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思想(哲学と宗教)

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価値観の学問そのものといって良い哲学、価値観そのものといってよい宗教を勉強する事で「価値観とは何か?」に迫りたいと思っています。
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#スティーブン・ピンカー

なぜ哲学を勉強しているのですか?

■他者:なぜ哲学を勉強しているのですか? ■自分:自分は、どう生きるべきか、どう生きるべきでないか?根本的に考えた上で生きたい=行動したいからです。 ■他者:その答えは出たのですか?あるいは出そうですか? ■自分:出ました。 ■他者:答えは? ■自分:「答えはありません」というのが答えです。 ■他者:それでは、哲学の勉強は無駄でしたね。 ■自分:無駄ではありません。「答えはありません」という答えが出たので、とてもスッキリしています。 ■自分:もうちょっと詳しく

『人はどこまで合理的か 下』より 非合理を減らすために私たちができることとは?

『人はどこまで合理的か 下』より、今回でやっと最後章に到達。「なぜ人間は非合理なのか」「社会から非合理をなくすために私たちができることとは何か?」について。 ■なぜ人間は非合理なのか?とはいえ「世界の脱魔術化」は、まだまだ浸透していません。いまだに多く人が魔術に取り憑かれたままです。 ただし過去のブログでも紹介したように、私自身は魔術(ピンカー自身は「神話のマインドセット」と表現)を全否定しているわけではありません。「政治・経済や自然科学・社会科学などの世界に魔術は持ち込

『人はどこまで合理的か 下』より プロスペクト理論・信号検出理論など

<概要>「私たちを導くものは合理性でなければならない」という主張に基づき、下巻は上巻に引き続き、合理性の可能性と限界を解説するための「合理的選択理論」「信号検出理論」「ゲーム理論」「相関と因果」について紹介したのち、非合理に陥りやすい人間の本性と合理性の重要性とそのエビデンスについて最後に紹介。 <コメント>ここからは『人はどこまで合理的か 下』から。今回は「合理的選択理論」「プロスペクト理論」「信号検出理論」。 ■人間は時たまエラーを起こすもののデフォルトは合理的生き物

全人類が学ぶべき道具「ベイズ理論」

引き続き『人はどこまで合理的か 上』からの知見。 今回は、ピンカーが最も有効な合理的思考の一つとして紹介している「ベイズ推論」です。その前に確率論と利用可能性ヒューリスティックについて、興味深い紹介をしているので、まずはそちらから。 ■偶然性・不確実性を数字で認識するよくよく考えてみると、この世の中は、合理的に説明できることの方が希少で、そのほとんどは偶然性と不確実性に支配されていることがわかります。 なので、ソクラテスがいうように「不知の自覚(昔は「無知の知」といった

『人はどこまで合理的か』 論理の限界とその対策

ここからは『人はどこまで合理的か 上』における個別の知見について。 今回は合理性のうち「論理」についての知見。 論理とは、真である「前提」から、真である「結論」を導き出すこと。 哲学の世界では、すでに論理の限界は明確になっていて、古代ギリシャ時代にソフィストがいかに相手を説得するか、に論理を使って自分に都合の良い結論を導き出したり(これを詭弁という)、日本ではオウム真理教が世間を騒がせた時代に「ああ言えば上祐」という、流行り言葉もあったぐらい。 論理の限界について、本

建設的な討論とは?:不健全な「分断」を超えて

討論は何らかの課題に対して、討論参加者たちの知恵を出し合ってより精度の高い結論を導き出そうという方法。 にも関わらず、テレビで視聴するNHKの「日曜討論」や、テレビ朝日の「朝まで生テレビ」などの討論番組では、討論者は自分の主張を補強するばかりで一向に議論が深まることはありませんし、当然合意に至ることもありません。 特に政党を背負った人たちの議論や、自分の学説を前提とした専門家たちの議論は、絶対に合意に至ることはありません。 なぜなら彼ら彼女らは、政治家であれば自分が公約

すべては欲望から始まる『新・哲学入門』竹田青嗣著 読了

<概要>と著者が最終章で述べた内容が本書の趣旨。 著者の大作『欲望論』の概要版として、「欲望論」を「新・哲学」という名に置き換えて出版された新書(「入門」とはいえ、それなりの哲学的素養必要)。 <コメント>竹田青嗣の最新作読了。人によって「哲学とは何か?」が違って当然だと思いますが、そして哲学とは、任意の前提(神、教義、神話、聖人、ウヨク、サヨク等の個別の共同的価値観=イデオロギー)をおかずに理性でもってこの世界を説明する学問のことだと一般に言われていますが、竹田哲学は現