見出し画像

PTAとは何か?=PTAの再定義

 「PTAとは何か?」 これまでも様々に説明されてきました。
 日本でPTAが作られた時に文部省が全国に配布したパンフレット『父母と先生の会 —教育民主化の手引—』(1947)の「むすび」では以下のようにまとめられています。

学校の児童や生徒の幸福の増進を目的として組織された「父母と先生の会」

文部省 『父母と先生の会 —教育民主化の手引—』1947

 「子どもたちの幸福のために保護者と教職員が協力する団体」という説明は、今も多くのPTAでされているのではないでしょうか。 しかし、この説明では不十分だと考えます。
 「子どもたちの幸福のために」という言葉にはあらゆることを含むことができ、PTAの方向性を示す「理念」としては理解できますが、PTAという団体の目的の説明としては不十分だと考えます。
 「保護者と教職員が協力する」についても、その意味・内容は伝わらず、PTAの実態としても「保護者と教職員の協力」が実質的なものになっていることは少ないように感じます。
 戦後、PTAの設立が進められた時の意図・目的・期待されたことは「先生と保護者が平等な立場に立ち、聡明な協力のもと、児童青少年の福祉の増進に努めるために、教育の民主化と成人教育の推進をする団体」でした。(PTA創成期の目的とは
 しかし、実際は戦前の「学校後援会の看板塗り替え」とも言われたように、その意図は実現に至らないまま、現在は「PTA問題」として、そのあり方が社会問題として取り上げられています。
 PTAが今後も存続していくためには、この設立の意図も踏まえた上で、あらためて今の「PTAと何か?」を考え再定義し、説明できるようにしていく必要があると考えます。
 全国のPTAにはそれぞれの地域性や経緯などもあり、一概に定義できるものではありませんが、PTAについて理解が進むような、より明確な説明のためにも、できる範囲で一定の再定義の必要性を感じています。

PTAの再定義:構成要件から

 まず、PTAの基本的な構成要件から再定義を試みたいと思います。
 法律でPTAを定義しているのは「PTA・青少年教育団体共済法」だけのようです。
そこでは以下のように定義されています。

「PTA・青少年教育団体共済法」
(定義)
第二条 この法律において「PTA」とは、学校に在籍する幼児、児童、生徒若しくは学生の保護者及び当該学校の教職員で構成される団体又はその連合体をいう。

 この定義をきっかけに考えてみたいと思います。
 PTAの基本的な構成要件は当たり前のことですが「学校」です。 それぞれの「学校」を離れて「PTA」は成立しません。 その「学校」に子どもを通わせる「保護者」と、その「学校」に従事する「教職員」で構成されるのが「PTA」の構成要件です。
 「PTA」を構成する、その「学校」の「保護者」と「教職員」は、それぞれ「家庭」と「学校」で「子どもの教育」を担っていて、この二者の共通点は「子どもの教育を担うもの」であるということです。PTAは「子どもの教育を担うもの」で構成されています。
 PTAは「子どもの教育を担うもの」という共通点を持つ人たちで構成される団体ですから、この団体の中心的な関心・課題は「子どもの教育」になるでしょう。
 PTAの「A」は「アソシエーション(Association)」の頭文字ですが、「アソシエーション」とは「ある特定の関心を追求し、一定の目的を達成するためにつくられる社会組織であり、コミュニティーを基盤に個々の共通関心に従って人為的、計画的に形成される結びつき(R.M.マッキーバー)」のことです。
 PTAとは、保護者(P)と教職員(T)が「子どもの教育」という共通関心で主体的に結びつき、「よりよい子どもの教育」という目的の達成を目指す団体(A)と、その構成要件からいえるでしょう。
 「よりよい子どもの教育」という目的の達成を目指すには、「よりよい子どもの教育」とは何か?を話し合い共有することが必要です。また、現状の課題の共有も必要になるでしょう。課題が共有されればその解決に向けた取り組みが「よりよい子どもの教育」という目的の達成につながります。
 以上のことから、PTAの構成要件からは以下のように再定義したいと思います。

