『あの人とは波長が合う』は科学か非科学か スペースの文字起こし
『あの人とは波長が合う(合わない)』という言い方をよくする。
当然ながら波長を測定しているわけではなく
波長が合うと感じる場合は「心地がよい」「違和感がない」「単純に楽しい」と感じている
波長が合わないと感じる場合は「気を遣う」「楽しくない」「ストレスになる」と感じている
世の中に一般的になっている現状の科学ではこの現象を立証することは出来ていないのだが人間をはじめとした生物、植物、そして無生物である物質もすべてが細胞もしくは分子が寄り集まって出来たものであることは疑う余地はないだろう。
そうである以上、すべての分子、細胞が一定の振動で揺れ動く。
揺れ動く以上は振動数、周波数があるはずである。
波というのは『腹』と『節』がある。
腹は一番振動する部分で節は全く振動しない部分。
腹と腹が重なれば増幅するし、真逆の形の波が重なれば減衰し波がなくなる。
我々人間が発する声は「音波」として相手に伝わり、それ以外の「氣」なども仮に何らかの振動、波として相手に伝わっているとしたら相手の出している振動数、周波数、そして受けて側のそれによって受け取り方が変わると考えても矛盾はなさそうである。
その人といるとテンションが上がる場合は同じような波を出し合うことで増幅が行われているかもしれないし(波の腹と腹が重なる)、その人といると非常に落ち着いて、心が休まる場合はうまく逆位相の波を出し合っていて打ち消し合っている可能性があるのかもしれない。
動物に対しての感情なども同じことが言える。
そもそも動物全般が苦手な人、犬、猫などの一般的なペットとして飼われている動物は好きな人、ヘビなどの爬虫類すら大好きでたまらないという人もいる。
これらもそれぞれの動物の出す波の振動数、周波数がその人と合うのか合わないのかで説明できる気がする。
また生物ではない物体もその分子が振動している以上一定の周波数で振動をしている。
これはおそらく生物が発している振動よりも認識しにくい振動なので(声を発したりできない分)人間側の反応はその人間の感受性の強さにもよって変わる気がします。
感受性の高い人であればそういう僅かな振動、周波数にも反応ができるので、そのモノを
眺めるだけでも幸せな気持ちになるし、愛着が強くわくのかもしれない。
モノを捨てられない人というのはもしかしたらこういうタイプの可能性があると思う。
私自身もどちらかというとこっちのタイプであり、モノだとしても顔や表情のある人形やぬいぐるみの類などは燃えるゴミに出して捨てたりするのは抵抗があるし、誰かが道で落としたであろう小さいぬいぐるみなどにも哀愁を感じざるを得ずに「落とし主に見つけてもらえよ」と道の分かりやすい場所に置きなおしたりしてしまうのである。
先日道に落ちていたミカンの話をツイートしたがその反応も様々だったのは興味深い。
つまりぬいぐるみの出す僅かな振動数を感じ取るのでいつの間にかモノに魂を感じているとも言える。人形供養などを行っている神社もありますが、おそらく古来から人はモノに対してもそういった感情を持ち、どうしても処分が必要になったときにはそのような形をとったのではないかと推測します。
簡単に人を殺してしまうような人間がいたりする世の中なので、そういう人間は簡単に動物も粗末に扱ってしまうし、ましてやモノは「モノでしかない」としか感じられないのはある意味当然なのかもしれませんが。
感受性が豊か=細かな振動を拾える心の持ち主(優しい)と考えると理解が深まる気がします。
音楽の場合は『音』という耳に聞こえる周波数(20Hz~20kHz)の振動なので多くの人が拾いやすい振動と言えます。穏やかな音楽が好きな人もいればバリバリのロックなどの激しい音楽が好きな人もいます。高齢者が昔ながらの演歌、歌謡曲がほとんど流れず、ハイテンポのAdoやYOASOBIの楽曲が流れる昨今の紅白を見ながら「最近の曲はよくわかんねぇな」と言うのは聞き慣れた周波数帯の楽曲が違うからなのではないかとも思います。
その音楽は音楽療法として医療への応用もなされておりますが、心地よい音楽(心地よい周波数の音楽)を聴くと副交感神経が高まり(細胞の振動が落ち着く?乱れた周波数が元に戻る?)熟睡出来たり、血圧が下がったりと健康を増進すると言われています。
また面白い話としては優れた作曲家が自身が肝臓を病んでいるときに作曲した音楽は
同じく肝臓を病んでいる人が聴くと良い効果をもたらす?という説もあります。
これはさすがに検証が難しいですが、面白い考えだなと思います。
