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カソリックとプロテスタントの教義の違い

以前の「不思議なキリスト教」の紹介でユダヤ教・イスラム教との決定的な違いとして「キリスト教には法がない」ということでしたが、

さてでは、キリスト教のカトリック(ローマの方)とプロテスタントの思想の大きな違いは何か?といったら、それは

「知性で神の存在を認識できるかできないか」

以下、平原卓先生の講義に基づく思想的観点からの整理です。

カソリックは、ドメニコ会の聖人トマス・アクィナスの考えに基づき、神は、神からの恩恵によって人間にもたらされた知性・理性によって神の存在を証明できるとして、最高善としての根本原理たる神を頂点にした因果律による世界像を持っている。したがって人間は理性を使って努力して善行を積めば神に近づける。ただし、神の存在は認識できるが、(不完全な)人間は、(完全な)神が何であるかはわからない。

プロテスタントは、そもそも神の存在は、(不完全な)人間には認識できないし、信仰は理性を超えているので、いくら理性を使っても、神がなんたるかはおろか、存在さえも捉えることはできないとした。したがってただひたすら神の恵に預かるしかないという、信仰オンリー。

カソリックは理性によって神に近づけるのだから、理性に基づく具体的思考と行動を伴った信仰となるが、プロテスタントの方はそもそも理性を使用しても神に近づけるかどうかもわからない。「ただひたすら信仰せよ」ということだから、信者の信仰に対する態度は全く違う結果となる。

なるほどカソリック的に考えていくと、熱心な信者だったというガリレイのように、ひたすら神に近づくために理性を使って神の創造した宇宙の原理を証明しようとしたのはまさに「神の存在証明」みたいなイメージで納得できます。

現代の自然科学者がカソリック信者だとしても何ら違和感は感じません。彼らは神に一歩でも近づくために理性を使って自然の摂理を解明しようとしているのですから。もちろんキリスト教の重要な物語と衝突するところ(特に進化論)だけは例外です。

カソリックとプロテスタントは組織的・宗派的にももちろん大きな違いはありますが、そもそも法・教義の部分で両者には「根本的に大きな違いがある」ということなんですね。

*写真:イタリア共和国 ピサ 大聖堂と鐘楼(斜塔)




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