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小説「オーストラリアの青い空」11

 オーストラリアのドライバーライセンスは、宝石のように美しい。
 自身の顔写真を除き、このプラスチックカードは見飽きることがない。
 表裏に凝ったホログラムが埋め込まれていて、角度を変えて見れば、鮮やかな曲線とともに、オーストラリア大陸や南十字星がキラキラ浮かび上がる。
 日本の運転免許証が顔写真と文字だけの、のっぺらぼうの公文書とすれば、当地のライセンスカードは遊び心も忘れないモダンアートといってもいい。

 このライセンスカードを見ながら、ヨシオは獲得するまでに費やした時間を思った。
 元々、ここオーストラリア・ゴールドコーストにはヒロコとユウジの入籍祝いに駆けつけ、長くても2、3週間で帰国するつもりだったから、国際免許証すら持って来なかった。しかし、滞在が長引くにつれ、当地での現実対応は避けられなくなっていた。
 買い物ひとつにしても、車がないときつい。バスやトラムでも動けるものの、一日仕事を覚悟することになる。生活環境そのものが、車を前提につくられている。また、車を運転するかどうかは別にして、現地の運転免許証を持つ理由は、もう一つあった。

 オーストラリア連邦政府内務省移民局のウェブサイトと数日の格闘の末、ひと月ほど待って1年間のビジタービザを得たヨシオとキョウコは、ユウジやヒロコからアドバイスをもらいながら、滞在の長期化に向けての対応も始めた。
 息をひそめて日本の入国規制が緩和されるのを待つだけでは、あまりにも空しい。新型コロナウイルスのパンデミックは加速して、治まる気配はない。
 帰国難民みたいになってただ漂流するのではなく、帰国のタイミングを計りながらも、積極的に動きたい。ヨシオはそう思った。

 まず、どんな手続きをするにしても、現地の電話番号が必須になる。このためにはSIMロックが解除されたスマートフォンに、オーストラリアの通信会社のフリーSIMを入れなければならない。ヨシオのスマホはウエブでSIMロックを解除できた。
 プリペイドのSIMを購入、ヒロコにセットしてもらった。4週間30GBで30ドルだから2千数百円。豪ドルが安いときは2千円を下回ることもあり、日本に比べると、かなり安い。

 さらに何より、この社会では信用力の高いIDを持つことが求められる。スーパーでのちょっとした返金手続きや、滅多にないようだが警察の職務質問のような場合、IDがあるのとないのでは大違いになるというのだ。
 その最強のIDが運転免許証だ。パスポートは持ち歩けば紛失の心配もあるし、ところによってはパスポートより「免許証は?」と求められることもある。車を運転しなくてもドライバーライセンスは、オーストラリア生活の強い味方になってくれる。
 日本の運転免許証があれば、いくつかの手続きを踏んでオーストラリアの免許証が得られる。
 
 このライセンスを手にするには、6種類の書類やカードが要った。
 お手軽なものから並べると、パスポートと日本のクレジットカード。これらは旅行者なら誰でも持っている。
 残りは4種類だ。まず、日本の運転免許証の「公的翻訳書面」を取らなくてはならない。
 そのためには、国の機関に登録している有資格者に、日本の免許証を翻訳した書面を作ってもらう。日本人の資格者もいるので、日本の免許証の表裏を写真に撮ってメールで送り、公的翻訳書面を郵送してもらう。問い合わせから、正本入手まで10日前後。これには数千円かかった。

 次に、オーストラリアで銀行口座を開き銀行カード、というのを得なければならない。日本のキャッシュカードだ。
 これにヨシオらは、少々面倒な場数を踏むことになった。銀行の支店によっては、時間がかかるので後日にしてくれ、と言われたり、口座開設にパスポートだけでいいはずなのにビザコンディションを証明する書類の提出を求められたりで、結局1日では済まなかった。
 現地事情に詳しいヒロコらに教えてもらわないと、ヨシオにとってこのハードルは越えられなかっただろう。
 銀行カードが郵送で届くまで、10日前後。口座開設時の入金は1ドルでもいいが、銀行カードは買い物のキャッシュレス決済にも使えるので、ある程度入れておいても損はしない。
 加えて、住所を証明できる公的書面、というのが必要だが、銀行口座開設時に申請した住所がプリントアウトされるから、それが公的な住所となる。
 ヒロコ夫婦宅に滞在しているヨシオらは、そこが住所となった。
 最後に申請用紙に必要事項を記入する。これは窓口で職員に尋ねながら書けばいい。

