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「ファッションは自由」は本当か

お洒落好きの常套句

突然なんですが、「ファッションは自由」って言葉、聞いたことはありますか?

よくお洒落な人やインフルエンサーなんかが言ってるイメージです。同じような内容で、「好きなものを好きなように着る」とかありますよね。

結構いろんな方がそんなことをおっしゃっているんですが、結論から言うとファッションは自由じゃないと僕は思うし、好きなものを好きなように着るなんて誤解を招く表現どうなのかなって。なんか正直、インフルエンサーの発言としては相応しくないって思ってしまうんですよね。

「ファッションは自由」の真に意味するところ

正確に言うとすれば、彼らはファッションに関する高い教養を下地に、周りが着こなせないような服を上手に着こなしているんです。彼らはロジックを無視しているわけではなく、むしろ人よりもロジックに精通しているからこそ、一般の人より自由に服を着ていると言えます。要は表現の引き出しの幅が広いんです。

インフルエンサーが支持されるのはなぜか

インフルエンサーって影響力を持った人のことですよね。じゃあ、その影響力はなぜ生まれるのでしょうか。

それは、皆が彼らに憧れ、彼らに従うからです。

じゃあどうして憧れたり従ったりするんですか?

彼らがかっこいいからに決まってますよね、そんなの。

彼らインフルエンサー の「かっこよさ」は、その規模にこそ差はあれ、ある程度の人々の間(彼らのフォロワー)で共有可能なものだから、彼らは支持されるのです。

誰かと認識を共有できると言うことは、何かの論理的な側面があるのとイコールです。でたらめじゃないんです。

であるならば、彼らがフォロワーに伝えるべきは、具体的に意識している着こなしの方法であったり、ブランドとかの知識であったりですよね?

「ファッションは自由」なんて言ったら、フォロワーがそれを鵜呑みにして、好きなものと好きなものをとりあえず合わせて、結果的にうまくいく人といかない人が現れて...その差を説明するのってセンスの有無という抽象的なものだけになります。

ファッションが、センスがいいやつだけのものになってしまえば、ファッションは衰退します。なぜなら、初心者はみんなセンスがないからです。正確に言えばセンスの使い所がわかっていないからです。

センスの正しい使い方

ファッションセンスってのは確かに存在します。センスってのは感覚のことです。それはシルエットの好みや色合わせの好みとなって出現しますが、シルエットや色合わせの知識がなければセンスもクソもないわけですよね。

センスは最後の味付け、とっておきのスパイスのようなものです。大量に使うものではありません。スパイスだけで料理が成立しないように、センスだけでファッションは成立しません。

ここぞと言うときに使うのが、センスの正しい使い方です。じゃあ、どうやってここぞと言うときを見極めるのか。

それは、ロジックや知識を駆使することでなんです。ほとんどの問題は理論や知識で対応して、不要にセンスを出さないんです。そうすることで、より高い次元でセンスを発揮できるようになるんです。その次元が、お洒落な人と普通の人では違うわけです。

どうしてハイブランドの服がかっこいいかと言うと、センスを使う場面の次元がとっても高いんです。今まで積み重ねてきたロジックや知識を総動員してかっこいい服の基本を構築し、その最後の最後、ここぞと言うときに凝縮されたセンスで味付けするんです。だから他の服より深みがあるんですよ。

センスは出し惜しみするものです。みんな簡単にセンス使いすぎです。

まとめ

ファッションは自由ではありません。かっこよく見えるロジック、服の歴史の知識、トレンドの知識、社会的通念の全てに制約を受けています。そして、だからこそこれらを知ることが鍵です。これらは世界の構造を把握するための地図のようなものです。地図があって初めて、目的地やルートを決めることができます。

僕が発信していくのはこの地図です。決められたゴールに向かうレールを示すのではなく、皆が自分だけの目的地にたどり着くための地図を、レールを外れて好きなルートを進むための方位磁針を提供できたらと思っています。

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