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思想(哲学と宗教)

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価値観の学問そのものといって良い哲学、価値観そのものといってよい宗教を勉強する事で「価値観とは何か?」に迫りたいと思っています。
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2019年11月の記事一覧

メランコリストの行き先「新しい哲学の教科書」

現代に生きる我々はメランコリスト。 近代以前は「信仰の時代」、近代は「自由の時代」、ポストモダンは「ニヒリズムの時代」、そして今は「メランコリー」の時代。 メランコリーとは、そもそも強い意味それ自体を見出しにくくなっている状態。ポストモダン以後、我々は無化すべき対象を見つけることができない。その気になればそれなりに人生を楽しむこともできるが、同時に、ある種の生き難さのようなものも感じている。ならば、現代を生きる私たちの実存感覚はポストモダン世代とは異なるもの。 「何もし

「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」 奥野克巳著 読了

ジャレド・ダイアモンド氏のいう「昨日までの世界」=狩猟採集民の実態というのは、いろいろなパターンがあるようですが、本書はその内のひとつであるボルネオのプナンの人たちのパターン。 彼らとともに一年以上一緒に生活した文化人類学者が、プナンの価値観というか世界像とわれわれ現代人との違いを浮き彫りにするなど、人間の価値観とは何か?を考えさせられる本です。 ニーチェの「絶対的な価値観はない」という哲学を引用していますが、今の哲学は現代現象学として、だいぶアップデートされてて、世の

明治政府によって創造された天皇制

天皇と儒教思想(小島毅著)読了。 日本という近代国家(=ネイションステイト)は、明治政府によって創造されたもの。そして「日本」という概念に国民をフォーカスさせるその手段として天皇制・神道を活用。 実は奈良時代から天皇家の宗教は仏教であって、長い間、神仏が一体化していたのだが、神仏が一体化していてはフォーカスされる被写体がぼやけてしまうので、よりピントを合わせるべく、明治政府は神仏を分離して廃仏毀釈をして、神道をより純化させた。 神道を純化させるにあたって、中国発祥の

何が正しくて、何が間違っているのか

何が正しくて何が間違っているのか? 「自分の発するコメントの信頼の精度をより高めていきたい」 これが私が哲学を勉強する目的の一つだ。 我々は、システム1(反射的判断)、またはシステム2(意識的判断)に基づき、目の前に現れた問題に対して、何らかの判断をし続けている。 その根拠は何だろう。我々はなぜそう判断したんだろう? 企業人であれば「儲かるか?儲からないか?」が判断の基準になって、その判断の根拠も突き詰めるとシンプルだ。そして結果も「数字」という形で出てくるので、そ