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【翻訳】機会の均等 vs エルゴード性

 スタート時の条件が違えば、さまざまな職業に就く確率も違ってくる。
 その確率は生まれつきの才能によるものだと言う人もいて、それはそれで正しいのかもしれないが、ここでは環境的な側面に注目したいと思う。具体的には、「機会の均等」という考え方だ。

 まず、現状を説明することから始めよう。簡単にするために、職業は2つしかなく、お互いに結婚しており、大工の親と数学者の親しかいないと仮定する。
 このことは、スタート地点や職業の数だけ一般化されることはすぐに明らかになるだろう。
 下の図では、大工(や数学者)の両親から生まれた人が、大工になる確率は0.6%(0.3%)、数学者になる確率は0.4%(0.7%)となっている。

 私が解釈するところの"機会の均等"では、この写真は機会の均等がないことを示している。
 ここで機会の均等が達成されるためには、両方の状態からの移行確率が等しくなることが必要である。
 これは機会の均等という概念を正しく表現していると思う。

 また、これがなぜひどい考えなのかというと、家族の廃止を意味するからだ。
 親が自分の職業について、子供にほんの少しのエッジも伝えられないとは。
 親が子供を無茶苦茶に放置しているか、子供が親から没収されているかのどちらかだろう。

 このことは、数学(大工)の家系で数学の親和性を持つ子供をMMA(CMA)、数学(大工)の家系で大工の親和性を持つ子供をMCA(CCA)として下で表しているように、子供の自然界の親和性が異なっていても同様であることは明らかだろう。
 生まれつき数学の才能がある子でも、数学家系の才能ある子と同じ確率で数学者に移行することはできない。
 少し専門的な話になるが、各職業への移行確率の合計が等しくない場合、一部の職業は徐々に絶滅していくことは明らかだろう。

 これは、合理的な秩序を構築しようとする病気の一部であり、このように人間が構築したもののほとんどが定常性という特性を持つことになる。
 合理的な構造は、共感を装って多様性を破壊する傾向がある。
 これらの構築物は、人間が持っている遺産への攻撃であり、中でも家族は最も重要なものである。
 これは人間に備わった知性の問題であり、たまたま静止した構造の方が簡単に作れてしまうのである。
 しかし、考えが深まってくると、自分たちの継承に沿った原則をより明確にすることができるようになる。
 直感と一致するまで合理的に組み立てようとする傾向を抑えるようにすれば良いのである。

 要するに、機会の均等は次の2つのうちの1つを保証している。機会の多様性が低いか、あるいは多くの凡庸さが残るか。

 誰もが等しくすべてのものになれる確率があるということは、問題となっている職業がわりと簡単に学べるものであるか、あるいは誰も優位に立てるほどのものを学んでいないということになる。
 機会の均等よりも良いアイデアは、富のエルゴード性である。
 この考え方はいたってシンプルで、ようは富の分布を収束させたいのである。

 簡単にするためにここでは1つの階層しか移行できないと仮定しているが、この考えは1回の移行に依存しているわけではない。
 そこで、エルゴード性の基準は何かを提示することができる。
 例えば、p2>p1、p3>p2のように、上位に行く確率が富に応じて減少することである。
 技術的には、ここでいうエルゴード性とは、富の分布がモデル化できることを意味する。
 つまり、金持ちが貧困層よりも早く金持ちになってしまうと、分布がある種の爆発(連続性を失う)を起こしてしまうのである。

 規範的な基準として、学識経験者が分布をモデル化できるかどうかにこだわる理由は明確ではないが、少なくともこの基準は「機会の均等」のような概念よりも多様性を許容しており、おそらくより重要なことは、家族の廃止を求めていないことである。

 ここで最も明らかな問題は、「富」という尺度で何を指しているのかが明確ではないことである。
 富が物理的なものを測定するのであれば、明らかにゼロサムの世界か、人間が物理的な消費を無限に拡大できるかのどちらかになる。
 しかし、アンナがハロウミを持っていてもブルーチーズを好み、ボブがブルーチーズを持っていてもハロウミを好む場合には「富」という尺度で何を指しているのかを明確にすべきである。
 明らかに彼らが交換すれば、物理的な富の総量は変わらないが、より多くの価値があるだろう。
 つまり、富は非物理的なカテゴリーであると解釈できる。

 しかし、それならば、物理的な富が少ない方が誰かのためになるということもあるだろう。
 つまり、その基準は規範的な力を失ってしまうのである。
 いずれにしてもこのエルゴード基準はそれほど素晴らしいものではないと思うが、それでも機会の均等よりはヒューリスティックに優れている。

注:ここではエルゴード性という言葉をかなり大まかに使っているが、要点は伝わっていると思う。
このブログ記事のアイデアは、より厳密な定義をしているこの論文

から来ている。

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