「努力」に価値を置く危険性
こんばんは!
皆さんは、「努力」って言葉にどんなイメージを持っていますか?
今日は、先日書かせて頂いた、本の内容から引用しつつ、努力に対する考え方の記事を書きたいと思います!
私は、「努力」って言葉は今まで疑うこと無く良いものだと信じてきていました。
しかし本書では以下のように、その「努力」という言葉にメスを入れていきます。
そもそも「努力」という言葉には、「辛いことを我慢して」というニュアンスが少なからず含まれた用いられ方になっており、一方の「熱中」については、「好きなことに自発的にのめり込んで」といったニュアンスがあります。「努力」を信奉する価値観は、人を資質の乏しい方向に進むように無理に奨励してしまいかねないおそれがあります。
「努力」って言われてみると、その物事を「頑張ってる」イメージっていうのが
くっついてるような感じがあります。
自分の事で振り返ってみると、学生時代の受験勉強や就職活動だったり・・・。
これらの中には、大変な事を「頑張って」
するイメージがあるのはうなずけます。
そういう風に頑張るという「努力」から
のめり込むという「熱中」にキーワードを
移していく事を本書は勧めています。
「熱中」という言葉は、凄い納得感のある
言葉だなと率直に感じました!
このnoteを執筆するという作業も、「努力」だと思うと、「書かなきゃ」みたいな義務感のような気持ちが生まれてきて、段々苦しくなってくる気がします。
しかし、執筆する作業に「熱中」すれば、
そこには、書くことを純粋に楽しむという
気持ちが生まれるので、無理なく続けられる
と思います。✨
このような「努力→熱中」という価値観の
変換は、自分が続けたいと思っている物事に関しては、特に重要な事だと感じました!☺
物事の捉え方一つで、自分の気持ちは大きく変わることを実感しました。
そのため、「苦しい」と感じた時には、
その作業を自分は「楽しめているか?」と
自分に対して問うことで、自分の気持ちの
確認を行う事を意識していこうと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?