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「共感」こそが善悪の原理:ヒューム著『人性論』

私のかつてのカトリック信者の友人の結婚式で、神父が新郎新婦に対して贈る言葉として『聖書』からではなく『論語』から引用したのは、意外なことだったので今でもよく憶えています。

神父は、

己の欲せざる所、人に施すこと勿かれ(人の嫌がることは人にはしないということだ)

(論語 衛霊公第一五)

という言葉を贈ったのです。この言葉は、孔子の弟子「子貢」が「一生涯守るべき価値ある言葉とは一言でいうと何ですか?」という問いに対し、孔子がその答えとして述べた言葉。

この言葉の冒頭に「それ恕か(まあ恕だね)」というのがあるのですが、恕とは「思いやり」みたいな意味ですが、これを一言でいうと「己の欲せざる所は人に施すなかれ」ということなのです。

『人性論』を読む限り、スコットランドの偉大なる哲学者ヒュームの道徳論も、この言葉に尽きるような気がします。

ヒュームは道徳論、つまり何が善きことであり、何が悪しきことであるか、は「共感の原理」に基づく、というのです。

社会の善は自分自身の利益あるいは友人の利益とかかわりがないときには共感によってのみ快さを与えるのだから、共感が、すべての人為的な徳に対して払われる尊厳の源であるということになろう。

『人生論』第三部第一節

個々の性質が自分自身のまたは他人に対して引き起こす直接的な快または不快から、徳と悪徳の区別が直ちに出てくるようにみえるにしても、この区別はまた、これまでしばしば述べたててきた共感の原理ににかなり依存していることがたやすくきづかれよう。

同上

「何が善くて何が悪いのか」は端的にそれは「何」ですとは永遠にいえません。なぜなら、生きる時代や場所・場面によって「何が善くて何が悪いか、は変わっていく」からです。

たとえば誰もが「悪だ」と思われる「人殺し」でさえ、普遍的な悪ではありません。

今の日本を例にとれば、「死刑に値する犯罪を犯した人間を殺す」という人殺しは「悪」ではありません。自衛権の行使も同様です。別の政治権力が日本の領土に攻めてきたときに、その領土を守るべく攻めてきた政治権力の人間を殺すことは「悪しき事」ではありません。むしろ「善き事」です。

人が心地良い、心地悪い、あるいは人が望むこと、人が嫌がること、は、その中身は生きる時代や場所・場面によって違っても、それぞれの社会の中で必ずそういった善悪の基準(=社会規範)があります。

なのでヒュームは孔子同様「何が善くて何が悪いか」ではなく、人の共感するという気持ちにしたがって「善悪は指し示される」としたのです。

これが「共感の原理」。

同時代に生きた哲学者ジャン・ジャック・ルソーが「社会契約論」で

だから人々のうちに正当な権威が成立しうるとすれば、それは合意によるものだけである。

苫野一徳著『社会契約論』第3講より

と言っているのと近い感じもします。「何に正統性があるか」ではなく、その社会の「合意できることに正統性がある」と言ったのです。「中身ではない」のですね。その方法というか、コンセンサス形成の原理なのです。

では何が心地よくて何が不快なのか、それは

いろいろな性質が是認を得るのは、人類の善への傾向ゆえであることが推定されよう。そして、その推定はつぎのことがわかれば確実なものになるに違いない。すなわち、われわれが自然に是認する性質のほとんどが現実にそうした傾向を持ち、人を社会にふさわしい成員にするということ、一方、われわれが自然に非難する性質は反対の傾向を持ち、そんな性質との交わりを危険な、または不快なものとするということ、である

『人性論』第三部第一節

とし、人間は「自然の本性」として社会でうまくやっていこうという性質からではないか、と推定しています。そしてそれは共感の原理からだともしているわけです。これはアリストテレスの「人間は自然によって国家的(ポリス的)動物である」にも通じる考え方ですね。

生物学的にも「社会性一式」という人間の先天的習性が人間を繁栄させたとされていますがこれも「共感の原理」を包含する原理。

また、ヒュームは芸術論に関しても、簡易的ではありますが「共感の原理」によるものと言っています。「美しい」とみんなが共感できるものが美しいものであって「何が美しいか、ではない」ということです。

共感が、美の鑑賞力に大きな影響を及ぼすこと、すべての人為的な徳について道徳的な心情を生むこと、これらは確かである。

同上

この辺りも本当にそうだな、と思います。ファッションみたいに生きる時代や場所によって「何がクールで何がクールじゃないか」は変わっていきます。

芸術も、時代を超えて、美なるものはもちろんあると思いますが、基本的には諸行無常の世の中のように変わっていくものでもあります。これは道徳も同じ。

道徳と芸術が同じ「共感の原理」で説明できる、というのも「なるほどな」と思ったしだいです。

■新海誠監督のインタビューより

エンターテインメントの力は、共感させること、感情移入させることだと思います

共感の原理は今も生きているんですね。新海監督はさらにこう言います。

共感や感情移入が人間社会をちゃんと社会のかたちとしてキープさせ続けている、ぎりぎりの要石のようなものだと思います。

共感の原理が善悪の規範を形成し、人間社会を成立させ、人間の幸福を育むのかもしれません。


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