【翻訳】遡及に反する道徳法則/Pat Smith
事後法は、弁護士にとって厄介な問題を提示する。
一方では非常に便利である--法律に問題があることが発見された場合には特に--が、他方では、ナチス・ドイツのような専制国家のお気に入りの道具でもある。
特に17世紀から18世紀にかけての英米の伝統の中で、刑罰の文脈では好まれていないが、この問題は20世紀の法律学、特にロン・フラーの研究の中で、依然として存在している。
しかし、事後法に対する非難は、ユスティニアヌスとグレゴリウス9世の『リベラ・エクストラ(Liber Extra)』にまで遡る古典的な法の伝統に深く根ざしており、実際、古代ローマにまで遡って、この概念を非難する記述を見つけることができる。
事後法、そして事実上の遡及的行政規制は、弁護士や裁判官にとって厄介な問題であり続けていることを考えると、この伝統は、この問題を検討するための十分に活用されていない情報源を提供しているといえる。
それ以上に、リベラルな法学は、その効果だけでなく、その起源においても、根本的にリベラルであるという認識が蔓延している。
つまり、自由主義は、自由主義を確保する法律学的原理を発展させてきたのである。事後法の禁止は、特に明確な例のように思われる。
実際、ナチスドイツと事後法との間によく描かれる関連性は、ゲームの内容を明らかにしている:つまり、専制的で全体主義的な国家が遡及法を好むのは、それが国民を恐怖に陥れるからだ。
しかし、自由民主主義国家はそのような法律を必要としない(もちろん、彼らがそれを必要とする場合を除いてであるが)。
古典的な伝統は、狭い例外を除いて、このような法律を非難することで、自由主義が持つこのような自己イメージを覆している。
ユスティニアヌスが完全に自由主義者であると非難する人はいないだろうが、ユスティニアヌスの『ローマ法大全(市民法大全/Corpus Iuris Civilis)』の至るところで、遡及性を非難しているのを見ることができる。
同様に、ユスティニアヌスの制定法をそのまま採用したグレゴリウス9世も、一般的には原初のリベラルであるとは考えられてはいない。
英米の伝統では、遡及的な刑法(事後法)に対する厳しい非難を容易に見つけることができる。
おそらく最も厳しいのはホッブズの『リヴァイアサン』の第28章で、ホッブズは処罰行為の様々な欠陥について概説している。
その中でホッブズは、事後法(遡及的法)による処罰は全く処罰ではなく、「敵対行為」であると述べている。
ある行為がなされた時点でそれを罰する法がなければ、法を犯すことはできない。
序章の第二節においてBlackstoneは、法律を公布するという要件と、事実上の法律を禁止することとの間には本質的な関連性があると見ている。
Blackstoneは、公布の欠陥のひとつとして、不合理な方法で法律を公布することを挙げてる。
彼は事後法を「さらに不合理なもの」と呼んだ。なぜなら、法律は行為が起きてから罰するものだからである。
Blackstoneによれば、法律は未来的なものでなければならず、発効前に気づいていなければならないのである。
しかし、Blackstoneが公布と遡及性を結びつけたのが斬新だったと考えるのは間違いである。
聖トマス・アクィナスは、彼の通常の定義 (公権力を持つ者によって公共の利益のために命じられた理性の条例) に加えて、法の必須要素として公布を挙げている。
実際、アクィナスにとって、法律が効力を持つためには公布が必要なのである。
アクィナスはBlackstoneとの関連を興味深い形で先取りしている。
アクィナスが見ている異議の一つは、法律は未来に効力を持つが、公布は現在の人にしか関係しないということである。
彼は、イシドールスの法の定義を頼りにこれに答えている:すなわち、書かれた法律は永続的な公布として機能するので、公布は未来にまで及ぶーー結局のところ、イシドールスにとって、法(lex)という名は、それが書かれている(legere)という事実に由来している。
公布が法の必要な要素であるというアクィナスの考えが伝統から出ていることは、簡潔に指摘しておく価値がある。
例えばグラティアヌスは、「儀式は公布されたときに制定される」(D.4 d.p.c. 3)と主張している。
彼はさらに別の条件を付け加えている。"それは、「それを守る者の使用法によって承認されたときに確定される」というものである。
アクィナスはこの第二の条件を明示的に付け加えていないが、確かに法の源であり解釈者である慣習について論じている(ST I-II q.97 a.3)。
ここでは、D.4におけるグラティアヌスの慣習の扱いをアクィナスのものと比較するべきではない。その代わりに、アクィナスは、法には公布が必要であると結論づけている点で、グラティアヌスに従っていることに注目したい。
いずれにしても、イシドールスの定義を特に説得力のあるものと感じるかもしれないし、 感じないかもしれない。しかし、アクィナスの反論と議論は、伝統のまさに中心に位置付けられている。
異論は、ヴァレンティニアヌスとテオドシウスがプラエトリア総督・領事指定のキュロスに宛てた詔書を集めた『ユスティニアヌス写本』(Codex of Justinian)にかかっている。これは、「法律や憲法は、将来の事件のための規則を作成するものであり、現在も係争中の事件について、過去に関する規定が明示的になされていない限り、過去の行為に遡って適用することはできない」と規定している。
