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短編小説まとめ

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短編と掌編をまとめました。
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#ほろ酔い文学

【掌編】『かがやける未来』

 ビデオの中で拗ねているのは君だった。テーブルの向こう側の椅子に座りちょっとだけ視線をこっちに向けた。 「恥ずかしいんだけどー」僕が構えるビデオカメラに向かって小声で言うと両手で顔を覆う。  このビデオテープを再生して見たのは、いったいいつ以来だろう。友達から借りたビデオカメラが面白くて何でもかんでも撮りまくってた頃だ。少し気持ちを落ち着けて記憶をたどるけど、時間が経ち過ぎてもう思い出せない。  君はおどけてすました顔をして見せる。すぐに噴き出して笑い転げる。手で口を覆

【ショートショート】『ダウンロードファーストクラス』

ボーカルのキイコは見かけによらず酒に弱い。 「アタシやっぱ海外のフェス出るまではやめないからね」 やっと地元の小っちゃな箱でできるようになったばかり。 ハイボール一杯で意識はもう海を越えたようだ。 ちょっとばかりそれに乗ってみる。 「出るとしたらどこにしようか?」 「レディング、リーズにグラストンベリー……」 「キイコ、イギリス好きだね」 「そんなことないよ、ヴァッケンとかコーチェラとか」 「うわあ、最高だね」 キイコが語る前座から上り詰めるストーリーを聞く。 最初

【ショートショート】『Getcha back』

すっかり涼しくなった夕暮れ時の縁側に二人で下駄を履いて座っている。 焼酎ロックが旨い。 「ねえ、私がお嫁に行った時、どう思った?」 「え、もう忘れたよ」 遠くの虫の音が心地よい。 「ねえ、私に振られた時、どう思った?」 「泣きたかったよ。泣く気力さえあったらね」 視線は亡き母の下駄を履く彼女の爪先のまま。 「あの時はそうするしかなかったの」 「もう今更だけどね」 別れてから別々に結婚した。でも今はバツイチ同士並んで座る。 「あたし気づいたの」 「へえ、何に?」

【掌編】『スコーピオ』

洗面所の大きな鏡と向かい合わせにしてもう一枚の鏡を後ろの棚に置いた。 合わせ鏡ができるとその間に洋子と二人で入り込む。 画像を映して鏡の中に仮置きされた光がそれぞれの網膜に届くと同時に、それは合わせ鏡の間を光速で行き来する。そして無限に続くと思われる空間を作り出し、何組もの僕と洋子を合わせ鏡の中に発生させた。そこにいて今、僕らは、無邪気にはしゃいでいる。 ぎゅっと抱き合ってみたり洋子の鼻を摘まんでみたりする。可笑しなポーズで鏡に映るのはシンプルで楽しいものだ。子供のころに

【ショートショート】『ビール傘』

 時々、あるブログページを開いてみる。最新の記事は彼女が前から気になっていたお洒落なカフェに行ってきたというお話。カフェは、かつて僕と暮らした街の郊外にあった。僕にはとても一人で入れない世界が広がるその店の記事は綺麗に撮られた写真も添えられていた。生存確認と言ったら多分怒られるけど元気そうで何よりだ。  あの頃は、二人でなけなしのお金をかき集めてはふらふらと歩いて、食べて飲んだ。淡々とした文章は、彼女の化粧っ気の無い顔と気取らないファッションを思い起こさせた。最後の写真に写

【掌編】『モノクローム』

融け残った雪が日陰を疎らな白にしていた 午後の散歩から帰りコーヒーを淹れながら アイリッシュコーヒーにしようと思いつく コーヒーに砂糖を入れ アイリッシュウイスキーを注ぎ 仕上げに生クリームをたっぷり浮かべる ◆  ◇  ◆ 黒猫を抱いたリカが窓際の椅子に座っている 白い靴下と黒猫のコントラスト ひらひらのスカートから覗く心配なほど細い脚は 膝頭が内側に向いて綺麗なラインを描いている じっと抱かれたままなのに珍しくご機嫌な黒猫は 顎を撫でられて喉をならしている リカの

【掌編】『僕を起こすためじゃなくて』

朝起きてベッドから抜け出す 君からのモーニングコールを待つ 僕を起こすためじゃなくて いつからだろう 君が寝坊しないために 着信音を3回聞いて出る それ以上待つと寝てしまう君が とてもいとおしいから そのまま放っておきたくなるけれど   ◆ 朝七時の着信履歴 懐かしい君からの  「久しぶり。どうしたの?」 「ごめん覚えてない。寝ぼけてたみたい」 「元気にしてた?」 「う...…ん」   ◆ 朝起きてベッドから抜け出す 昨夜飲んだビールの缶を捨てる 君のグラスに少し