見出し画像

映画の"え"の字

これまた長くなりそうなタイトルにしてしまって後悔している。

ちまちま書いていたので文章出鱈目です。

映画監督を志して上京し、学び始めて実際に撮るようになるまで、映画ばかり観ていたにも関わらず、実のところ映画の"え"の字も解っていなかった。


【映画とは!!それは具体だ!!】
これは基本のきの字。"え"の字ですらない。
まずこの事を教えられる。

どんな短い映画にも(CMもそうだけど)脚本は存在する。設計図だ。

映画では、企画を元に制作部がロケスケを組み、プロデューサーの指示で監督や諸々のキャスティング、並行してプロットを叩きに叩いて強固なものにしてから、脚本に起こしていく。そしてロケ地や、俳優部のオーディションなど決定していく(ロケ地が先ってもあるけど)

台本を起こしたあとは、リハーサルを重ねて芝居を組んでいく。プロはこうやって稽古するけれど、アマチュアの場合はぶっつけ本番というか、現場で演出部でもある監督が芝居を組んでいくのが殆どだ。本読みくらいはするけど。

現場では芝居が組めたら(芝居があったまったら)それを食い入る様に見ていた撮影部がカット割を確定させる。通常、これもリハの段階である程度は固まっている。でも現場の芝居や、抜けの絵を見て変更することも勿論ある。
まだ誰も見たことが無いものを撮りたいって。この気持ちが何よりも大切。

カメ位置が決まると、次は照明部が画角を見ながら照明を作り込んでいく。昔はくっそ熱くてクッソ重い機材を使っていたが、最近減ってきている。
プロの照明さんが作る光というのは本当に感動する。

海外では撮影監督というポジションがあり、撮影部と照明部の全てを統括する。監督と同じくらい地位が高い。
日本ではそんなにいないけれど、有名なのは篠田昇さんだ。セカチューとか撮った人。若くして亡くなってしまったが、彼を超える人はまだ現れていない気がする。

照明を作る様子を食い入るように見ているのは、録音部だ、ブームをどこから差すのか、照明に影響してはダメなのと、カメラの画角にも見切れる(バレると言う)訳にもいかない。1番他に気を遣わないといけないポジションだ。(しかも1番時間がない雰囲気)

そうしてようやくテスト撮影!そして問題無ければそのまま本番!!といった具合で撮影は進行していく。

脚本に撮れないものばかり書いてあると本当に詰む。え?これどう撮るの?って誰かが言い始めて、それぞれの認識にズレがでる。
ハッキリと明確に撮れるものを書く必要があるが、それでもズレは出てくる。
アマチュアではそれでいいが、プロの現場になるとそのズレを埋める為にコンテ屋さんと呼ばれる絵コンテ職人が絵に書き起こす。
とはいえ、それはあくまでもコンテ屋さんの頭の中に過ぎない。それを基準としてあとはあーだのこーだのと揉んでいく。(監督がしっかりしていれば、絵コンテもしっかりしている)
この手間が非常にやっかいで、結果が良くなることもあれば監督の思い通りに撮れず、下手すると空中分解を始めてしまう。
監督が脚本を書くべきだ。と黒澤明監督が言っていたが、そういう意味合いも含んでいると思う。

まあ、どれだけ凄い本でも俳優部次第なのだけれど。
私が思うに、8割は俳優部のお芝居次第。というかもはやキャスティング次第とも言える。
監督は気が重い。失敗すれば叩かれるのは監督だが、成功して褒められるのは俳優部だ。
ちなみに、プロの映画監督だとしても、ヒットを飛ばすのは3割あれば食べていける。野球と同じらしい。

映画というのは
インサートも含めて無意味なカットなんぞワンカットも無い。そこが大好きだ。

この物語はこういう話だ!
このシーケンスはこういう挫折と助けがある!!
このシーンでこういう事が起きて主人公は成長するんだ!!
このカットでは主人公がどこからやって来て、どういう動きを付けるのか、
それはこういう心情で何故その行動に至るのか、
それを伝える効果的な手段として、このカット割で、このカメラワークだ!!

