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小説「オーストラリアの青い空」4

 そのころ、日本では時の首相の名字を冠した奇妙なマスクが物議を醸していた。感染が中国から世界に広がろうとしていた2月末から、全国的にマスク不足が一向に解消されず、医療機関や介護施設では業務に支障を来す事態になっていた。

 世界一豊かといわれる東洋の先進国は、基本的な医療物資の多くを海外生産に依存していたため、マスクや消毒液、使い捨て手袋、防護服などの世界的な争奪競争が始まると、あっという間に取り残された。
 台湾や韓国ではマスク支給やウイルス検査など、初期の防疫対応が行き届き、新型コロナウイルスによる深刻な感染症の広がりを抑え込みつつあった。
 そこで日本の指導者は、1世帯に2枚の布マスクを郵送で届けることにした。布マスクは使い捨てではなく、繰り返し洗って使えるとの触れ込みだった。妊婦に優先して郵送が始まったが、製品の一部に汚れやゴミが付いていたりして回収騒ぎになっていた。
 言い出しっぺの首相こそ、そのマスクをして記者会見に臨んでいたものの、官房長官や他の閣僚は不織布の使い捨てマスクや、防衛大臣に至っては日の丸をデザインしたマスクを着けていた。マスクの入荷を待ってドラッグストアに行列する国民を尻目に、東京都知事は毎日デザインの異なったマスクを着けて、都民に外出自粛を訴えていた。

 中国での感染がピークを迎えようとしていた2月中旬、北米の大統領は「4月にはなくなる」「ウイルスは暖かくなれば死滅する」と楽観論を振りまき、4月には100万人を超える感染者と6万人を超える死者を出して、世界一の感染国となっていた。
 その大統領と側近達は、世界的な感染の拡大について、発生源の中国が事実を隠したからだと非難し始め、中国からは、元は米兵が持ち込んだウイルスだった、などという情報が流れた。大統領は「患者に消毒液を注射してはどうか」と発言して、世界を驚かせていた。

 「カコーン」という乾いた高音が響き、ヨシオは目を覚ました。枕元のスマホは夜明け前の時間を示していた。
 寝室の窓を覆うように、隣の敷地にオーストラリアビーンズの大木が茂っていて、時折、実ってカラカラになったさやが種を抱いたまま落ちてくるのだ。
 種と言っても、日本人が思い浮かべるような種ではない。けた外れにでかい。大きさ色ともキーウィフルーツそっくりで、さやはその種を2個から3個を含んだ巨大な枝豆の形をしている。
 種が3個入ったさやは、優に200グラムほどあって、寝室の外はタイル張りのベランダになっているから、高い枝から落ちたさやは、びっくりするような音とともに割れて種をこぼす。もし昼間、たまたま木の下にいて、さやの直撃を受けたら流血は避けられないだろう。
 オーストラリアビーンズの別名が、「ジャックと豆の木」というふざけた呼び名なのも、ヨシオにはうなずけた。こんな豆の木が、軽いジョークみたいに宅地に茂っていた。

 ヨシオの「意識」は、自宅のベッドで目覚めた。それは一瞬の心の錯覚で、数秒後には、ここが日本から7千キロ南のオーストラリアであることに気付くのだった。

 ヨシオとキョウコが日本を発ってから、2カ月近くになろうとしていた。
 一部を除き、世界の国境閉鎖に変化の動きは見えなかった。国際線も運休が続き、世界の航空会社は巨額の政府援助金で生き延びるか、経営破綻し始めていた。自動車販売台数は、前年の半分以下に落ち込み、生産再開は延期に次ぐ延期となっていた。
 世界の株式市場は、各国政府による空前の経済対策によって、3月の暴落から持ち直そうとしていた。ほとんどの需要とサービスが突然蒸発したにもかかわらず、市場には不気味な安堵感が漂っていた。
 ゴールドコーストの日本食材店では、現地の和食店からあふれた日本産のビールが、半額で投げ売りされていた。

 ヨシオはもう少し眠ろうとしたが、眠りはなかなか訪れなかった。入眠剤を飲むにも、ウイスキーを引っかけるにも遅すぎた。
 「この旅は続いているのか、それとも終わっているのだろうか…」
 うつらうつらしながらヨシオは、ふとそんなことを考え始めていた。まだ帰国も帰宅もしていないから、旅は続いている。しかし、旅をしているという感覚はいつの間にか消えていた。日々は日常の中にある。旅としてではなく、生活として続いている。
 喉が渇けば、好きなだけ水は飲める。腹が減れば食べられるし、衣服の洗濯もできる。テレビも観ることができ、インターネットも使える。ただ、自分の意思でこの流れと淀みから出ることができない。ほんの2カ月前までのように、意思のままに移動することができない。
 そもそも人は、仕事や家族、そして健康を自由に選ぶことは難しいから、川の流れに漂うというのは自然なことなのかもしれない。

