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入澤美時『考えるひとびと』より ー網野善彦・豊かになって失われていくこと。

人生を変える、という言い方は大袈裟ですが、自分の考え方を根本的に変えるきっかけになった本があります。入澤美時『考える人びと この10人の激しさが、思想だ。』(双葉社、2001)です。

網野善彦、伊沢綋生、安藤邦廣、大西廣、加藤典洋、根深誠、森繁哉、芳村俊一、森山大道、吉本隆明のインタビュー集で、当時ありとあらゆる分野の一線にいた方々が集結しております。この本が出版されたのは2001年。私が21歳で、たしか池袋のリブロで見つけて購入したように思います。値段も2500円で、この種の本では比較的安い方でした。

網野善彦。
日本中世史家。彼の仕事でとりわけ印象的なのは、「無縁・公界・楽」という言葉で表される特殊な空間が、中世社会に存在したと主張したことでしょう。たとえば、山、たとえば森、たとえば川、たとえば海。まだ人間の支配の及ばないこれらの空間は、神や仏がその主として存在して、人間社会のルールが適応されない聖なる空間でした。アジール(避難所)とも称されるこの空間に罪を犯した人が逃げ込めば囚われることはなくなり、借金を負った人々が入り込めば、取り立てを逃れられたりしたといいます。日常とは区切られた異世界、差別や区別の存在しない理想的空間。こういう見方もなされます。

しかし人間は、時間をかけながら、この無縁的世界を駆逐していきました。権力者は自らの権益の及ばない空間を恐れたのです。犯罪者を収容する牢獄と化した無縁所もあったといいます。「無縁・公界・楽」の持っていた、神聖な、自由な、平等な、カウンター的な性格がどんどん奪われて、死滅していってしまったのです。

時間がたてば人間の生活はどんどん豊かになる、便利になる。かつて考えられていた発展段階論でいうとそうなるのですが、これはもはや成り立たない、と網野は主張します。

「「進歩」していくとはどういうことなのか。滅びていったもののすべてが無意味なものではなく、進んだことによって、かけがえのない大事なものが滅ぼされていく事実を、徹底的に意識しなければいけないのではないかという気持ちが芽生え、定着していきましたね。」P10

失われていったものの意味を問い続けること。そして過去の人々と営みに敬意をもって、彼らへ敬意を持つこと。そういうことを伝えてくれている様な気がします。

名編集者・入澤さんは2009年に亡くなりました。もう10年以上もたってしまったのですが、ひさしぶりに読み返して、彼の発した問題意識や危機感は今でも十分に生きていることを実感しました。もう少し、この本に固執していこうと思います。

本書リンクおよび関連リンクを貼っておきます

入澤美時『考える人びと この10人の激しさが思想だ。』

網野善彦『無縁・公界・楽』

伊藤正敏『アジールと国家』





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