見出し画像

PとTでAするPTA

PとTでAするPTA

 これは、PTAについてあたらめて考えるきっかけとなれば、という思いでキャッチフレーズとして使っている言葉です。
 それは、現在の「社会問題としてのPTA問題」の背景として、「PTA」という言葉が「ぴーてぃーえー」と、曖昧に単語として捉えられていることがあると考えているためです。(「P・T・A」か「ぴーてぃーえー」か

PTAの「A」とは何か?

 PTAについて以下のような説明がよく見られますが、「A(アソシエーション)」については様々な書き方がされているものを見ます。

PTAとは
P arenet(ペアレント)「保護者」
T eacher(ティーチャー)「教師・教職員」
A ssociation(アソシエーション)「協会・団体・会・集まり」

 「association」を英和辞典で引くと以下のように書かれていますから、単語の意味として「協会・団体・会・集まり」というのは適切と言えるでしょう。

 association
1.(共通の目的を持って組織された)会,協会,組合,団体,会社,結社連合.合同.共同.提携.関連
2.連合,結合,関連;提携,つながり
3.交際,交友,親交,親密な関係
(略)
小学館 ランダムハウス英和大辞典

 また、「アソシエーション」を国語辞典で引いてみると以下のように書かれています。

アソシエーション【association】
1.結社。共通の関心をもとに一定の目的を果たすために人為的に作られた団体。学校・教会・会社・労働組合・協会など。
(略)
岩波書店 広辞苑

 英和辞典でも国語辞典でも単純に「協会・団体・会・集まり」ではなく、「共通の関心・目的」という条件が「アソシエーション」の意味にはつけられています。
 「アソシエーション」の条件として「共通の関心・目的」を定義したのは、アメリカの社会学者,政治学者である、R.M.マッキーヴァー(Robert Morrison MacIver 1882―1970)です。
 マッキーヴァーは「一定の地域の上に展開される自生的な共同生活」である「コミュニティ」と、その対概念として「アソシエーション」を以下のように定義しました。

・ある特定の関心を追求し、一定の目的を達成するためにつくられる社会組織
・コミュニティーを基盤に個々の共通関心に従って人為的、計画的に形成される結びつき

 この定義に基づけば、PTAとは 「一定の地域(=コミュニティ)」の中で、学校という教育の場を中心に「共通の関心・目的」を持った保護者と教職員で組織される団体がPTAということになります。
 PTAを「ぴーてぃーえー」と、曖昧に単語として捉えるのではなく、「保護者と教職員のアソシエーション」として「共通の関心・目的」を強く意識することが必要だと思います。

PとTで「Aする」とは? 

 PTAの構成要件に創成期の意図を加えて、以下のようなPTAの再定義を提案しました。(PTAとは何か?=PTAの再定義

PTAとは
子どもたちのよりよい教育の実現を目的に、保護者と教職員・保護者同士が、主体的に対等な関係で課題を共有し、その解決に向けて取り組む団体

  PTAの「A(アソシエーション)」に必要な条件としての「共通の関心」は「子どもの教育」であり、また「共通の目的」は「子どもたちのよりよい教育の実現」であることはPTAの構成要件から提案しました。
 それでは、「Aする」とはどういうことなのでしょうか。(「Associationする」という言葉は変ですがキャッチフレーズとしてご容赦ください)
 再定義の中での「Aする」にあたるのは「課題を共有し、その解決に向けて取り組む」という部分です。
 最終的には「よりよい教育の実現」という目的に向けての課題に、保護者と教職員・保護者同士で取り組んで解決することが「Aする」ことになるでしょう。
 しかし、そこまでに至る過程が「Aする」こととして重要だと考えます。
 課題を解決するためには、保護者と教職員・保護者同士で課題を出し合い共有する必要があります。また、それ以前に課題を共有するためには「よい教育とは何か?」を話し合い共有することが必要になります。
 このような「教育」についての認識を共有することこそが「Aする」ことの大きな部分を占めると考えます。
 「よい教育とは何か?」が保護者と教職員・保護者同士で共有されていれば、その学校の教育活動は充実したものになるでしょう。しかし、ここで気をつけなければいけないのはその関係性です。再定義の中にも入れたように「主体的に対等な関係」が必要です。
 学校が保護者に対して教育目標・教育方針を伝えるだけでは、保護者は受け身になり「主体的に対等な関係」とは言えません。また、課題を共有するために保護者と教職員で課題を出し合うためには、「主体的に対等な関係」がなければ一方的な要求に過ぎなくなります。
 保護者と教職員・保護者同士が「主体的に対等な関係」で、「教育」についての認識を共有したり、課題を出し合ったりすることが「Aする」ことだと考えます。
 「よりよい教育の実現」という目的に向けての課題が解決できれば素晴らしいことですが、「教育の課題」は複雑で解決できるような課題は多くはありません。しかし、解決に向けて取り組むその過程で、保護者と教職員・保護者同士の「主体的に対等な関係」が作られていくことが「Aする」ことの大きな意味だと考えます。

PとTでAするPTAとは何か?

 「Aする」とは、目的に向けて課題を共有する中で、保護者と教職員・保護者同士が「主体的に対等な関係」を作っていくことだと考えます。
 「主体的に対等な関係」を志向するPTAであれば、そこに一切の「強制」があっては成立しません。「強制」は「主体性」を認めないことであり、「対等な関係」があるならば、誰かが誰かに強制することは不可能だからです。
 「Aする」中で「主体的に対等な関係」が作られることの最も大きな意味は、保護者と教職員・保護者同士の信頼関係が作られることです。保護者と教職員・保護者同士が信頼関係で結ばれる中で「子どもたちの教育」が行われることは学校にとって非常に重要なことで、PTAの「子どものため」とはこのことだろうと思います。
 「PとTでAするPTA」とは「保護者と教職員・保護者同士の信頼関係」を作るPTAのことだと考えます。

 これを含んで、あらためて「PTAとは何か?=PTAの再定義」を以下のように更新したいと思います。

PTAとは
子どもたちのよりよい教育の実現を目的に、保護者と教職員・保護者同士が、主体的に対等に課題を共有する中で、信頼関係を構築し、その課題の解決に向けて取り組む団体

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?