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折坂悠太「星屑」をしっかり聴いてみて感じたこと

自分のお気に入りの曲をもっと深く理解してみようと思い立ち、たまたまその時聴いていたのがこの曲だった。
書くためにじっくり歌詞を見るまでの印象は、子守唄の様に優しい雰囲気がなんとなく好き、程度のものだった。あらためて歌詞を見てみると、厳しい状況にあるシングルペアレントの心境や、親子の愛を感じとれる曲だということがわかった。実際この曲は、夜の仕事をしているシングルマザーが子を預ける、夜間保育園の記事を読んだことをきっかけに作られたらしい
似通った経験を持つ自分はこの曲にとても共感でき、思い入れが強いものになった。自分の思い出を交えつつ、以下に歌詞の解釈や感想を書いていきたい。

眠れぬ街 呼ぶ声を袖に
早足で歩く あの子を迎えに

「星屑」

繁華街で働き終えた親が、キャッチやナンパを躱して子のもとに向かっている。誰か頼りになる人の所か、記事通りなら夜間保育所か。自分の場合は自宅だった。小学生の時から数年、母と二人で暮らしていた。シングルマザーになった母は、昼は派遣の会社員、夜は居酒屋のバイトで生計を立てた。そのため、帰宅が深夜になってしまうことが多々あり、一人で家にいることが多かった。一人で留守番をできる年頃ではあったが、少し寂しく、テレビをつけて眠りについた日々を覚えている。あれから時を経て大人になって、想像力も程々についた。自分と母くらい歳の離れた弟や妹もでき、実際に子を持つ気持ちとは遠いだろうけど、似た様な気持ちも感じる様になった。あの時の母の心情を想像すると、早足になる気持ちがわかる。誰かに預けなければいけないほどの歳の子なら、なおさらだろう。

優しい顔しないでいい ただ
眠っててほしい 私を待たずに
私を忘れて

「星屑」

道中、親の後ろめたい心境。子どもには一切非がなく、辛い目に遭っているのに、親に健気な笑顔を向ける。親に会えた喜びや安堵が、そうさせるのだと思う。その優しさが寧ろ痛く、辛いのがわかる。
起きている間、子は親をずっと待っていて、その寂しそうな姿を想像すると、なお辛い。だから「私」を待たないように、その時だけでも忘れていられるように、眠っていてほしいと願っているのだろう。

星屑や 光落とせよ
街のひと隅 この子らのもとへ

「星屑」

「私」の優しい願いの一節。「この子ら」ということは、やはり夜間保育園で、同じ様な境遇の子たちを多く見たのが察せられる。その子らの元にあってほしい光とは何なのか。星屑程の小さな、ささやかな願いだろうか。親を待つ子たちが、早く親に会える様にという願いや、その子達に幸せになってほしいという想いが頭に浮かぶ。自分の子だけではなく、その場にいる子たち全員を包む「私」の優しさを感じる。
(でも、「私」だけでなく、その光景を見た親ならきっと、みんなそう願うはずだとも思う。)

家路につく ひとはうつむき
眠い目をこする 君の手をひいて

疲れた顔 見ないでいい ほら
聴かせてほしい 漫画のあの歌
覚えたての歌

「星屑」

帰り道の風景。人の描写がわざわざあるということは、まだ人だかりの多い道中なのか。まだ繁華街の近くなのかもしれない。時刻は、夜も遅く、夜半頃を想像してしまう。(もし、ここでのうつむくひとが眠らない街の人間のことなら、帰路についているのは夜明け前かもしれない。)いずれにせよ、普通の子はもう家にいて眠っている時間に、大人にまじり手を引かれて帰る姿は突飛に思える。
子が親の顔を見ながら、しおらしく歩いている。幼い頃から厳しい環境(色々なベクトルがあると思う)にあった子は、同年齢の一般的な子よりも、親の気持ちを察し、気遣おうとする気がする。現実的な大人の世界を、否応なしに見せつけられ、早い段階で触れざるを得ないからだと思う。遅い時間の帰宅は、それが垣間見える一端だろう。そうして大人の振る舞いを覚え、子どもが子どもらしく振る舞うことができないのを見るのは、親にとって辛いことだと思う。

星屑や ここを照らせよ
暗がりの道で 転ばぬよう

星屑や 光落とせよ
街のひと隅 この子らのもとへ

おいでおいで この腕の中
流れ星落ちろ 君の目に落ちろ

「星屑」

人の気配も消えて、街灯の乏しい道を歩いているのか。暗がりの道とは、辛い人生を歩ませている事の喩えにも聞こえる。そんな人生を、照らしてくれるように望んでいるのかもしれない。
親子は家につき、子を抱き寄せようとしている。この流れ星は、子の涙を指しているのだと思う。窓から差し込む夜明かりが、頬を伝う涙に反射して、流れ星の様にきらりと光る。そんな涙を流して欲しいと願っている。この子は冒頭からずっと「私」を気遣い、迷惑をかけない様に行動してきた。優しくて賢い子なのがわかる。ここでも泣いたりすることはなく、ずっと我慢して眠ってきたのだろうし、今夜もそうするはずだ。そんな子を見て「私」は、子どもの様に泣いてほしいと、祈っているのではないだろうか。


終わりに


歌詞だけを見ると随分哀愁を感じるが、只々悲しい物語というわけではない。親子の辛い日常や、子の境遇に対する心苦しさや後ろめたさの他にも、親子の深い愛を感じ取ることができる。また、優雅で柔らかい雰囲気が曲全体に漂っていて、子守唄の様な優しさと相まり心地良い。そうした要素によって、単に悲劇的な物語なのではなく、この親子が、悲喜交々の日常を過ごしている(いく)のが想像できる。

これまではなんの気なしに聴いていたが、歌詞の意味を自分なりに解釈して曲の世界観をより想像できる様になったことで、この曲を聴く楽しさが一段と増した。こういった経験は今までになく、新しい音楽の楽しみ方を知れたので、機会を見て他の曲でもしてみようと思う。


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