PTAとは
子どもたちのよりよい教育の実現を目的に、保護者と教職員で課題を共有し、その解決に向けて取り組む団体

創成期の意図を振り返る

 このPTAの構成要件からの再定義を踏まえて、設立が進められたPTA創成期の意図を見てみたいと思います。
 『父母と先生の会 —教育民主化の手引—』(1947文部省)の「一、趣旨と目的」には、「子供達の教育が充分に実を結ぶように、家庭と学校と社会とがお互いに密接な関連を持ち、課題を共有し、その課題の解決に向けて強力に活動をする」ということが書かれていて、「再定義」と同様のことが書かれていると読み取れます。

『父母と先生の会 —教育民主化の手引—』(一九四七年三月文部省)
一、趣旨と目的
 子供達が正しく健やかに育って行くには、家庭と学校と社会とが、教育の責任を分けあい、力を合わせて子供達の幸福のために努力していくことが大切である。(略)
 子供達のためにつくすのは、まず子供の生活や気持や性質を充分に理解することが必要である。それから子供達が学校でどんな教育を受けているか、学校の外でどんな日常生活を送っているか、つまり、子供達が生活している環境を知らねばならない。学校で教えられ、しつけられたことも、社会が悪ければ、つぎからつぎにうちこわされていって先生の努力も空しくくずれていく。家庭は子供達がその生活の大部分を送っているところであるから、そこで子供達が受ける影響は非常に大きい。ところが現在の実情はというと、この子供達に影響を与えるこの学校、家庭、社会という三つの場所がお互に密接な関連をもたず、みんなばらばらになっていることが多い。
 これでは子供達の教育が充分に実を結ぶことは出来ない。この三つの場所がお互に連絡し、子供達に与える影響を考えあって補い合うことが何よりも必要である。そして子供達にいろいろ要求するのみでなく、子供達の幸福のためにどうすれば一番よいかを真剣に考えてその実現に努力して行く、必要とあれば子供達の保護のための法律や規則を、国や公共団体につくってもらうように請願する。必要な施設を増設してもらう、娯楽や厚生の仕事を進めてもらうとかいうように、強力に活動をする責任があるのである。(略)

文部省 『父母と先生の会 —教育民主化の手引—』1947

 先の「構成要件からの再定義」では「社会」を含みませんでしたが、課題の共有を「社会」に広げ、その解決に取り組んでいくことが必要なこともあるでしょう。

 PTAの設立が進められた時の解決すべき「課題」とは「教育の民主化」だったことが当時の資料を見るとわかります。
 学校とそこでの教育に、保護者が主体的に関与するための場としてPTAが作られるのとともに、「民主主義を学ぶ」場としてのPTAが期待されていました。

『父母と先生の会 —教育民主化の手引—』(一九四七年三月文部省)
六、「父母と先生の会」ができるとどんな利益があるか
(3) 民主主義の教育が理解できるようになる

 このたび学校制度が改革されることとなり、民主主義国家にふさわしい学校教育が行なわれることとなった。従来の学科目の内容も変り、教科書も新しく書きかえられ、討論法や自由研究が取り入れられ、学校放送や其他の新しい教授方法が大に利用されることとなった。また希望する学校において男女共学が実施されることとなった。こうして父母がかつて習ったのとは異った学校教育を今の児童生徒は受けているのである。そこで教育に理解をもち、学校の先生と教育の責任を分かち合うためにもどうしてもこれから行なわれようとしている教育内容や方法への理解を深めていくことが必要となってくる。(略)
(4) 自分達の知識や教育を身につけることができる
 子供達の新しい教育を理解するには、父母が集まって研究したり、見聞を広めたり、討論しあって、自分たちの知識なり、教養なりをたかめていかなければならない。民主主義日本を建設するには、国民全部が民主主義とはどういうものか、民主主義的な生活とはどんな生活かを理解するために勉強することが肝要である。(略)

文部省 『父母と先生の会 —教育民主化の手引—』1947

 「学校の先生と教育の責任を分かち合うために、民主主義を学び、新しい教育について理解を深める」ということが、「教育民主化」という課題に向けての取り組みと考えられています。
 
 ちなみに、「父母がかつて習ったのとは異った学校教育を今の児童生徒は受けているのである。そこで教育に理解をもち、学校の先生と教育の責任を分かち合うためにもどうしてもこれから行なわれようとしている教育内容や方法への理解を深めていくことが必要となってくる」というのは、まさに今のGIGAスクールなど、保護者の世代とは異なった学校教育に転換されようとしている状況と重なるものです。学校教育の内容や方法について保護者が知ることは「学校の先生と教育の責任を分かち合うためにもどうしても」必要なことだと思います。

