平穏時代
さてさて、自分の人生を振り返ってどこが1番平穏で普遍的な生活を送ることができていたのかというと、それは幼少期、具体的に言うと小学生になり父親が倒れるまでの間である。ここではそれを平穏時代と呼ぶ事とする。
阪神タイガースのお膝元、高校野球の聖地がある町で、私は4人家族で2人兄弟の次男に生まれた。
多趣味な父に料理上手な母、3つ離れた憧れの兄、どこにでもある、だけれど尊い、絵に描いたような幸せな家族だった。
小さい頃人見知りだった私は、家に来客が来るたびに母の後ろに隠れていた為、両親は心配したが、幼稚園に入るころにはそんな不安を感じさせない明るく活発な子に育つ。
父は休みの日に毎週欠かさず大きな車の洗車をしていて、私と兄は父の洗車を手伝うのが大好きだった。その車で色々な所に連れて行ってもらえたからだ。車は日産テラノ。恐竜みたいで実に強そうな名前である。
昔よくあったナンバープレートが緑に光るやつで、ハンドルはウッド調、トランシーバーを備えた四駆は、子供心(というか男心?)をくすぐるクロカンのカッコいい車であった。
もっぱら連れて行ってくれるのは釣りとキャンプだった為か、私は身長が足りなくて乗り物に乗れない遊園地よりも(これ下の子あるあるではないだろうか)、兄が投げ釣りでカニを釣ったり、キャンプで星空を見ることのほうが楽しくて好きになった。
走る時は腕を大きく振ること。【やられたらやりかえせ】ということ※。言葉だけではなく色々なことを父から教わった。私も兄も父のことが大好きだった。
(※【やられたらやり返せ】自分にとって大切にしてきた言葉だったが、解釈としては【してもらった事も、やられたらやり返せ】なのだと高校時代に友人が気付かせてくれてから、更に大切な言葉となった。)
幼稚園に入ると、4月生まれのアドバンテージを最大限活かして、すぐに何でも1番をとれるようになり、上級生ともケンカをやり合うわんぱくな幼児となる。
まぁちょっとしたボス猿みたいなもんだ。
そんなこともあってか幼稚園で早速モテ期が到来し、バレンタインデーには毎年沢山のチョコをもらえた。
だけれど例に漏れず幼稚園の先生が好きだった。
今思うとあの感情はなんなのだろうか。恋と母性的がなにかが入り混じったような、初恋とは違うと思う。
当時の流行りで忘れてはいけないのがドラゴンボールだ。いつも兄とフュージョンして遊んでいたのを覚えている。
「フュージョン〜……はっ!!」→指ズレる。
なんだありゃあ。バカかっけえ。間違いなく世代は全員好きだろう。鳥山明は天才だ。画集にトレペ敷いて上から書き写す遊びを何度したことだろうか。誰か会わせてくれ。ちなみに今もドラゴンボールの大ファンで、旧映画は16本全て持ってる。
ピッコロが1番好きなのだが、TVの初仕事でピッコロの声優をやってる古川さんと仕事できた奇跡のエピソードを持ってる。かなり運が良い。
父が当時主流のカセットテープにドラゴンボールの曲をA面、B面両方にエンドレスで流れるように録音してくれていて、それが嬉しくて沢山聴いていた。今考えるとなんて優しいんだろう。スーパーヒーローだ🦸♂️
しかし、小学1年生になって数ヶ月が経った頃、そんな心優しき父が倒れた。こうして平穏時代はあっという間に幕を閉じ、ヒーロー不在のまま人生ハードモードへ突入することとなるのだが、それはまた今度かきまする。
やばいねこれ。全くまとまらん笑
自伝みたいなもんだしまあいいか
もっと書きたいけど父親との思い出などはまた別で書くので。
次回は一旦時系列無視して【被災】かなぁ。
父の死とは関係無いです。
駅着いたー!👋
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