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小説「オーストラリアの青い空」2

 その医師は、鮮やかなブルーのスクラブスーツを着て、診察室で立ったままヨシオとキョウコを迎えた。
 胸の高さの机に、パソコンのキーボードと液晶画面があった。50歳前後の白人医師は、2人に着席を求め、自身は立って診察に当たった。医師の後ろには軽く体を預けるだけの背もたれがあるだけで、腰かける椅子はなかった。
 壁には古い建物やラグビーボールのモノクロ写真が掛けてあり、この医師のこだわりを静かに主張していた。
 スクラブは襟のない上着とパンツの手術着で、白衣が背広とすれば、スクラブには作業服といった気軽さがある。
 ヨシオは「これがオージースタイルのクリニックか」と、妙に感心した。日本で立ったまま診察する医師はいない。大抵は白衣をひっかけ、中にはふんぞり返るように座って貧乏揺すりをしながら患者に対応する医師もいた。不機嫌な表情でパソコン画面から目を離さず、生返事に終始する医師を何人も見てきただけに、ヨシオは遠い異境のクリニックで、少し救われた気持ちになった。
 事務服の日本人通訳も、立ったまま来診の意図を説明した。

 新型コロナウイルスの世界的流行によって、オーストラリアから帰国できなくなってしまったヨシオとキョウコにとって、最初に迫られたのは高血圧症や不眠などの常備薬の確保だった。
 薬が切れてからバタバタしたくなかったため、ヨシオはブリスベンの日本領事館に電話で相談したところ、オーストラリア政府保健省の「13ヘルス」という日本語通訳も対応できる電話窓口を紹介してもらった。領事館の男性職員は、丁寧に対応してくれた。その若く有能な印象にヨシオは信頼感を憶えた。

 毎日、日本の新聞社の電子版でニュースを読んでいたヨシオは、日本政府の歯切れの悪い後手後手の感染症対策に不安を覚えていた。
 日本では3月下旬に、この年の夏に予定されていた東京オリンピックの延期を決めるまで、ヨーロッパ諸国のような都市封鎖などをともなう厳しい対策は取られなかった。
 4月上旬になってようやく緊急事態宣言を首相が発したものの、飲食店などの営業自粛や、スーパーマーケットの混雑回避などが、「政府から国民にお願い」されたに過ぎなかった。
 人口密度もはるかに低いオーストラリアでは州によって異なるものの、すでに3月中旬から、飲食店は持ち帰りだけの営業となり、スーパーは営業開始から1時間は65歳以上しか入場は認められず、弱者に配慮した社会生活が始まっていた。生活用品店でも店舗面積に合わせて店内滞留人数の規制が一斉に始まっていた。
 ヨーロッパと北米で爆発的に感染が広がる中、オーストラリア政府は早い段階で罰則をともなう厳しい防疫措置に踏み切った。

 「13ヘルス」の電話窓口では、日本語通訳のオペレーターが出てくるまでかなり待たされた。しばらくして政府保健省の係官と通訳、ヨシオの会話が始まった。
 ――こういう事情で常備薬を手に入れたい、とヨシオが伝えると、話しぶりから医師と思われる係官は、一つずつの薬のスペルを読み上げるように求めた。
 確認に時間がかかったが、「これらの薬はオーストラリアでも入手できます」と係官は通訳を通して歯切れ良く伝えてくれた。
 「1カ月分で薬代はいくらぐらいですか?」。通訳が流ちょうな英語に直し、係官がサラサラと英語で答え、通訳が日本語にする。
 「特に高価な薬は含まれていませんので、1カ月というか、4週間28日分で1種類あたり千円から3千円程度だと思います」
 ホッとしたヨシオを見て、キョウコの表情も緩んだ。保険がきかないため、高額の薬代を心配していたが、びっくりするほどの金額ではなかった。
 前年にリタイアして年金生活に入った2人にとって、医療費はばかにならない出費になっていた。

 次に通訳が「今おられる娘さん宅のご住所を教えてください」と聞いてきた。その住所を手がかりに、近くの薬局を探し出し、係官が直接電話を入れた。
 薬局の薬剤師と係官、通訳、ヨシオ、4人の会話となり、係官は薬剤師に先ほどヨシオが伝えた薬があるかどうかを確認してくれた。
 最後に通訳が「後は、近くのGP、一般開業医のことですが、そこに行って処方箋を書いてもらって、薬局で薬を出してもらってください。以上でよろしいですか?」と締めくくった。
 こうして1時間ほどの電話相談が終わった。ヨシオはハンカチで額の汗をぬぐった。
 「とりあえず、薬は何とかなりそうや」

 娘のヒロコによると、オーストラリアでは日本のように内科や皮膚科など診療科目ごとの開業医を受診するのではなく、まずGPに行って専門の医師を紹介してもらう医療システムになっている。処方箋もGPを通さないと出ない。

 GPも事前予約が必要だったため、ヒロコに電話で押さえてもらった。ヨシオとキョウコが訪れたクリニックは入り口から物々しい様子だった。
 自動ドアには、真っ赤な紙に「STOP」と白抜きされた紙が何枚も貼ってあり、「看護師に従って入ってください」という指示が表示してあった。ドアが開くと、黄色いガードロープと赤いコーンが行く手を阻み、防護服とフェースガードにサージカルマスクの看護師が待ち構えていた。
 看護師の前には、プラカードのようなポスターが立て掛けられていた。アルファベット一つが5センチ角もあるほどの文字で「オーストラリア保健省の命令により、私たちはあなたに次のような質問をするよう要求されている。正直に答えないと、重いペナルティーと罰金が科される」と書いてあった。そこで、体温測定や問診を受けた。

 青いスクラブの医師は、薬の名前を一つずつ確認しながらキーボードに指を走らせて処方箋を入力していった。
 「何日分、必要ですか?」
 「日本はオーストラリアを含め外国に滞在歴のある者の入国を禁止しています。わずかに直行便は飛んでいますが、帰っても14日間の自己隔離を求められ、公共交通機関の利用も禁止されていますから、私たちは帰国のめどがありません」
 医師は、両手を広げてやれやれと少しおどけたポーズを見せた。
 「それなら、処方箋はリピートとしましょう。診察を受けなくても、薬がなくなったら薬局で同じ薬を出してもらうことができます」
 「助かります」
 医師は最後にいたずらっぽい表情でヨシオとキョウコを見て、何やら早口でつぶやいた。
 「そんなことをしていたらその内、あなたたちはオーストラリア人になってしまいますよ」と、通訳は機械的に翻訳した。ヨシオは反応に困り、曖昧な表情で「サンキュー」と言って診察室を出た。異国で薬を求めて頼ってきた日本人に、医師はジョークを飛ばしてくれたのだ。
 「そうなんです。昨日もビールを1ダース飲んでしまったんです」と、ジョークで返していたらと、ヨシオは少し悔やんだ。

 このころ、オーストラリア各地のビーチや公園、バーベキューサイトには一斉に黄色と黒の縞模様のテープが巻き付けられ、「CLOSE」の看板が掲げられた。
 ブランコでさえ、鎖はテープでがんじがらめになっていた。

シニアの旅に挑戦しながら、旅行記や短編小説を書きます。写真も好きで、歴史へのこだわりも。新聞社時代の裏話もたまに登場します。「面白そう」と思われたら、ご支援を!