この原則については、ユスティニアヌスの『ローマ法大全』にも例がある。例えば、『要録』には、「[a]罰則は、各法律またはその他の規定によって問題となっている罪に対して特別に定められているものを除き、課されない」(50.16.131)と書かれている。
この古典的な伝統は、教会の聖典法にもその道を見出した。
『リベラ・エクストラ(Liber Extra)』では、グレゴリウス九世が聖マリア大聖堂の大司祭に宛てた手紙の中で、前述の写本の規則をそのまま引用していることがわかる(X 1.2.13)。
グレゴリウスがこの手紙を書いたのは、1227年3月21日から1234年9月4日の間のある時期である。しかし、『リベラ・エクストラ』に含まれていたことは、20世紀になるまで教会のコモン・ローに大きな影響を与えることを保証していた。
このことから、限定的な例外を伴う事後法の禁止は、ius communeの一部であったと言えるだろう。このような法律に対するイギリス人の独特の恐怖心は、ホッブズとブラックストーンが無作為に2つの例を挙げて証明しているが、イギリスの歴史によって研ぎ澄まされたものだったのかもしれない。
しかし、それはイギリス人特有のものではなかった。
古典的な法の伝統は、ヘンリー・チューダーがアン・ブーリンに気づくよりもずっと前から事後法に反対していたのである。
しかし、英国の事後法の恐ろしさは米国にも伝わっていた。
合衆国憲法第1条第9項第3号は、議会が事後法を制定することを禁じており、16世紀から17世紀にかけて英国で起こったもう一つの恐ろしい遺物である「背任罪」と結びつけている。
米国が事後法ビジネスから手を引くことに満足していなかったため、憲法制定者は第1条第10項で、州が事後法を作ることを禁止した。
しかし、米国最高裁判所は、Calder v. Bullにおいて、この禁止がほとんどの場合、刑法に適用されることを強調した。
サミュエル・チェイス判事は、カルダー事件の意見の中で、禁止されている事後法と、賢明ではないかもしれないが禁止されていない単なる遡及法とを区別した。
しかし、このことは、法律における遡及性の問題を実際には軽減していない。
また、この問題は道徳の領域にも明確に及んでいる。
例えば、ロン・フラーは『法の道徳』の中で、いくつかの例を挙げて遡及の問題を強調している。
一方で、遡及適用は、差し迫った問題に対するエレガントな解決策であり、「必要不可欠な......治療手段」のように思えるが、またもう一方で、遡及は、個人が自分の権利と義務について危険なほど不確かな状態にしてしまう。
しかし、彼の分析の序盤では、おそらくゲームの行方を左右するような例が挙げられている。
それは、いわゆる「長いナイフの夜」の後の1934年に帝国議会が事後法を可決し、アドルフ・ヒトラーの命令でエルンスト・レームをはじめとする何百人もの人々の殺害を承認したことである。
カス・サンスタインとエイドリアン・バーミューレは、『Morality of Administrative Law』の中で、第三帝国とその法体系がフラーの法学に「形成的な影響」を与えたと述べている。
実際、サンスタインとヴェルミュールは、フラーの著作の中に、彼が第三帝国に何らかの合法性や法制度があったことを確信していたとは言い難いという結論を裏付ける引用を見つけている。
したがって、フラーが「長いナイフの夜」に素早く言及したことは、後に事後法の複雑さ(利便性も含めて)を示すために何をしたとしても、最終的には遡及法に対する主要な反論として受け取られなければならないのである。
先に述べたように、アクィナスは公布を法の本質的な部分とみなしており(ST I-II q.90 a.4 co.)、アクィナスに関する限り、公布されていない法は法ではないと言ってもよいであろう。
さらに言えば、アクィナスは、公布に欠陥のある法は不正であり、つまり法ではないと考えると思われる(ST I-II q.96 a.4 co.)。
実際、そのような法律の施行は、暴力行為であると主張することもできる。
最後に、アクィナスは成文法と、法律は将来のケースにのみ適用されるというその規則を認識しており、特に公布の文脈でそれを引用している(ST I-II q.90 a.4 obj.3参照)。
まあ、そうかもしれない。
グレゴリウス9世が、係争中のケースについて明示的な遡及を許可するコデックスの条項を批准したことを考えると、アクィナスも遡及禁止の規則が絶対的なものではないことを認識していると考えることができる。
しかし、この規則の正確な輪郭やアクィナスがこの規則をどのように受け止めたかは、この例が示すものほど重要ではないだろう。
そして、この例が示しているのは次のようなことである。
ユスティニアヌスの『写本』と『ローマ法大全』、グラティアヌスの『総論』、そしてトマス・アクィナスの法理論から、遡及法に反対する説得力のあるケースを構築することができる。
多くの点で、このケースは、ホッブズやブラックストーン、フラーやホールの議論を先取りしている。
より近代的で、より明らかにリベラルなソースを考慮する必要は全くない。
ここでもまた、基本的に近代的な、つまり基本的に自由主義的な概念が、古典的な法の伝統に根ざしていることがわかるであろう。
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