「印象派・光の系譜」へ行った日


今日は美術館へ行った
三菱一号美術館だったので丸の内だ
先日丸の内へ行った際
気になっていたが時間が間に合わず
行けなかったカレー屋さんへ行ってみようと思ったが
私があまりに朝起きれなくて
昼過ぎに到着した時にはそのカレー屋は昼営業終了
前回と同じ過ちを…

仕方なく向かいの魚が売り?のお店へ
しかしそこが
1000円で焼き魚、刺身2種、カキフライ、小盛りそば、味噌汁
とボリューム満点でうまい
私はポンコツで営業時間に間に合わないとか
定休日に行ってしまいがちな人間だが
こういうので元を取れると非常に嬉しい
きっと私は自分で思ったビジョン通りに生きられない人間なのだ
ただ、自分の意識の外というか
図らずもな部分はすごく好きなので
それはポジティブというか楽観的すぎるだけなのかもだが
行き当たりばったりを楽しむのが人生であろう

芸術でもそうで
いかに自分の意図を超えたところ
無作為を活かすかを考えてた
漫画家にもなれない分際で無作為がどうとか
言ってんじゃねぇと思うだろう
私だって思っていた
だが、そこへ思考を飛ばさずにはいられないのだ
芸術の根源を探してしまう

話は戻って
美術館へ
イスラエル博物館所蔵「印象派・光の系譜」という展覧会
私は印象派が好きだ
これにいくと決めてから
頭の中は印象派のことでいっぱいであった
そこでなぜ私は印象派が好きなのか?という疑問に一つ答えが出た
印象派はパンクだからだ
私自身音楽としてのパンクはそこまで聞かないけど
きっとマインドはパンク寄りなんだと思う
身なりを気にしない漫画家のアシスタント時代
私は髭を伸ばし、髪を伸ばした
どちらも手入れが面倒という怠惰の側面と
パンク、反抗の意味があったのだろう
昨日久々に「セルピコ」という映画を観た
警察に憧れた青年が、警察の汚職に気づき
警察と戦うようになる物語だ
なぜだか、自分の反抗性に必要な映画な気がした
ズバリだった
何が一番ズバリだったかというと
髭ロン毛ピアスというヒッピースタイル
ヒッピー自体が反抗としてのスタイルだから当然なのだが
やっぱり私はこっちの人間なのだと
要は接客業したくねぇなと

あと印象派が好きなのは光を捉えるからだろう
私も光、反射を意識している
反射なんかは意識しきれない
そこに無作為さを感じるのだろう
印象派の絵は筆跡を活かす
この辺りも好きなところで
こんな感じ、それこそ印象
川を描くのでなく、
周りの木々、空が映り込むもの。それが川
という感じの
浮かび上がらせるものというか
詩もきっとそうで
Aという事柄をAの周りを描写することで
浮かび上がらせる
なんか前もこんなことを言っていた気がする
何回も言うのは
テーマとして大事だからだ
大切なので2回言いましたと言うだろう
ただ、おじさんが同じ話するのは
老化なのだ。
もしかすると老化と大切なことは同じなのか…
老化は大切なことなのか…
そういえば
三菱一号美術館の周りのイチョウの葉が
午後の光に照らされて金色に輝くのは
美しいと思った
昔はなかった感覚
これも老化なのか
老化とは成長か
成長は大切だ
じゃあ老化は大切だ
死に近づいているわけだ
真理に近づいているのかもしれない

ちょっと待ってくれこんなこと書きたくないんだ
普通に展覧会の感想を書きたいのに
脱線してしまう
本来脱線を良きものとしてきたが
今回ばかりは違う
感想が書きたいのに
これ以上長いと誰も読まなくなる
でもまぁ、そもそも読まれてないか
あーまた脱線する
次の記事でちゃんと感想書こう
ただこう言う描写で私と言う人間が描けていたなら
それは一つの印象派ではないのだろうか

なんつって


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