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「P・T・A」か「ぴーてぃーえー」か
PTAとは?
一般的にPTAがどのように認識されているのか想像してみます。
例えば、学校の先生が
「PTAのお母さんがたには日頃からお世話になり、学校は大変助かっています」
というようなことを言われるのを聞いたことがあります。
ここから想像される「PTAとは?」
その学校に通う子どもを持つ保護者(ほとんど母親)の団体
といったところなのかも知れません。
また、例えば
「PTAは学校の応援団」
といったフレーズを聞いたことがあります。
ここから想像される「PTAとは?」
学校のお手伝いをする団体
といったところなのかも知れません。
つまり、(あくまで想像ですが)一般的に認識されている「PTAとは?」
その学校に通う子どもを持つ保護者(ほとんど母親)が学校のお手伝いをする団体
といったところなのかも知れません。
このような活動をする団体があるのは決して悪いことではなく、あってもいい、あったほうがいいかもしれません(「ほとんど母親」という部分は大きな課題ですが)。しかし現在、PTAで現実に困っている人、苦しんでいる人がいることから「PTA問題」として指摘され、「社会問題」として取り上げられることも多く、PTAのあり方が問われています。
「PTA問題」を解消するためには、さらにはPTAがあってもいい、あったほうがいい団体となるためにはこのようなPTAの認識、すなわち、
PTA = 保護者
PTA = 母親
PTA = 学校のお手伝い
というような認識を一度整理する必要があると思います。
PTAとは「PとTのA」
あらためて「PTA」という言葉の意味を考えてみれば、当たり前のことですが、
PTAとは、
P(Parent:保護者)と
T(Teacher:教師)の
A(Association:共通の関心や目的を持った人々の集まり)
PTAとは「PとTのA」のことです。あらためて、PTAとは「PとTのA」のことだと強調しておきます。
単純に頭文字を強調しただけのようですが、しかし先ほどの一般的な認識(と思われる)に、この頭文字の意味が考慮されているでしょうか?
「PTAのお母さんがた」という言葉の中では、おそらく「T:教師」も「A:アソシエーション」も意識されず、「その学校に通う子どもを持つ保護者(ほとんど母親)の団体」のことを、なんとなく「ぴーてぃーえー」という言葉で呼んでいるように感じます。
それはまるで、ジュースの入ったボトルのことをなんとなく「ペットボトル」と呼び、「ポリエチレンテレフタラート(PolyEthylene Terephthalate)を材料として作られたボトル」の頭文字「PETボトル」として意識していないことと同じような感じがします。ジュースのボトルの素材の頭文字はそれほど意識する必要はないかもしれませんが、実は、PTAが「PとTのA」の頭文字としてではなく、なんとなく「ぴーてぃーえー」と認識されていることが、「PTA問題」に大きな影響を与えていると考えます。
川端裕人氏は2008年の著書『PTA再活用論』の中で次にように指摘しています。
PTAは保護者(Parent)と教師(teacher)の会(association)の略だが、それ以前に「ぴーてぃーえー」、ちょっと年配の方なら「ぴーてーえー」として、完全な固有名詞のように定着している感がある。
川端裕人 『PTA再活用論』中央公論新社 2008, p.4
また、山住正巳氏は1982年の著書『PTAで教育を考える』の中で次にように指摘しています。
Pは私たち親であり、Tは私たちの子どもを学校で教えてくれる先生であり、両者は一つの会の同じ会員でなければならないということをはっきり知って、PTAに参加している人は、PのがわにもTのがわにも、案外すくないのではないか。それどころか、教師のなかには、父母に向かって『PTAの皆さんは……』などということがある。これは自分がPTAの会員であるとの自覚がまったくないことをしめしている。
『PTAで教育を考える』1982 晩生書房, pp.9-10
川端氏、山住氏がそれぞれ指摘しているように、かなり以前からこの感覚があるようです。「PTAとは『PとTのA』である」という立場から考えると、特に、「T:先生」の存在が意識されていないことが問題だと感じます。急いで補足しなければいけませんが、これは「先生もPTAの活動にもっと参加すべき・しなければならない」と考えているわけではありません。あくまでも保護者と先生の「A:アソシエーション」として、そのアソシエーションの形を模索することが大事だと考えます。
今後、「ぴーてぃーえー」という認識のままでいくのか、「PとTのA」と認識するのか。PTAのあり方を考える上でも大きな転換点となるはずです。
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