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大阪の風土:大阪市のエリア分析(核心編)

大阪中心街は、かつては大阪三郷と言って「北船場・南船場」と、日本一長い商店街がある風情ある天満で、大阪の2大繁華街であるキタとミナミは、町外れの墓地と処刑場でした。

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■大阪三郷

大阪城を中心に台地の麓に広がる大阪三郷は、もともとあった秀吉の区割りをベースに徳川家康の外孫にあたる松平忠明が、大坂冬・夏の陣で戦災に遭った大阪の復興によって誕生した大阪の街並み。

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(北浜の綿業会館:2021年11月撮影。以下同様)

忠明は、大坂夏の陣で荒廃した大阪を復興させるため、烏合霧散した町人たちを呼び戻すとともに、秀吉が最後の拠点とした城下町、伏見からも町人を呼び寄せて船場に住まわせます。大阪弁のルーツは伏見町人の話ことば=船場言葉とも言われています。つまり公家の言葉に近かったという伏見町人の言葉が大阪弁のルーツだから、本来の京都弁はもしかしたら大阪弁に近かったのかもしれません(消えゆく大坂の船場言葉より)。

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(北浜のアールデコ:1923年建築の伏見ビル)

大阪三郷は、町民の自治組織として天満組・北組(北船場)・南組(南船場)の三つを指すのですが、これが商都たる大阪のルーツです。

大坂城代-大坂町奉行という形で幕府の行政機関は存在したものの、実質三郷の町人代表が大坂を統治。家光以降、税金も免除されて独自の自治都市として発展。大阪三郷の有力商人の痕跡は今でも残存してあり、淀屋橋の「淀屋」、

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住友財閥の「住友」、鴻池財閥の「鴻池」、朝ドラの「朝が来た」のモデルになった広岡浅子の嫁ぎ先「加島屋」などなど。

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(広岡浅子が関わった大同生命本社ビル)

ちなみに中之島にある壮大なる府立図書館は、住友家の全額寄付による建築

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中央公会堂は、岩本家の基金、

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などなど、大阪商人の心意気の痕跡が今でも市内に残っています。

薬問屋も道修町(どしょうまち)に集積。道修町には、今でも、武田薬品・塩野義製薬・小林製薬・小野薬品工業など、名だたる日本の製薬会社が軒を連ねています。

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■キタとミナミ&ディープ大阪

大阪の繁華街といえば、キタとミナミですが、ここはもともと大阪の街はずれの墓場と刑場のあった場所。そしてミナミの南には、天王寺崖下から西に向かってディープ大阪(※)がひろがります。

※ディープ大阪:上図の飛田・釜ヶ崎・今宮・旧渡辺村あたり

【ミナミ&ディープ大阪】
刑場は昔は見世物だったことから、芸能と縁の深い場所。芸能は人を呼び歓楽街を生み風俗を集積させる。

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そして墓場には寺が隣接し、寺(特に四天王寺)は困窮者を救い(悲田院)、流れ者をよびよせる。流れ者は職を求め、プロレタリア(釜ヶ崎)と風俗(飛田新地)を生む。この連関の中で、ミナミは発展します。これが大坂アースダイバーのいう「生と死の円環たるディオニソス軸」。

寺→墓地→刑場→見世物&儀式(葬儀)→芸能→歓楽街→風俗・プロレタリア←流れ者←悲田院←寺

刑場にかかわる住民は穢れにかかわることから中世以降、見世物としての芸能とセットになって「非人」という概念を生みます(黒不浄)。一方、武具などを制作する武具職人もまた獣の殺生という穢れにかかわることから「穢多」という概念を生み(赤不浄)、これが被差別部落のルーツに。

なかでも武具制作等を営んでいた淀川北岸の北渡邊村住人は、中世以降の穢れ忌避の慣習の誕生から、てんてんと強制移住させられ、最終的には今の浪速神社周辺に行き着いたといいます。浪速神社も、元はといえば坐摩(いかすり)神社だったのですが、名称変更して現在の地に。

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(浪速神社)

ちなみに一方の淀川南岸の南渡辺村住人は、今の座間神社あたりに移住。

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双方とも、もともとは同じ新羅の渡来人のツゲ氏。渡辺氏(渡辺姓のルーツ)に名前を変えて日本有数の姓となっています。

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現在のミナミは、道頓堀川・宗衛門町をボーダーラインとして、「北の心斎橋」「南の千日前・なんば」に分断され、その様相がガラッと変わっています。

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心斎橋側は銀座にも通じる高級感ある街並み。千日前・難波は新宿や渋谷にも通じる雑然とした歓楽街。同じミナミでも全く異なる雰囲気がまたミナミの魅力。

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【キタ】
一方のキタは、商人が接待に利用する町として栄えました。中之島の蔵屋敷でコメの取引をした後、商売人が接待に使う街がないということでつくられたのが「北の新地」。

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特に明治時代以降の阪急・阪神・JR西日本のターミナル化によってキタは、ミナミとは全く異なる発展をみせます。これら鉄道系大型資本の開発によって、太平洋戦争の大空襲後、見事に近代化に成功し、ローカル色を全く感じさせない近代都市として発展。

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大阪府内に限っていえば、高所得者の住むエリアは、豊中市や箕面市・吹田市など、キタの商圏たる北摂地方に集中。関東人からみれば、キタは関東と全く変わらない近代化日本の象徴たる街並みと地下街で面白みはありませんが、もしかしたらキタこそが、本来の今の大阪の姿なのかもしれません。

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