少年に急にパンチマン(仮)呼ばわりされる夏
「あっパンチマン!!!!!」
数日前、公園近くの交差点で信号を待ちをしていた際、
その突拍子もない単語に振り返ると少年が立っていた。
え?当方パンチマンではございませんでしてよ。
とちょっと高飛車めに思った。
ので周りを見渡してみたが、
少年からちょうど良い距離感の人間がその場に自分しかいない。
パンチマンという単語に思い当たる節が無い。
あの勇気だけが友達という孤高の戦士エンペンメンの言い間違いだろうか。
人が弱ってる時、目の前で自分の顔面は引きちぎらない。
負けないこと投げ出さないこと逃げ出さないこと信じ抜くこと。
ダメになりそうな時はそれが一番大事なのであって顔面を引きちぎらない。
目の前でそんなんされたら誰しもダメになるからだ。
もしくはパンチ一発で全ての敵を倒すワンパンマンの方だったとして、
苗字もサイタマではない。
したがってパンチマンでは無いのだ。
少年はこちらを曇り無き眼(まなこ)で見ていた。
まあ、仮に?仮にだけどな少年よ、
と長渕剛的なスタンスで語りかける(心で)
目の前の公園で毎朝太極拳なり何なりをして、
緩慢な動作ながらもパンチマンとしての頭角を表し、
その業界に激震を走らせていたのであればいざ知らず、
外で腕を前方に突き出すという動作すらここ数年やった覚えがない。
最後に腕を前方に突き出した思い出。
それは7.8年前、地元のスポッチャでローラースケートを履き
内股気味、及び腰で手を前に突き出したあの屈辱以来だ。
「おい四肢が!!!四肢が全てバラバラに!!四肢が!!」
などと言いながらケツを突き出しガタガタと進むさまは、
パンチマンどころか生まれたての小鹿のような心許なさだった。
もう二度とやらない。
(「情けない人」で検索して出てきた絶妙な顔の雪だるまのフリー画像)
最近は業界どころか、
人とも会ってないのでその辺の空気すら揺らしてない。
もはや波風を立てないことに関しては当代随一だよ。
少年はまだこちらを見ている。
良くも悪くも大人は経験則で何に対してもある程度の予測をつけてしまう。
本当はパンチマンなのかもしれない。のか?
なんか子供は大人の本質を見ているとかそういうアレで
実は自分はパンチマンなのかもしれない。
無意識のうちにキレのあるパンチを繰り出し研鑽を重ねた結果、
己の拳はいつしか音速を超えており、
肉体はもはやヒトの視覚では観測できない領域へと達しているのかもしれない。
(移動が速過ぎて靴のゴムが溶けてたXファイルの人並みの移動速度をほこる表参道の男女のフリー画像)
もしかしたら気兼ねなくペガサス流星拳、
いやペガサス彗星拳すら放てるかもしれない。
右手を握ってガッツポーズ的な高さまでゆっくり上げてみる。
パンチマンのトレードマークは拳のはずだ。
拳を見せれば満足するに違いない。
もちろん「貴様ただの子供ではないな?見えるか?この、拳がな…」
などと不敵な笑みを浮かべながらだ(マスクで見えないが)
右手で握り拳をつくった時点で子供は背を向けて公園に消えていった。
全て含めて15秒くらいのことだった。
もう!!だからパンチマンじゃなくってよ!!!!!
少年に心を乱されながらガッツポーズで取り残された大人は、
そう高飛車に思うほか、なす術がなかった。