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小学生に「キリスト教って何?」と聞かれて

今、小中学生を対象にした放課後教育みたいなもののボランティアをやってます。

学童保育みたいな感じで、学校が終わった後、ある場所に来てもらってボランティアがマンツーマンで小中学生の宿題や学力ごとの特定の教科書みたいなものを活用した勉強をサポートしつつ、一緒に夕飯のお弁当を食べて過ごす、という取り組みです。

その活動中、直接私に対してではないのですが、とあるボランティアに小学生が「キリスト教って何?」と聞かれて「はて困った」という状況に。たぶんその小学生のキリスト教徒の知り合いが「日曜に教会に来ませんか」みたいな勧誘をされたのではないか、と思われます。

そこで「自分だったらどう答えるだろう。ちょうど今ユダヤ教の勉強もしているし」ということで以下考えてみました。

ノルウェイ:スターヴ教会。2018年撮影。以下同様

キリスト教は「何が正しいことなのか、何が良いことなのか、世界はどんな世界なのか」についての考え方・見方のうちの一つです。

簡単にいうとイエス・キリストという2000年前に生きていたらしい人が「何が正しいのか、何が良いことなのか、世界とはどんな世界なのか」については「神様から預かった教えに基づいて判断しましょう」ということにしました。その具体的な教えが記された本が「旧約聖書&新約聖書」。

地球上には、はさまざまな考え方・見方があって、そのうちの一つがキリスト教の考え方・見方。

ちなみに今の日本国は「啓蒙主義」という考え方・見方で「何が正しくて何が良いのか」「世界はどんな世界なのか」について判断しています。なので学校で習う勉強もすべて啓蒙主義の考え方・見方に基づいて教えられています。

例えば世界中には、キリスト教や啓蒙主義の他にも、さまざまな考え方・世の中の見方があります。

中東などのアラブ社会や東南アジアのインドネシアやマレーシアではイスラーム教、インドではヒンドゥー教、中国では儒教などの考え方・見方をする人が多い。でも全員ではありません。インドでもたくさんのイスラム教の人がいるし、中国にも儒教の考え方に染まっていない人もいます。

当然日本人にもキリスト教やイスラーム教の考え方・見方をしている人もいますし、仏教の考え方・見方をしている人もいます。創価学会の人も仏教的な考え方・見方をしています。

戦前の日本人の場合は、神道と中国の儒教が合わさったような考え方・見方で「天皇は神様で、世界は天皇の祖先が造ったもの」「家族は仲良く、(どんな人であっても)お父さん・お母さんなどの目上の人を敬うように」みたいな感じになります。

このように世界中にはいろんな考え方・見方があるのです。

フィンランド ヘルシンキのウスペンスキー寺院

▪️何が良いことなのか

「何が良いことなのか」については、例えばキリスト教の場合はいくつかありますがその一つとして「困っている人は助けなきゃいけない」という考え方がありますが、啓蒙主義の場合は違います。

啓蒙主義の場合は「困っている人を助けるかどうか、はその人の自由」というようになります。相手の状況が深刻で「助けたほうが良い」と思えば助ければ良いし、相手の状況は深刻でなく、しかも「今は忙しくて助ける時間や余裕がない」ということであれば助ける必要はありません。すべては個人の自由意志です。

儒教的考え方を持っている多くの中国人だったら、良いことの一つとして「おじいちゃんおばあちゃんを大切にすることは良いことだ」と思っているはずですが、啓蒙主義の考え方では「おじいちゃんおばあちゃんを大切にするかどうかは個人の自由」となります。

フィンランド ヘルシンキ 木の教会「カンピ教会」

▪️世界はどうやってできたのか

キリスト教では「この世界はすべて神様が造ったもの」となります。地球も太陽も人間もゾウもライオンも虫もコロナウィルスもみんな神様が造ったものです。

一方、啓蒙主義は世の中は神様が作ったものではなく、宇宙があって地球があって、というのは、たまたま偶然にできたものだし、生き物は特に進化の過程で偶然にできたもの、ということになります。人間も偶然の自然の進化の過程の一つで「たまたま誕生した」ということになっています。

多分、中学に入ると地学の勉強をしますが、そこでも「世界は神様が造った、人間も神様が造った」というようなキリスト教の考え方・見方では教わりません

ちなみにエジプト人などのイスラム教徒の人に「世界は誰が造ったの?」と聞けば、当たり前のように「神様(アッラー)が造ったに決まってるでしょ」となります。イスラーム教徒は世界中に16億人いるといいますから、80億人の世界人口のうち、5人に1人ぐらいは、こう答えるはずです。

ただしエジプトの学校では私たち日本人と同じように啓蒙主義的な世界観も教わるはず(未確認)なので、彼ら彼女らは「啓蒙主義→科学的には世界はこう、イスラーム的には世界はこう」というように世界の見方を分けて考えているはずです。

ノルウェイ スターヴ教会その2

▪️人間社会の決まりごと

私たちが生きている社会について、啓蒙主義の考え方では、私たち人間社会では、基本的に人間は自由で、個人個人のお互いの自由・権利を守るためにみんなの合意を前提にしたルールを作り、そのルールにしたがって私たちは工場などで働いてお金を稼いだり、高齢者を介護してお金を稼いだり、田畑を耕したり、牛や豚・鶏などを飼って食べて生きています、というふうになります。

「仕事は何をしたいか」は自由ですから、資格や学歴、企業や役所側の要望などの条件さえ整えば、就職先との合意の上で自分で判断して就職先を決めることができるのです。もちろん自分で起業して稼いでもいいし、靴職人の弟子になってもいい。

キリスト教では職業に関する決まりは「キリスト教徒を対象にした利息をもらう金融業は禁止」みたいなルールはあります(今は守られていない)。また昔のインドのヒンズー教徒は生まれながらにしてどんな仕事に就くのか、決まってます。カースト制度というヒンズー教の考え方に基づき、生んでくれた親の仕事と同じ仕事をするというルールがあるです。

ちなみに江戸時代の日本も似たような感じです。身分制度があって職業の選択は基本的に自由ではありませんでした。

フィンランド ヘルシンキ「岩の教会」テンペリアウキオ

このように「キリスト教って何?」って小学生に聞かれた時の答えを考えてみたのですが、これでもたぶん難しすぎるかもしれません。

高校生レベルだったら理解できるか、今度知り合いの高校生に確認してみようと思います。

*写真:フィンランド ヘルシンキ大聖堂


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