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30歳超えたら「昔」と言っても良いじゃない

5年くらい前のことを「昔」というのはさすがに変な感じがするが、
20年ならそろそろ良いのでは?と思っている。あくまで個人の感覚として。

辞書的な定義では具体的な隔たりの期間は決まっていないそうだが、ニュアンスとしては「何かしらの変化が認められる期間」であることだと。
…ってことは5年でも別に良いのだが、やはりさすがに直近過ぎるような気もする。
40~50とかになってもいないのに「昔がさぁ!」とかイキってると恥ずかしい感じがしてしまう。
そんな言葉を使う資格があるほどの熟練者なのかお前は、と。若造が調子乗るなと。

5年前と言うと小は25歳。2018年ということはAIブームが来ており、勉強会とかもよく参加していた。
そのときは仕事でも機械学習系のプロジェクトを結構やっていた。
理論を論文読んで理解するというアカデミックな動きよりも、TensorflowとかKerasを使って実際のコードを書いてああでもないこうでもないとやってばかりいた。
本当はそういうときにもっと論文読みあさったり研究を頑張っていればAI専業エンジニアになれていたのかもしれないが、目の前の仕事でいっぱいいっぱいだったので許して欲しい。

…なんて振り返ってみると、「5年前って結構遠いなぁ」という気がしてくる。
それだけ濃い時間を当時過ごしていたと言えるのかもしれないが、5年という数字は十分に記憶を過去の物にしてくれるのだなぁ。

時間の経過といえば、実家最寄りの駅も、再開発なんかでかなり様変わりした。
小生が小学生中学生くらいの時は、駅ビル内部の商業施設は百貨店の縮小版みたいな構造で、大きい1フロアに床の線だけでいろいろな店を区切って出店していた。
婦人服売り場だったり本屋だったり。
エスカレーターもボロボロで、「顔や手などをベルトの外側に出すと危険です」という自動音声アナウンスもなんだか古くさい。
当時は「中途半端だなぁ、欲しいものが全然見つかりやしない」と不満も多かったが、今となってはあの古さが懐かしい。
昔は駅ビルの階段を上がり改札階に来て直ぐのところにロッテリアがあった。
そのロッテリアの内部には、駅デパートに裏抜けできる細くて狭い通路があり、地味に便利だった。
そういう、後から取って付けたようなつぎはぎのような内部構造。
そういうのも今となっては風情であるなぁと。
今は建て直しレベルの工事の甲斐あって、中はすごくきれいになっている。
ただ、じっくり買い物とかで立ち寄ろうという気は起こらない。


5年前であっても、20年前でも、等しく「昔」と言って差し支えないのをなんとなく理解できた気がする。
どちらもそれ相応の「変化」を以て説明されている。


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