 これだけの書類をそろえて、日本の運転免許センターに当たる役所に行くのだ。役所の手続きは、ロールプレイングゲームにも似ている。ひとつミスったら次には進めない。ヨシオはヒロコに付いて来てもらった。
 「あれっ、この雰囲気は、明石の運転免許センターに似てるな」。規模こそ小さいが、窓口と待つ人たちの表情、建物のにおいが似ているとヨシオは思った。ただ、コロナ禍でソーシャル・ディスタンスを取るため、利用者の列が建物の外まで続いていた。
 順番の番号札を取り、呼び出しを待つ。受付では、英語で説明するまでもなく日本の免許証の翻訳書面を見せれば、「OK」と窓口番号を案内してもらえた。
 窓口の女性職員は、緊張した表情のヨシオに対し、中学校の英語教師のようにゆっくり質問してくれた。それでも、ヨシオは聞き取れないことも多く、ヒロコの助けを借りて手続きを進めた。その場で顔写真を撮ってもらい、サインをして終えた。
 費用は、免許証の有効期限によって異なり1年なら約80ドル、5年なら約180ドルだった。ヨシオは、記念として3年有効のライセンスを申し込みクレジットカードで約140ドル、当時のレートで1万円あまりを支払った。
 ライセンスカードが郵送されてくるのまでは、窓口で発行してもらった書類があれば、即運転OKである。


 8月中旬、ニュージーランドに異変が起きた。
 5月から海外帰国者を除いて国内感染ゼロを積み重ね、入国規制以外の社会生活を通常に戻していたオークランドで、感染経路不明の陽性者が複数確認された。
 この国の女性首相は直ちに警戒レベルを1から3に引き上げてオークランドを再びロックダウンした。首相は「強力で迅速な対応が長期的に見て最良の経済的対応だ」としてレストランでの飲食や図書館、映画館を閉鎖した。
 オーストラリアのメルボルンでは厳しい都市閉鎖にもかかわらず、連日300人から500人の新規感染者を出し、オーストラリアの累計死者は300人を超えた。
 ヨシオらが暮らすクイーンズランド州は、感染者ほぼゼロを維持するため再び州境を閉鎖した。毎日、数万単位で感染者が増え続けるアメリカやブラジル、インドからしたら、対応の厳しさは桁違いだった。
 ただし、クイーンズランド州政府は、観光業を守るため州内に限った旅行を奨励して、テレビCMも流していた。
 州とは言え、面積は日本の5倍近くもあり、グレードバリアリーフなど観光資源も豊かだ。東海岸はケアンズからゴールドコーストまで、真珠の首飾りのようにビーチリゾートが続いている。州都ブリスベンは、ヨーロッパの香りを放っている。
 内陸部には世界遺産の熱帯雨林や亜熱帯雨林が広がり、ガイドブックにも載っていない小さい街が、入植時代の風情を残すという。

 「帰国前にレンタカーを借りて、旅行してみるか。州内の旅行なら何の問題もないし」。ドライバーライセンスを得たヨシオは、プランを練り始めた。キョウコの不調もほとんど回復していた。
 日本の国際免許証ではなく、現地の正式なドライバーライセンスを持って、オーストラリアを走る。街では、パブなんかで地元の人たちと交流しながら、穴場を教えてもらい、旅をする――。
 ヨシオは、なかなか帰国に踏み切れない中途半端な気分の中、旅行への高揚感を久々に感じていた。

 ヨシオはオーストラリア政府観光局のホームページやヒロコとユウジの情報から、ゴールドコーストから少し内陸を巡る旅行を固め始めた。

 8月になると日脚も延び、日中は汗ばむほどの日差しが復活する。
 東海岸の冬は7月に浅い底を打ち、太陽はこの地を春から夏へ一気に引っ張っていくかのように、輝きを増し始めた。

シニアの旅に挑戦しながら、旅行記や短編小説を書きます。写真も好きで、歴史へのこだわりも。新聞社時代の裏話もたまに登場します。「面白そう」と思われたら、ご支援を!