見出し画像

ショート「彼ラハ猫デアル」

 「ももちゃーん、おやすみなさーい」
 夜も更けて、皆が寝静まった頃。仕事着を脱ぎながらモモコ・ヤマモトは現状を憂いていた。
「どうしたんだ、しけた顔して」
 こいつは同居人のミミスケ・ヤマモトである。
「私はあんたみたいに能天気じゃないのよ」
 二人はなんてことないリビングの床に座り込んだ。
「人間を騙して生き続けることについて、考えてた」
「また、その話かい。考え過ぎなんだよ」
 彼女はきっと解決しないことについて長ったらしく思考を巡らせるのが好きなのだ。
 そして彼女は思う、「人間とは本当に馬鹿な生き物だ、猫なんて動物が本当にいると信じているなんて」と。
 犬はいる。兎もハムスターも存在する生き物。当然の認識だ。ただ、猫はいない。猫だと人間が勘違いしているのは彼らの仮の姿だ。
「しかもその話はこの間、俺たちが人間を癒し、人間は俺たちの世話をするウィンウィンの関係ってことで落ち着いたじゃないか」
 ミミスケ・ヤマモトは楽観的で気苦労というものを知らないタチなのだ。
「癒す?人間から食べ物をもらい、昼間から寝ていることが彼らを癒すことになるの?」
「少なくとも、人間側は癒しと感じているさ」
「あなたにはプライドってものが無いのかしら?寝やすい寝床の用意も、便の処理も一方的にされるばかり!」
「お、落ち着けよ」
 ミミスケはモモコに水を飲ませようとした。無論、彼らの飼い主が皿に注いだものである。
「私たちにだって……。何かできることは無いの?」
 モモコの顔は悲哀に満ちていた。
「......いっそのことバラしちまうってのは?」
 あまりの発言にモモコは言葉を失った。
「実は猫じゃありませんでした。それなりに知能はあるので、何か手伝えませんかってな具合に」
 馬鹿にするのも大概にしろ、と言おうとしたがミミスケの顔はいたって真剣である。
 正体を明かす行為。自分たちが楕円形の体に短い手足、小さな両眼の間にアサリのようなクチバシの付いた、よくわからない生き物であることを正直に話すことについてモモコは深く考えた。

画像1


 本当のことを話せば、嘘をついている罪悪感に苛まれる事はなくなるかもしれない。でも彼らが真の姿を受け入れてくれる保証はどこにも無い。
 気味が悪い、と家から追い出されてしまうかもしれない。そうなってしまうと、生活もままならないのだ。
「人間のためにそこまで悩むことができるなんて」
 ミミスケは呆れた様に言った。
「君はお人好しだな」
「人じゃなくて、お猫好し……。まあ、猫でもないんだけど」
「調子が出て来たじゃないか」
 二人の顔から笑みが溢れる。
「もし、私が正体をバラしたとして、追い出されることになったら、あなたはどうするの?」
「そしたら君について行くさ。退屈しなくて、楽しそうじゃないか」
 モモコは彼の性格に腹を立てたことが幾度となくあった。だがそれと同じくらいに助けられてもきた。
「人のことをお人好しと言うけれど」
 自分の頭を忙しなく掻いた。
「あなたほどじゃないと思うわ」
「よせよ、恥ずかしい」
 モモコはその日、ぐっすりと眠れた。
 
「ももちゃん、みみちゃん、おはよう」
 二匹は「ニャオ」とだけ返事をした。その日の朝日はやけに眩しく、体毛がピカピカと光る。彼らはいつも通り、エサと水の置かれた場所へと向かう。
「いいのか?」
 ミミスケが周りに聞こえない様に注意しながら、小声で話しかける。
「これじゃ今までと何も変わらない」
「いいのよこれで。私たちが人のためにできることなんて限られているし。それに……」
 意味ありげに、一呼吸置く。
「自由気ままに過ごすことが私たちの仕事だから」
 モモコの声に迷いは無かった。
「ま、それでいいならいいけどさ」
 彼らは、猫であることに決めたのだった。
 
 と、今回の記録はこんなところかしら。ついに本性を現すか?と思ったけど、私の挨拶に「ニャオ」と返事した時はがっかりしたわ。
「実は……」
 と言いながら猫の着ぐるみを脱ぐところが見られるかと思ったのに。しばらくは猫になりすまして生活するつもりらしいし、気長に飼い主を続けるとしますか。
 彼らは猫である、当面の間はね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?