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小説「オーストラリアの青い空」12

 野生のワラビー2頭は、草を食むのをやめて背筋を伸ばし、ゆっくり近づくヨシオを見つめた。数十メートルは離れているのに、彼らの固まった姿勢から強い警戒感が伝わって来た。灰色の柔らかそうな毛に覆われたワラビーは、目鼻立ちが黒く、遠目にも表情が読み取りやすい。
 胴から脚にかけての肉付きは、カンガルーの一種とあってどっしりした力感にあふれていた。ヨシオは双眼鏡を構えた。すると、1頭のお腹に、赤ちゃんが収まっているのが分かった。すでに袋からはみ出さんばかりに育っていて、親と同じ顔でヨシオを注視していた。
 もう一歩、ヨシオが進むと、ワラビーたちは音もなく跳躍してブッシュに姿を消した。


 ヨシオらの小旅行は、ビーチリゾートが売りの東海岸では、ちょっと意外なコースだったかもしれない。「シーニック・リムを巡る4日間」と政府観光局のホームページに載っていた。
 シーニック・リムは「景色のいい周縁」という意味で、有名なサーファーズパラダイスなど海岸に広がるリゾートシティーから内陸に入った丘陵地域だ。内陸と言っても街から車で2、3時間のドライブなので、広大なオーストラリア大陸からしたら、まだまだ東端の「皮」の中にすぎない。
 イメージとしては、阿蘇の外輪山を回るドライブに近いかもしれない。 ただ、広さは阿蘇の数倍はあるだろう。
 「クイーンズランド州のシーニック・リムへのこの4日間のエスケープは、神秘的なアルカディアを巡るフードツアーのようなものです」
 ホームページの文句に惹かれ、ヨシオとキョウコはレンタカーとB&Bを予約して旅立った。

 シーニック・リム一帯は、ほとんどが牛や馬を放し飼いにする牧場だった。ただ家畜の姿は、たまにしか見かけないほど広い。所々に小さな街があるが、国立や州立の公園となっている山々に囲まれ、静寂が満ちていた。片側一車線の道路がぐるりと巡っていて、切り通しや橋では車1台がやっとの狭い道もあった。
 とはいえ、滅多に対向車に出合わないほどの交通量なので、久しぶりにハンドルを握ったヨシオにも楽に運転することができた。スマホは圏外が多かったものの、カーナビはきっちりと電波を拾ってくれていた。

 そのB&Bへの道は、カーナビがなければ、引き返していただろう。それほどオフロードに近い山道だった。
 ヨシオは地図で大まかな位置だけを頭に入れていたが、リムの主要道から脇道に入り、さらに未舗装の一本道が続くとさすがに心細くなってきた。携帯電話の圏外で車が故障したり、何らかのトラブルに見舞われてしまったら、打つ手がない。
 何せ、対向車どころか人家すら見当たらない。牧場とも草原とも見分けのつかない丘陵とブッシュが延々と続いていた。
 「街に戻って、誰かに確かめたら?」
 キョウコも不安を口にした。

 ヨシオがブレーキに軽く足を掛けながら迷っていると、目立たない看板にB&Bの名前と矢印があった。
 国立公園の山裾に、数軒の離れが点在するだけの不思議なB&Bだった。ヨシオらは「コースの夕食付き」というコテージを予約していた。レセプションは、目当てのコテージから車で数百メートル行った一軒家にあり、元気のいい女性が一人で仕切っていた。
 「夕食付き」とは言っても、テーブルに暖かい料理が運ばれてくるのではなかった。夕食の材料は翌日の朝食と一緒に冷蔵庫に入っていて、宿泊者自身がキッチンで調理する、というものだった。
 サラダはすでに器に盛ってあってドレッシングをかけるだけだったが、牛肉は電熱コンロとフライパンで焼き、トースターでパンを焼き、デザートのアップルパイはオーブンで焼く。塩こしょう、皿、ナイフとフォークなどは整っていた。
 ヨシオはヒロコのアパートメントでこの国のキッチンを知っていたから、すぐに合点がいったが、日本人がいきなりこのコテージに来たら、何をどうしていいか戸惑うだろう。
 もっとも人っ子ひとりいない、秘境のようなB&Bに、飛び込みで来る日本人は、まずいないだろうが。

 コテージは古い鉄道駅舎を移築したという平屋で、鳥のさえずり以外は深い湖のような静けさが支配していた。一歩外へ出ると国立公園の山容が迫り、夜には南半球の星座が降り注いだ。

シニアの旅に挑戦しながら、旅行記や短編小説を書きます。写真も好きで、歴史へのこだわりも。新聞社時代の裏話もたまに登場します。「面白そう」と思われたら、ご支援を!