 荒海に帆を上げて未知の大陸を探す探検家のような生き方は、誰にでもできることではない。

 しかし、いま人々は、コロナ危機という人類が経験したことのない世界に放り出されてしまったのかもしれない。中世のペスト禍でもなく近代のコレラ禍やスペイン風邪とも違う、デジタル時代の迷路に。
 失敗が死を意味する限りこれは旅ではない。ましてや冒険のように夢があるものではない。
 足を引っ張り合う大国のエゴイズム、ナショナリズムという悪い酒に酔う者たち。ネットワークの時代は、この迷路を切り拓くことができるのだろうか。
 旅ならいつでも引き返せる。ヨシオらが閑散とした関空からオーストラリア行きの飛行機に乗ったとき、旅でも冒険でもなく、漂流が始まったのかもしれない。
 ヨシオに訪れた束の間の眠りを、カササギのさえずりが破った。

 窓の外では、浅葱色の薄明が広がり、この日も秋の晴天を告げていた。

 散歩の途中、キョウコがふとつぶやいた。
 「家の炬燵、どうなってるかなあ」
 ヨシオは、マンションの居間を、ついさっきまでそこにいたように思い浮かべた。日本を出るとき、ニュース番組の気象予報士は桜の開花予想を熱心に報じていたが、春はまだ寒く暖房を欠かすことはできなかった。
 「炬燵布団、めくり上げて空気が通るようにしといたらよかったな」
 「そうやな…」とキョウコも考え込んだように応えた。
 ハーブを育てていたプランターは、雨の当たらないベランダから、日当たりはよくないが雨で水分が得られる場所に移して旅立ったが、冬をしのぎ春を迎えたイタリアンパセリやコリアンダー、それに2人が好きなルッコラは、勢いよく伸びて花芽を出しているだろうか。
 雨が降れば育っているだろうが、とっくに枯れてしまったかもしれない。日当たりが足りないと、徒長して倒れているかもしれない。
 気安い隣人に電話して水やりを頼むことはできるが、ハーブが既に枯れていたら余計な負担を負わせることになる。

 毎月のお金のやりくりは、ヨシオがネットバンキングで管理していたから、スマホやパソコンさえあれば問題なかった。ヒロコ宅での食材費や水光熱費などは、週ごとにヒロコの口座に振り込んでいた。
 ただ、マンションの郵便ポストがいっぱいにならないか、防犯上の心配があった。郵便物だけなら数カ月は大丈夫だろうが、チラシ類が入ればすぐに満杯になって、長期間の留守宅だと分かってしまう。
 それにそろそろ、マンションの管理組合や自治会の総会があり、事情を伝えられないまま欠席したら不本意に役員を押し付けられるかもしれない。
 あれこれと考えれば、きりがなかった。
 「それに、朝目覚めたとき、家のベッドにいるんや。あれっ、ここは家と違う、オーストラリアのヒロコの家や、とすぐに気付くけど…」

 とりとめもなく、話し続けるヨシオにキョウコは意外な指摘をした。
 「それ、ひょっとしてホームシック違う?」
 笑い飛ばそうとしたヨシオは、「えっ?」と黙ってしまった。
 神戸の自宅に、ヨシオとキョウコを待つ家族はいない。
 冬のまま炬燵を据えた居間、冷凍食品などを入れた冷蔵庫、10年以上前の液晶テレビ、枯れかけたプランターのハーブ、そんなものがあるだけだ。
 確かに、ヨシオの高齢の母は老人ホームでヨシオの訪問を待っているだろう。しかし、いま介護施設に外部から接触はできない。キョウコは、何とか自活している両親とメールでお互いの近況は連絡しあっている。
 何不自由ない親元を離れ、外国で独り自活する学生ならホームシックも分かるが、ヨシオとキョウコは当分帰国できないものの、毎日、同居する娘夫婦とビールを飲みながら食事をして、美しい浜辺を散歩することもできる。
 日本の知人からメールで伝え聞く自粛生活より、はるかに豊かな日々かもしれない。もちろん、娘夫婦との共同生活には、多くの気遣いが必要だったが。

 そのころオーストラリア政府は、新型コロナウイルスの封じ込めに自信を示し、市民の外出や経済活動の制限を夏までに段階的に緩和する計画を発表した。
 一方、5月上旬には、北米の感染者は130万人、死者は8万人に迫っていた。イギリスでは死者が3万人を超え、ロシア、ブラジルでも猛威を振るい始めていた。ブラジルの指導者は特効薬がないこの感染症について、「ちょっとした風邪」などと発言したように、北米の大統領とよく似たタイプだった。
 これらの国と異なり、ドイツやニュージーランド、台湾など女性の指導者が率いる国では、徹底したウイルス検査と都市封鎖を素早く実施して、いち早く出口戦略に取りかかっていた。 

シニアの旅に挑戦しながら、旅行記や短編小説を書きます。写真も好きで、歴史へのこだわりも。新聞社時代の裏話もたまに登場します。「面白そう」と思われたら、ご支援を!