 また、「教育民主化」の一環としてのPTAの結成は、戦前の「学校後援会」や「父兄会」、「保護者会」などの保護者と学校・教員との関係の転換が大きなねらいでした。

『父母と先生の会 —教育民主化の手引—』(一九四七年三月文部省)

二、「父母と先生の会」をつくろう

 学校と家庭と社会とが一つになって子供達の幸福のために尽していく組織が必要となって来るし、このような組織が出来上って始めて子供達のための仕事が具体的に進められるのである。今迄も学校との間には、それぞれ父兄会とか母姉会とか、後援会とか、保護者会とかがあって、学校と家庭とのつながりを持つことに努めて来た。定期的に学校へ集って子供達の教育やしつけの話を聞いたり、授業の参観をしたり、その他子供達のことで打合せなどをしているが、それらの多くのものは学校設備や催しの寄附や後援をすることがその主な仕事であって、本当に子供達のための仕事をしていくことが少なかったように思われる。学校の先生方からいろいろ説明をきき、注意をうけ、依頼をうけるという具合で、父母の方は常に受身になっていて、積極的な活動をすることに欠けていたと思われるのはまことに残念なことである。
 そこでこれからは、今迄の父兄会などのやり方を充分反省し、父親も母親も一緒になって、もっと実際的に力ある立脈な組織を作る必要がある。それには今迄の父兄会や母姉会や後援会等をどうすれば生々としたものにすることが出来るかを父母や先生が充分考えることである。先生が中心となった会ではなく、先生と父母が平等な立場に立った新しい組織を作るのがよい。これが「父母と先生の会」である。
 各国民学校や中学校にこの会が設けられて、子供達、言い換えれば、児童生徒の問題が、真剣に取り上げられるようになればどんなによいことであろうか。

文部省 『父母と先生の会 —教育民主化の手引—』1947
 「今迄の父兄会などのやり方を充分反省し、父親も母親も一緒になって、もっと実際的に力ある立脈な組織を作る必要がある」
「先生が中心となった会ではなく、先生と父母が平等な立場に立った新しい組織を作るのがよい。これが「父母と先生の会」である」

とあるように、戦前までのような「上下関係」ではない「対等な関係」で、保護者が「主体的に学校教育に関わる」ことが目指されていました。
 保護者と教職員で課題を共有するためには、一方的な課題の提示ではなく、それぞれの感じている、考えている課題を主体的に出し合い、それを尊重していく必要があります。「主体的な関与」と「対等な関係」はPTAにとって非常に重要なポイントだと考えます。
 PTA創成期から指摘されてきた「『関係の問題』としての『PTA問題』」(「PTA問題」・「PTA不要論」の変化)もこの点にあります。
 保護者の「主体的な学校への関与」、保護者と教職員・保護者同士の「対等な関係」を目指して作られたPTAでしたが、結成が性急に進められたため「学校後援会の看板塗り替え」と言われるような「関係」を残して出発してしまいました。
 「対等な関係」を作ることができず、学校と保護者、保護者同士での「上下関係」が残ってしまっていることで、近年の「『強制の問題』としての『PTA問題』」も起きています。「対等な関係」であれば、誰かが誰かに何かを「強制」することはできません。

PTAの再定義

 PTAの構成要件からの再定義に創成期の意図を加えて、以下のような再定義を提案したいと思います。

PTAとは
子どもたちのよりよい教育の実現を目的に、保護者と教職員・保護者同士が、主体的に対等な関係で課題を共有し、その解決に向けて取り組む団体

 この再定義を前提に、それぞれの学校で課題を出し合い、その解決に向けて必要なことを話し合い、取り組んでいくことがこれからのPTAのあり方を変えていくことにつながるのではないかと考えます。
 戦後のPTA創成期には「教育の民主化」という大きな転換点があり、国全体を上げての共通の課題があったと言えるでしょう。一方、現在の「教育の課題」は共通のものもありながら、学校によって様々でしょう。その時の課題、その時にいる人によって、解決に向けた取り組みのアイディアも様々なものが出てくるでしょう。例えば、「子どもたちのよりよい教育」のために地域の人たちに関与してもらうことが必要になることも出てくるかもしれません。
 大切なことは、保護者と教職員での課題の共有をコアとして、その課題の共有を広げていくことだと考えます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?