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「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」 奥野克巳著 読了


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ジャレド・ダイアモンド氏のいう「昨日までの世界」=狩猟採集民の実態というのは、いろいろなパターンがあるようですが、本書はその内のひとつであるボルネオのプナンの人たちのパターン。

彼らとともに一年以上一緒に生活した文化人類学者が、プナンの価値観というか世界像とわれわれ現代人との違いを浮き彫りにするなど、人間の価値観とは何か?を考えさせられる本です。
ニーチェの「絶対的な価値観はない」という哲学を引用していますが、今の哲学は現代現象学として、だいぶアップデートされてて、世の中は無価値なんじゃなくて、プナンにはプナンの、現代人には現代人の共通了解に基づく価値観があって、それが違うということです。

狩猟採集民族プナンの価値観とわれわれ日本人の価値観とは当然ながら違っていて、その違いのあまりのギャップの大きさを体験できる貴重な本ではないかと思います。

著者自身がプナンの人と生活してヒゲイノシシはともかく、ヤマアラシだとかサルだとかも一緒に食べつつ寝食を共にするのは、ちょっと自分では絶対できません。文化人類学者の恐るべき探究心の情熱には頭が下がります。

私が勉強したり教わったりした範囲では、ニーチェは「神は死んだ」ということで、絶対神含め、カント言う所の「物自体」そのものも否定して「解釈だけがある」と言ったのですが、一方で「力への意志」というものをおいて世の中には「力への意志」というエネルギーみたいなものがあって、人間含めてエネルギーがすべての根源だみたいな感じで「力への意志」に価値をおいて「力への意志というベクトルに向かって生きよ」ということで、決して単純なニヒリズムではなくて、ちゃんとその先にあるものを提示しようとしています。

一方で、ポストモダン思想のように絶対的価値はないんだから「あとはなんでもありだ」という相対主義の哲学から、今は「それぞれの生活世界(いろいろなコミュニケーションの単位)の中にそれぞれの価値観がある」ということで、絶対的価値はないけども、個別の価値はある、という風になっています(もちろん他にもいろんな説がたくさんあります)。

われわれは大人になるにしたがって自分の生きる生活世界の価値観をコミュニケーションの単位(親→家族→学校→仕事場→趣味のサークル&ネットの仮想空間等)ごとに築いていくわけであって、そしてその個別の価値観を完全に内面化させ、無意識的に当然のこととして生きていますが「いやいや狩猟採集民のプナンは私的所有権の概念はないは、挨拶の概念はないは、全く違う意味と価値の世界を生きてますね」という感じです。

本当にこのギャップは相当なものなんで、ぜひ一読して体験してみてほしいと思います。そして「昨日までの世界=原始狩猟最終社会」の一つの価値観として、とても勉強になります。

ヒト属が700万年前に誕生して以降、その中のホモ・サピエンスが誕生した30万年前より、ほとんどがプナンのような価値観だった可能性が高く、そもそも人ってこっちの価値観の方がメジャーでこの価値観にフィットした遺伝子をわれわれは持っているとも言えるのです。

*写真:インドネシア共和国 バリ島 ヌサドゥア


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