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【掌編】『寝起き』

 保冷カプセルが開いた。旅立ってからきっかり十年が過ぎていた。置かれた状況を教えてくれる音声ガイドが自動的に再生される。マニュアル通りだ。

『ここは、星系探査船の中です。母星を出発してから十年が経ちました。これからあなたは……』

 音声ガイドを止めた。何回か繰り返されたそれを漸く神経が通った右手を使って黙らせることが出来たのだ。

「ええ、わかっていますとも」

 ”二十歳でこの船に乗り込んだから、今、三十になっている訳ね。” カエデの十年ぶりの呟きは、聞き耳を立てていた AI もかすれ声で殆ど聞き取れなかった。

 もうじきユキコのカプセルが開いて、それから男性が収まっている残り二つが開く。なぜかそういう決まりになっているのだ。
 ”そうね、女の子が身だしなみを整える時間があって良かったわ。”

 皆が起きた後には目的としている星系に到達するまでの長いミッションが待っている。何十年後になるだろうか。適当な星を見つけてそこに降り立つのは、私達の子供達になるのだ。

 とりあえず、溜まっていたメールでも読もう。カプセル横のパネルを操作して新しい順に幾つか読んでみる。

 母からのお別れのメール。父からの……。限りなく光速に近い速度で移動中のこの船と、かの地では時間の進み方が違うのを思い知る。そして、訓練所の同期のムサシからのものがあった。孫を抱いているという白髪の紳士の写真に若き日の面影を見つけると、こみ上げてくるものを抑えきれなかった。一緒に乗り込むはずだった。大好きだった。

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を拭うものが欲しかった。

「くそっ」

 体を自由に動かせるようになるまでもう少し時間が必要なようだ。今できるのは頭を掻きむしる事ぐらいだ。

「タオルぐらい置いとけよ。それから……」

 悪態をつきながらも漸く上半身を起こすことが出来た。すべきことを思いついたカエデはレコーダーを起動すると不満そうに呟いた。

「記録」 『……ピピッ』
 正常に記録されたことを示す反応音を確かめる。

「設計不備をひとつ見つけたわ」

「起きて一番最初に見たいものは」

「鏡よ」 『……ピピッ』

 どっかの爺さんの顔なんかじゃない。



(894文字)

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以上、こちらに応募させていただきます。

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