かわいいと生きる

こんにちは、こんばんはおはようございます。
音楽やっている安藤力です。

マイペースなnoteだからこれでいいんです。
お久しぶりです。

このnoteをはじめるきっかけになった"ぼる塾"が私の地元新潟にロケに行っていました。
新潟を出たのが2005年。
時は2023年になると。
うん、遠くへ来ましたね。


私はポチャッコが好きだ。
もはや説明不要かとも思ったが世代的にピンとこない民もいらっしゃるとのこと。
90年代を席巻したSanrioさんの誇る犬くん、それがポチャッコである。

とにかく子どもの頃からぬいぐるみが好きだ。
最初の記憶は紫色のうさぎちゃん。
鼻はピンク。

私は体が弱かったのでしょっちゅう病院にいって喘息の治療をしてもらった。
子どもの頃は点滴はあたり前だったので注射が怖くないほどには針を刺した。ぶすっ。

その時に病院にミッキーの大きなぬいぐるみもよく連れていった。
ミッキーは自分の身体より少し小さいくらいの大きな子だった。
前述のうさぎちゃんはもっと小さい。
でも子どもにはじゅうぶんなおともだちになれる大きさだった。

もちろんその子はずっとそばにいた。
幼稚園のお泊まり行事でもこっそり連れていった。
夜中に目が覚めてカバンから出して一緒に寝ようとした記憶がある。
綺麗な川の流れる津川というところだ。

戦隊ヒーローももちろん好きだった。
ロボットも欲しかったし、ウルトラマンにもなりたかった。

妹がいたこともありかわいいものは周りにあった。
気がつくとポチャッコはいた。
筆箱、下敷き、体操袋
実は細かくは覚えていないけれどとにかく色んなポチャッコで溢れていたのだ。

ポチャッコのぬいぐるみがここで我が家に来る。
すごく可愛がった。どこにでも連れていったんじゃないだろうか。

その子ではないけれど
イトーヨーカドー丸大のUFOキャッチャー的なもので手に入れた小さいポチャッコ三兄弟もいた。
その子たちを載せる船を図工の時間に作って文化祭に出した。
ということは探せば写真があるのかもしれない。

手のひらより少し大きいポチャッコは贈答品の箱にきれいに収まった。
おばあちゃんの家に遊びに行ったときに、そこにあった贈答品の箱にポチャッコを入れて包装紙にくるんで遊んだ。

その日は泊まった。
夜中になってポチャッコがいないことに気がついた。
夜中と言ってもおばあちゃんも起きていたのでだいたい9時くらいではないか。
おばあちゃんと遊んでいたことを思い出してあの箱はどこ?と尋ねる。

当時田舎ではまだゴミを燃やしていた。
おばあちゃんは申し訳なさそうにした。
うわんうわん泣いた。
ポチャッコが死んじゃったと大泣きした。

しばらくしてクリスマスの時期にかわいいサンタのかっこうをしたポチャッコを見つけた。
赤い帽子とマフラーがかわいかった。

その子は高校生の頃もそばにいた。
晴れた日に天日干ししてあげた。

一軒家の屋根の上。
ぽろぽろー
と足が取れてしまった。
片方はもう見つからなかった。

その後東京へ出た。
なぜかあんなに大切だったぬいぐるみたちを誰ひとり連れてこなかった。

数年後実家は引っ越しをして、
その間に私はとある病気で立て続けに入院していた。
実家の部屋の片付けに帰れなかった。

ポチャッコとはまたお別れになった。
ほかの子たちもたくさんお別れになった。

ポチャッコはここ数年リバイバルでまたSanrioの中でもトップクラスの人気に上り詰めた。
一時期はSanrioショップにすらグッズも少なく、
八千代銀行のイメージキャラクターもキキララに譲ることになる。

ずっとポチャッコを見ていた。
今パジャマはポチャッコである。
生活用品にポチャッコの柄があるならそうする。

ずっとポチャッコと書いてきたが
安藤家にだけ通じるポチャッコの呼び名がある。

"変なあだ名で呼ぶなよ
皆バカップルだと思うだろう"

そういう名前ではないのだけど
これはそういうものなのだ。


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