などなど、細部に至るまで全において監督は人に説明が出来ないと務まらない。(とは言え、全然説明しない監督もいる)
頭に描いているだけでは具現化しないのが映画作りの面白さの一つであり、難しい部分だろう。

なので私の場合は脚本を書く時に動きながらワンカットずつイメージして書いている。
実際にその動きが出来るのかの確認でもある。


脚本の段階で考え過ぎる必要は全く無いとは思うが、実際に撮るのであれば、映像の表現に対してもある程度の知識は持ち合わせていた方が良い。
間違いなく見飽きない工夫に繋がるからである。


例えば想像してみて欲しいんだけど
○職場の休憩所にて、ベンチで1人座って思い悩んでいる主人公。その元へと1人の両脚が画面の左手前側からやってきて立ち止まる。主人公が顔を上げると、いつもケンカばかりしていた同僚が。
みたいなシーンがあったとしたら
これはもう意外な人物が味方として参上したという示唆。
何で左側から現れなきゃいけないの?ってのは、
我々が活字を左側から書く民族だから。目の動き的に左から右、または上から下に送る方が安心するんだよね。まあ絶対では無いんだけれど。

これを右側から、しかも複数の脚に置き換えてみると、途端に嫌味を言いに来た同僚達に見えてくる。
やって来る人を同僚では無い人物にすると、もはや連行される人みたいに見えてくる。

これが映像表現の知識を使用するってこと。
こういった表現技法が世の中の映像には沢山使われていて、みんな知らずに触れている。

有名なのだけ挙げると

照明だとレンブラント(あえて被写体に明暗差を付けて迫力をつける、暗殺者とか犯人とかこれ)

撮影だとダッチアングル(斜めの画角、不安煽り、このカットが使われていたらこの後不幸なことが待ち受けてるはず)
煽りショット(被写体の存在を大きく見せる。ライバル企業のビルを下から見上げるみたいなやつ。敵対するものに使う)
俯瞰ショット(上から俯瞰で、被写体を小さく見せたり、観客に客観視させる時に使う)
ヒッチコックの目眩ショット(めまいがする程のショックの場合)とかも有名

とまあ、こんな感じなのだが、ある程度知っておくと困った時に使えたりする。
何故ある程度かと言うと、そこはやはり、【まだ誰も観たことがないものを目指すべき】であり、【自分にしか撮れないものを撮るべき】だという映画人としての矜持でもある。

撮る時はワンカット毎にチェックするのだが、たまに想定外の良い画をカメラマンが撮っているのを観ると、本当にテンションが上がる。そうきたか!となるわけだ。「これ、すげーよ!おれこんなの観たことがない!!」これがカメラマンからすると1番の褒め言葉では無いだろうか。
映画監督とカメラマンがいつも大体同じコンビを組んでいるのは、そういった感動が撮影時のどこかにあったからである。

ちなみに、今が何カットか、OKカットやNGの理由等を書くスクリプターと呼ばれる仕事もある。これが本当に重要。編集する時にスクリプト用紙がないと何が何やら意味不明になる。必須です。

撮影が終わり適当に荒編したものをラッシュと呼び、皆でお披露目会をする。そこではほぼ間違いなく皆後悔が見つかる。うわー、なんて酷いものを撮ってしまったんだと落ち込んでしまう日もある。
大丈夫、編集の力で構成変えたり音楽入れたりしていくと不思議と見れるものに変わっていくのだ。あの感覚は何とも言えない。


ふう。疲れた。

とまぁこんな感じが映画の"え"の字だ。
大切なのは、自分達が何を表現したいのか。何故自分達が撮るのか。ということだ。

よく「伝えたいことがないとダメ」といってくる輩がいるが、そんなことは無い。そんなもの必要ない。オナニー映画なんぞ山のようにあって良い。
映画はもっと自由だ。
ここまであれこれ書いてきといてアレだが
一つだけハッキリ言っておく。
全部無視しろ。やりたいようにやれ。

それが映画だ。


おやすみなさい💤

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?