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ユダヤ社会とはどんな社会なのか?『ユダヤ人とユダヤ教』市川裕著 読了

<概要>

ユダヤ人とユダヤ教について「歴史」「信仰」「学問」「社会」の四つの切り口からその概要を紹介したユダヤ思想の専門家による新書。

<コメント>

本書を読むと、ユダヤに関する基礎知識が網羅的に把握できるので、ユダヤ入門としては中々の好著ではないかと思います。

歴史に関しては、以前ここで紹介した『物語ユダヤ人の歴史』とほぼ相違なかったので、ある程度、ユダヤ人の歴史は、専門家に共有されているように思います。

以下、いつも通り印象的内容を整理。

⒈生活と密接不可分のユダヤ教

以前『完全教祖マニュアル』の書評「思想編」で紹介したように、信者たちの信仰を深めるためには、宗教が信者の生活の一部に取り込まれることがポイントです。専門的にいうと世俗法も取り込んだ宗教ということ。

例えばイスラーム教では「イスラーム世界」という概念があり、結婚、各種儀式など「世俗法」と呼ばれる日常生活の社会規範によって生活がルール化されている世界。

ユダヤ教も同じで、宗教から切り離された「世俗法」の領域は存在しません。具体的には「ミシュナ」とか「ラビ・トーラー」と呼ばれるルールがあって、このルールに従って生きる人々のことを「ユダヤ人」と称し、「ミシュナ」とはユダヤ人社会そのものなのです。

具体的には結婚・離婚含めた家族に関する決まり、祭日の規定や礼拝の具体的方法、穢れと清め方に関する具体的方法(ここは日本の宗教観に類似)、刑事罰と法廷における裁判の規定、不動産に関する規定、私有財産や寄付に関する規定など、信仰はもちろん、生活に密着する細かい決まりまで網羅しているのがユダヤ教のトーラーから生まれる各種規範。

したがって、これらを厳密に具現化して生活しようとすると、独自の共同体を作って固まって生きるしかその方法がありません。

このミシュナを称して著者は「持ち運びのできる国家」と呼びましたが、ユダヤ人社会が国家かどうかは疑問ではあるものの、どの地域にあっても、どの時代にあってもユダヤ人と称する人たちは、私たち異文化や異教徒(無宗教者含む)と混じって生きていくことができないのです。

もうちょっと深掘りすると、ミシュナにさらに歴代のラビたちが注釈をつけたものがタルムードと呼ばれ、このタルムードをベースに具体的な生活の規範を示したのがハラハー(ユダヤ啓示法)と呼ばれ、ユダヤ人は実際にはハラハーに基づいて生活しているのです

当然ながら私たちの生活は住んでいる時代や場所によって大きく変わるので、その実際の生活に合わせてその都度、神の教えを実践するためにハラハーが必要、というわけです。

さらにラビたちがその判断を補完することで、ユダヤの生活が成り立っているといえます。

逆にこのような独自の文化と信仰を持って生きている人たちが、遺伝や民族に関係なく「ユダヤ人」と言っていいのかもしれません。

⒉ユダヤ神秘主義

くるくる回ってトランス状態に入るトルコのイスラム教メヴレヴィー教団のスーフィズム同様、ユダヤ教でも神秘主義が東欧において浸透。

いわゆるカバラー思想と呼ばれるもので、神との一体化、世界との一体化など、神聖なる至高の存在との一体感を目指すあたりは、汎神論的世界観で、他の宗教や哲学にもみられる特徴。

アシュケナジ系の東欧的ユダヤ教世界では、神への密着としての「ドゥヴェクート」という概念の体現を目指し、雑念が生ずる隙を与えないほどに人の魂が神へ密着した状態になるのが理想とされていたという。

この神と密着するドゥヴェクートという概念は、今では兵役を拒否しているイスラエルのハシディズムを信奉する人々によっても信仰され、密着の精神状態をもたらす恍惚的な祈り、歌や踊りで喜怒哀楽をとことん放出して忘我状態(ヒトラハブート)を創出。

