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取り戻した平穏

しばらく書いてなかったのが何だか自分らしさを感じる。
どーもぐだぐだのぐだです。
画像は冷蔵庫に取り残された子達で作ったサラダ冷麦です。適当に思うがまま作ったけど、中々賄い感があってウマウマでした。

自立支援施設は2年近くいたのだけれど、数ある反対意見を突き返して復学が出来たのは、間違いなく寮長先生が多方面に頭を下げてくれたからだと思う。これは皆分からないだろうが、入るのは簡単でも出るのは難しいのだ。殆どの子は中学卒業のその日まで施設で過ごすのである。

そんなこんなで3年生になる頃、私は誕生日の次の日に地元へと舞い戻ることとなり、先立って西宮市の児相にて面談が行われた。当然のように疑いの目を向けてくる学校の先生達と対峙すると、納得した様子で「うむ、良い目になったぞ」と偉ぶってくるのが滑稽であり腹立たしくもあったのだが、大恩ある寮長先生に恥をかかせるわけにはいかないので「はい!」と力強く答えるほかなかった。

晴れて地元へと舞い戻った私がまず何をしたかー。

自由の時間が日に1時間程度しか無かった生活から、全てが自由で全てが自分次第となり、浮き足立った私は、片道1時間かけて三宮まで繰り出し、あろうことか高架下の商店街で靴下を買ったのだ。
まずやることかい?靴下、いるのかい?その辺に売ってるのに
他になにかあんだろと今なら笑えるのだが、当時は自分で自分の道を歩き始める事に喜びを感じていたのだろうと思う。

そして待ちに待った地元中学生活が始まるのだが、始業式のその日、体育館で他の転校生と待機しているところに何やら睨みながらツカツカとやってくる奴がいた。
後から解るのだが、この男は自分が居ない間に番長的なボス猿になっていた男だ。
所謂ガンをつけてきたのだが、私は揉め事を起こすと施設へと戻されると思っていたので、ピクピクしながら我慢した。

そいつが去ってまた誰か来たと思ったら、まさちゃんと鉄平だった。笑顔で迎えてくれた2人と拳を突き合わせる。さっきのボス猿も天才的な運動能力のまさちゃんには勝てないので、この学校ではまさちゃんが裏番みたいなものだ。いつの時代なんだ今平成だぞと思うけれど、本当に荒れていた学年だったのでそんな感じだった。

鉄平の父ちゃんとおばちゃんは私達を招待して焼肉をご馳走してくれた。あんな事があったのに、本当に頭が上がらない。

そこからは卒業するまで楽しく過ごせた。
途中ボス猿の罠にハマって後輩と喧嘩する事になり、
相手が入院して施設に戻りそうになったり、

仲の良い皆で誰それの誕生日は決まってパイ投げパーティーだったり、

他校とケンカしたり、仲良くなったり

彼女が出来たり別れたり(あの頃は何故かモテた)、童貞を捨てたのもこの歳だ。

ボクシングに打ち込んだり、思いつく限りの青春を過ごせたと思う。

母の鬱もかなり良くなって、兄は殆ど帰ってこなくなったが、母へ暴力を振るうことはなくなった。
一軒家は売り払って団地住まいとなったけれど、元より家なんて何だってよかった。

雨風が凌げて、布団があって、なんだか安心できる場所が家の定義だ。

毎日まさちゃんの家か俺の家かに2人でいた。何やっても楽しかった。学校抜けてドンキでよくたむろしてた。
学校のクラスも凄く良くて、私が2年間居なかった時も担任を受け持ってくれた先生もいたし、時間があっという間に過ぎていった。

中学の卒業式、皆が歌いながら泣いていた。私もワンワンと泣いた。ヤンチャな子もそうでない子も仲良くて歌に力を入れている学校だった。私を施設へと送りつけた学年主任が音楽の先生で、教科書を監修しているようなちょいと有名な人なのだ。その学年主任も少しは認めてくれたのだろうか。

入学式には出席すら出来なかったのに、まさか卒業式でこんなに泣くことになるなんて、
周りを見るー。もう白い目で見てくる大人はどこにもいなかった。一緒に笑って、また泣いた。
花束を持って施設の寮長先生が来てくれた。ここまでくると漫画の最終回みたいだな。



今はどうか知らんが、当時の兵庫県の普通科の公立高校の受験先は校区で決まっていた。
兵庫全体の高校生へ足切りがあって、それより上は全員合格、校区内の高校へ進学
というシステムだ。

私は悪評が立っており、私学から受験を拒否されるという前代未聞児だった。そのくらい明石学園の名は強烈だということなのだろうか。それとも内申やらカルテ的な何かなのか、一度そんなに自分を知らぬ女子から
「人を刺して施設入ってたんやろ?」と言われたことがある。んな訳あるかい!笑


そんな事情もあって公立専願で受け、無事に高校生となり、山の上にある高校へと通い始めた。元オリックスでメジャーリーガーだった田口が通った高校で、丁度涼宮ハルヒというアニメがやっていた頃で、その舞台である高校でもあった。アニメではブレザーなのだが、実際には学ランだった。

高校生活は平和そのもので、仲良い友達が全員隣の高校へと離れてしまったこともあり、新しい友達が出来た。中々今でも気の良い奴らだ。相変わらず職員の間ではとんでも無い生徒が入ってくるとかなり議題になっていたらしいが、もはや普通を身にまとっていた私に驚いたに違いない。
まあ真面目というには程遠かったのだけれど。
気が付けば問題児だが頭が良いと評判になっていた。カンニングで謹慎になった時に課題を真面目にやったら何もかも答えが合っていたらしく、そこからお前は本当は天才なんだと言われるようになった。
高校を卒業する時にも何人かの先生から同じように言われた。んな訳あるかい!笑
と言いたいが嬉しくもあったのでドヤっていた🤞


今日はここまででー👋

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