生のコンサートの音を聴くのと、CDで聴くのとでは生体に及ぼす影響が変わることはよく知られています。前述のように人間が聞こえる周波数は20~20kHzなのでCDの音源もそれ以上の周波数帯は再生されません。ですが実際の演奏では耳では聞こえない周波数をからだが受けることで何らかの影響を及ぼしている可能性はありそうです。
『細胞を揺れ動かす〇〇の演奏』などと表現されるのはそういう意味合いがあるような気がします。
このCDでは再生できない周波数の振動を再生可能とするオーディオが実はすでに開発されており、私の友人が購入しオフィスで使っているとのことですがまだ訪ねられておりません。(R-LIVEという会社です)
さて医療、病気の治療という観点でこの振動数、周波数の概念を頭に入れて考えてみたい。
人間のからだは通常運転からはみ出すようなこと(病気)が起きるとそれを元に戻そうとする、これを恒常性の維持、ホメオスタシスの維持と言う。このホメオスタシスも漠然とした概念でしたが、分子、細胞レベルで考えるとイメージが付きやすい気がします。
図のような分子が配列したイメージからこの配列が乱れて病気になったとします。
この配列を元に戻す機構が何らかのトラブルで戻せずにいる。
現在主流の医療とされている薬というのが果たしてその役割を果たせているのかという点はよく考えてみるべきではないだろうか。
少なくともいわゆる対症療法の薬というのは分子がずれているのを元に戻しているわけではないことは容易に想像できるし、降圧剤を代表とする生活習慣病の薬剤なども総じて
分子がずれて生じた二次的な変化に対して作用する薬剤であるということになる。
全国に3400万人いる(ほんとか?)といわれる高血圧患者。高血圧というのは
高齢で血管が固くなったり、ストレス(広義の)で血管がギュッと収縮してしまったところに心臓が血流を通そうとするために力が必要となるため「必要で」血圧が上がっているのが事実だと思いますが、その原因を無視して必要な血圧を敢えて下げてしまっているという点が問題です。ですので降圧剤というのはずれた分子を元に戻すむしろ邪魔をしていると考えても過言ではないと言えないでしょうか。
また分子のずれが補修出来なくなった結果癌が発生する。この癌を消すためにはずれた分子を元に戻す、もしくは補充するような処置が一番の治療と思われるが、手術というのは発生した癌を取り除くだけ、放射線も癌に当てることで退縮させる狙い、抗癌剤は癌をやっつける代わりに周囲の正常に残っている分子まで攻撃してしまう。
この観点から病気というものの実態を考えるといかに現代西洋医学が片手落ちな学問かということがさらに理解できるような気がします。
それに対して整体、鍼灸などの治療はからだのずれた部分を戻したり、左右差を改善するという点では『ずれを戻す』という視点では似ているように感じます。
このあたりは目に見えて、触った感じで変化がわかるものなので、前述の耳に聞こえる音波の影響が理解しやすかったのに似ています。
しかしこれが実際の分子レベルのずれを改善するような治療となってくると想像力、感受性に極めて乏しい多くの医者は「エビデンスがない!」「インチキだ!」と拒否反応を示し始めます。ずっと部屋にあったぬいぐるみを躊躇なくモノとして燃えるゴミの袋に詰め込める感覚、ものに対する愛着が持てない人と共通するイメージです。
瞑想、呼吸法、気功、ヨガ、ヒーリングタッチ(手当て)、アーユルヴェーダ、ホメオパシー、レイキなどがそれにあたるだろう。
私も医師として西洋医学を学びここまで20年近くやってきましたが、昨今コロナで有名になった一部の医師のように全能感を感じるようなことは一切なく、むしろいわゆる標準医療と呼ばれる医療で治せない患者さんが多くいることに無力感すら感じる日々でした。
それと同時に標準医療とは一線を画す様々な治療で症状が改善したり、場合によっては癌が消えたりする「不思議」な体験も同時にして参りました。
しかしそれは決して「不思議」な現象ではなく必然として起こった可能性が高いと今では考えています。これまでの常識、科学では説明出来ずに「奇跡」「迷信」「インチキ」とまで言われた治療にもおそらく科学的な説明が付けられる世の中がすぐそこまで来ているような気がしてなりません。それを信じてあらゆる治療の可能性を頭に入れた上で、最もその患者さんに適した医療を提供できる医療者となれるよう今後も精進して参ります。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
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