ゴンタ
ゴンタってのは関西でいうとヤンチャな悪ガキのことを指す。
西宮市ってのは部落地域があったり、隣の尼崎や大阪から変な輩が流れ着いたり、神戸の巨大ヤクザの枝葉の組織のチンピラがいたり、阪神タイガースの選手が沢山住んでいたり、芦屋の六麓荘からトンネルを潜った先の苦楽園という地域では、本当の金持ちが住んでいると言われていたり、何ともまあカオスな町なのである。
それにも関わらず関西におけるヤンチャヒエラルキーにおいては、他の地域から「西宮?なんやボンボンやんけ」と一蹴されてしまう、“イイトコロ“のイメージが強いのだ。
しかしそんな場所にもゴンタと呼ばれる人物がいた。その1人がこの私である。今でこそオットリだとか、のんびりだとか、ふんわりだとか言われるのだけれど、ぶっ飛んでいた時代もある。
これまで書いた通り、小学生にしてロクな暮らしをしていなかった頃、深夜徘徊していた時に行きつけのローソンで夜食を補充し帰ろうとしていると、たむろしている連中に話しかけられた。ビビリな私であったが、高校生ほどの彼等は優しくて、私が当時好きだった「フキゲン」というジュースをくれた。
それからたまにローソンで会うと少し喋って帰っていたのだが、彼等の乗っていた原チャや単車に跨らせて貰ったり、一緒に六甲山(正しくは摩耶山)に夜景を見に行ったりする内に、私もバイクを乗り回すようになった。さすがに原チャだが。まるで善悪の判断なんぞ付かないもんだから、私も犯罪に対してかなりウェルカムな心持ちでいたのだ。
家に帰っても殆ど居なかったりである鬱病の母や、なにかあると殴ってくる兄ちゃんに嫌気がさしていたのだろう。私は家で暴れない分、外で発散するようになってしまった。
そこからどんどんバチバチの悪ガキに成長していき、中学生に上がる頃には、気に入らない奴がいれば喧嘩をふっかけ、タバコを吸い、悪友と一緒に原チャをモンキーレンチとマイナスドライバーを使って盗んでは、ガソリンが尽きるまで走り、シュポシュポ(灯油ポンプのやつね)でまたガソリンだけを盗んで走り、最後には3人がかりで原付きを池に捨てるというクソみたいなガキになれ果ててしまった。
気が付けば周りからゴンタと呼ばれ、かつて白い目で見てきた同級生の親達はさらに「やっぱりか」とはっきり聞こえるように話すようになっていた。
中学校の入学式には出ていない。卒業アルバムを見ると、ちゃんと空席が写っていた。
いつも一緒にいたフジタというがいたのだが、そいつが私の家の状況を知って金を恵んでくれるようになった。フジタはコソ泥のような事をするやつで、深夜の駅前に行っては酔い潰れているサラリーマンのカバンを置き引きするという、なんともゴンタの美学からは外れる奴だったのだが、なんだかんだ気が合ったのかいつも一緒にいるようになった。
当時欲しかったゲームを盗むために、夜中にゲーム屋のガラス窓を叩き割ったこともあった。バカでかい警報の音にビビって結局何も盗らずに一目散に自転車で逃げて、しばらく走った頃、向こうからパトカーがやってきた。ダメだ捕まるんだと思ったのもつかの間、パトカーは目にも止まらぬ速さで通り過ぎていった。あれは生涯忘れないだろう。
しかしそんな生活もすぐに終わりを告げる。フジタが恵んでくれていた金にはフジタの親の金も混ざっていたからだ。
中学1年生の6月だったか、丁度今くらいの季節のとある日、学年主任に呼び出され面接室に通される。そこでフジタの金を巻き上げてるんだろと問いつめられる。
一瞬、いや巻き上げるもなにも友達にそんなことはしないと言いかけたが、学年主任の表情から弁解の言葉を聞く耳なんてないのだろうことは分かっていた。
「だからなんや、ほんならお前が金くれるんかい」と反発すると、そのまま教室に戻ることもなく、誰に何の挨拶も出来ないまま私は車に乗せられ、最後の施設に送られてしまうのであった。
その施設の名は県立明石学園。
養護施設ではなく、児童自立支援施設である。
少し説明すると、児童自立支援施設というのは各都道府県に1つずつ、加えて各政令指定都市に+1つずつある。 元は戦争孤児などを受け入れる教護院と呼ばれていた福祉施設である。
中学生が行く少年院みたいなイメージでいいのかもしれない。実際鑑別所で少年審判を受けて「児童自立支援施設送致」を言い渡されてやってくる子も少なくはない。
犯罪者予備軍を更生させようねみたいなものだ。
制服を着たまま明石学園へ送られた私だが、寮長先生との挨拶を済まし、いざ寮へ着いた時に度肝を抜かれた。
坊主頭の集団が瞬く間に集まってきては「用意できました!!」と叫んで報告していくのだ。そうして13人が集まった所でまとめ役の少年が「先生!!全員準備できました!!」とこれまた叫びながら報告する。
別の意味でドキドキしてきた。軍隊だここ。ワシここで軍人になるんじゃあ。
なんともこんな感じの第一印象で施設での生活が始まるのだが、これが第二の故郷になろうとは1ミリも想像できなかった。
まあこの辺で👋
明日も明後日も仕事ある
雨やんどくれー
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