さにシャーマンと似たような感じでアフリカの原始宗教やバリ島ヒンズー教の踊りなどにもみられる、いわゆる「トランス状態」を「神との一体化した状態」として認識しているようです。

⒊ユダヤ人は、どうやって近代化に折り合いをつけたか

このようなユダヤ人社会ですが、イスラーム教同様、そのまま彼らの法律に従って生きると当然ながら近代国家と齟齬が生じます。

基本的に、犯罪だとか家族だとか含めて世俗法といわれる法律は、近代国家が国民の総意に基づいて立法化するもので、近代国家に住むユダヤ人も当然ながら、従わなくてはいけません。

近代国家は、ユダヤ人にとっては、歴史上はじめてユダヤ人を一人の人間として基本的人権を与えた画期的な国家制度である一方で、ユダヤ教の世俗法ではなく、近代国家それぞれの個別の世俗法に従わなければならない、とう問題があるのです。

それでは、ユダヤ人たちは、どうやって近代化問題を解決しようとしたのでしょうか?結果的には以下三つの道に分かれてこの近代国家に対処しようとしました。

⑴ユダヤ教徒として近代国家の法律に合わせて自分たちの社会規範を変える

アメリカを中心に世界中にディアスポラ(離散)しているユダヤ人たちは、近代国家の世俗法に最低限合わせて生活するしかありません。一般的には「世俗的になった」ということ。

⑵ユダヤ教に関係なく自分たちを「ユダヤ人」として民族として再定義し、イスラエルという近代国家をパレスチナの地に建国する

帝政ロシアでは、何度もポグロムという大量虐殺の悲惨な経験をしてきた貧しいユダヤ人たちは、近代が発明した「民族」という言葉に感銘し「私たちはユダヤ人」というアイデンティティをベースに民族の母なる大地パレスチナの地に近代国家を建設しようという運動が盛んになりました。これがシオニズム運動。このシオニズム運動がイスラエル建国につながっていきます。

しかし、このようなユダヤ民族主義は、長い間他の民族と共生してきたユダヤ人社会のあり方を否定することにも繋がるので、すべてのユダヤ人が共感した思想ではありませんでした。

シオニズムという思想は、キリスト教徒やイスラム教徒からみれば、ユダヤ人追放を正当化する概念にもなり、ある意味危険な思想でもあったのです。

結果的にナチスによるホロコースト(ヘブライ語では「ショアー」という)を生む要因の一つにもなったとも思われているのです(本書では「ショアーの要因」とまでは書いていませんが)。

⑶できうる限りハラハーに遵守した伝統的なユダヤ社会を継続する

これが「超正統派」という人たちで、イスラエルの他、アメリカにも少数存在していて、上述のハシディズムを信奉する人々です。各国の法規範は最低限守りつつも、できるだけハラハーに基づいて厳格に生きていこうとする人たちです。

超正統派に関して、イスラエルでは1982年にシャス党という超正統派のラビが主導する政党が台頭し、厳格な宗教法を立法化して国民に強制しようとする動きが生まれます。これらの動きが無視できない存在になり、国際法違反としてのパレスチナ、ヨルダン川西岸地区への入植の活発化や現ネタニヤフ政権のハマースに対する強硬な姿勢を招いていると言われています。

著者はこのような動きに対して「伝統の偶像化を排除せよ」というユダヤ教の用語を使って超正統派の排外主義的な姿勢を批判していますが、日本含め世界的に、このような特に右翼系の排外主義的な姿勢は活発化しているように思います。

まずは民主主義、そして宗教や思想(イデオロギー含む)、という順番になっていないと、排外主義を生んで多くの人々が不幸になる要因となってしまいます。

今のこの世界的な排外主義の動きは「なんとかおさまらないものなのだろうか」と思っています。

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