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言葉を知らなくても人間は生きていけるのか?

<概要>
世界には言葉を知らずに大人になる人がいる。耳の聞こえない人=ろうあ者は、手話という独自の言語を習得する必要があるが、手話を教えてもらえない環境に育った場合、言葉を知らずにそのまま大人になってしまう。

果たして言葉がない人の世界とは?そもそも言葉を知らずに大人になっても言葉は覚えられるのか?耳が聞こえず言葉を知らない27歳のメキシコ人男性イルデフォンソと彼に言葉(=手話)を教えた24歳のアメリカ人女性の数奇なる感動のノンフィクション。

<コメント>
スティーブン・ピンカーの「言語を生み出す本能」で紹介されていた著書。本書の紹介意図は、言語を持たない人でも心的言語を持っているので、人間らしい抽象的概念などを把握できる能力があるということの実例として。

さて本書では、その痕跡が窺えるだろうかと興味津々で読みましたが、ある程度の社会環境の中で育てば、言葉を知らずに育っても人間性は生まれ、言葉のない人だけの人間集団でも人間らしい規範とコミュニケーションが成立するということ。言葉は本能ですが言葉がなくても人間らしい社会生活は可能なのです。

イルデフォンソは、自意識がちゃんと備わっており、固有の道義感を持っていて人がいかに生きるべきか、や他人とどう付き合うかなどについて、彼なりの考えと確信を持っていました。したがって言葉を知らないまま大人になっても仲間とアメリカに不法入国し、農作業などの様々な単純労働をしてちゃんとお金ももらって生活できていたのです。

イルデフォンソの反例として紹介されているのが、有名なアヴェロンの野生児ヴィクトール。1800年に森の中からフランスの小さな村にさまよい出てきた12歳の少年は、イルデフォンソのような人間らしい社会生活を与えられずに育ったためか、道義感は全くなく、欲しいと思うものは何でもひっつかんで離そうとしなかったそうです。

一方で、イルデフォンソは言葉を知らないメキシコ系ろうあ者だけの集団でも生活しており、言葉なしでのマイムや彼ら独自の表現でコミュニケーションをとるなど、この言葉を知らない集団は、言語を持つ人間集団となんら遜色なく規律ある人間集団として長い期間成立しています。

結局イルデフォンソは、著者の献身的な教育もあってアメスラン(アメリカの手話)を習得したことで、言語のある世界を知ったわけですが「言語がなくても人間生活は成り立つ」という驚きの事実を知るに及んで人間の恐るべき可能性に感嘆しつつ読み終えたのでした。

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