる(はず)と思っている。否!
なんの努力も気合もなしに、痩せてキレイで、男まで捕まえられるはずなどないのだ。子どもの頃はみな、時間が来れば自動的に「大人」に昇格できると勘違いしているところがあるが、ただ生きているだけでそうなれるならば努力だの忍耐だのは必要ないということになる。そこを踏まえて理想の自分を求める必要がある…ということだ。とにかく、だれに教わらなくても解りそうなことなのに、無邪気すぎたあの頃のわたしに喝を入れてやりたい

その2.あのスーパーのラーメンについて…

あのスーパーは今はもうない。わたしが小学生の頃、近所の麦畑にいつの間にかできたスーパーだった。建物がいつの間にかできるわけはないので「いつの間にか」というのは語弊があるが、子どもにとってその辺の大人の事情は介さず、やっぱりいつの間にかが適当と思われる
とにかくそのスーパーは一度名前が変わり、フードコートを撤去ししばらくやっていたが、今はキレイに改装されて葬儀屋になっている。当時、田舎のスーパーやパチンコ屋、ガソリンスタンドに到るまで、みんな同じ看板のチェーン店ではなく個人所有の店が多かった。わたしの住んでる町にはマクドナルドどころかセブンイレブンすらなかったので、フードコートのあるスーパーなんて、大きなビルの地下でもなければあり得なかったのだ。そんな時代に運悪く、中学生になってしまったわたしは当然食いついた
わたしの記憶が正しければソフトクリームが150円、フライドポテトとアメリカンドッグがともに100円。もうひとつ120円程度のスナックかなにかがあったように思う。ラーメンはしょうゆ味とみそ味、ともに金額は180円。当時買っていた少女月刊誌がまだ400円になるかならないかの頃だったので、中学生の小遣いで毎日食べるにはちょっと贅沢すぎる金額だ。はて…どこから捻出していたのだろう?
気になるラーメンの味は、なんとなく想像のできる味といっておこう。けれど、外食でラーメン屋さんにも行ったことのないわたしには、あれが王道で最高だったのだと思う。今食べたらそんなことないかもしれないけれど、多分嫌いじゃない味

その3.デブについて…

わたしが自分の体系をまわりの同級生と違う…と感じ始めたのは小学校6年生の時だった。ジャージ姿の自分のお腹が他人のそれと同じようには見えなかったのだ。でもその当時の写真を見るに、わたしは周りの同級生よりも肩幅が狭く、特にデブと呼ばれるにはまだまだ程遠い体系をしていた。推測するに、当時早く大きくなりたかったわたしは無理を言ってワンサイズ大きいジャージを買ってもらっていたので、それが裏目に出たらしい。だが結果的にその辺りから身体的コンプレックスを抱えていくわけだが、中学時代の買い食いを我慢していれば、脂質を吸収しやすい体質には変化していなかったように思うのだ
ただ当時は、部活を続けるのが困難なほど人づきあいに対して異常な羞恥心を持っていた。だから友だちと通うスーパーのフードコートがわたしの部室で、そこでアルバイトをしていたフードコートの店員さん(高校生)が顧問のようなものだった。自分の体形とか、買い食いとか、とにかく思い込みで生きていた思春期当時は毎日必死だったはずなのに、すべてが取り越し苦労のような気がする今となっては、とっても無駄な時間を使ったように思う。だからこそ取り戻したい!

その4.卒業式の告白について…

わたしの中学時代は、羞恥心と妄想と尾崎豊で形成されていた。だから授業中はずっと小説を書いていたし、眠れない夜は来るはずのないバイクの音に耳を澄ませ、ラジオを聞きながら心の中で学校の窓ガラスを割っていた。なんの葛藤かもわからないくらい不安で、いつも「助けて、助けて」って思っていた。だから卒業式はある意味儀式だった。相当てんぱっていたのでうっかり少女漫画のようなセリフを吐いたのだ「あ~あ、帰っちゃった」と
友だちってすごいのね。本気でわたしを心配してくれる人がいたの。だけど余計なお世話様だったよ。その迂闊な一言で、わたしの想い人を引き留めに走ってくれた。でもそれは本当に要らない親切だったのよ。わたしの性格を考えたら、そんなのあり得ないって解ったろうに…。あぁ、巻き戻せない過去。でも誰の記憶にも残っていない。でもわたしの中には「恥」として深く深く刻まれた

その5.結婚について…

最初の夫は中学2年の隣の席の男子だった。でも当時のわたしはそいつの優しさが生ぬるく、胡散臭くて大嫌いだった。だから「結婚できる」けど、隣のあいつだなんて知ったら絶対になにがあってもそれを阻止しようとしたかもしれないし、むしろ結婚すら望まなかったかもしれない。しかもわたしの友人も彼が大嫌いで、そいつと結婚することによってのちのち疎遠になってしまうのだ。そんなことを聞かされたら余計に結婚なんてできないだろう。でもそうすると子どもが生まれてこない。それは困る。そこは避けられないので、結婚相手の暴露はしないことにした


そして結果がこちらです ↓ ↓ ↓

なんだかわたし、ひとりで盛り上がっていたような感も否めないのですが、本当に楽しかったんです。ずっといろんな方の企画を横目に流して、やりたいけどどうしようっていつも覗くだけで、そして期限切れになっちゃったりしてね・・・・思い切って手をあげてみたものの果たして自分ができるのかも不安だったし、うまいこと企画に乗れるのかも手探り状態。でもどうしてもやり切りたかった

ありがとうございました( *´艸`)



いつもお読みいただきありがとうございます とにかく今は、やり遂げることを目標にしています ご意見、ご感想などいただけましたら幸いです