『白い世界が続く限り』【序章】
山梨の冬の夜は意外と寒い。特に帰宅した夜ふけにひとりで暗い部屋のスイッチを探るときに余計に感じる。電気が点けば本が散らかるだけの部屋、エアコンのスイッチを入れて部屋が暖まるまでは小さなコタツが頼りだ。
そのコタツも暖まるまで冷え切ったものだけど。
》きたくー
SNSはマイペースな自分によくあっている。こうしてバイトからの帰宅をスマートフォンから書き込むと、もう二十二時も過ぎたのにフォロワーさんたちが返事をくれる。バイト中に流れていったタイムラインを遡りながら足が暖まるのを待って、ようやく立ち上がるとお湯を沸かし始めてまたコタツに戻った。
夜食は食べたいけど……食べたら太るのは間違い無いので我慢する――これ以上巨大になっても困るし。ヤカンが沸いたのを知らせるのでのそのそと這い出てガスを止め、ノンカフェインのコーヒーにたっぷりミルクを注いで再びコタツに戻る。
》もうコタツと結婚したい。一生幸せにして欲しい。
そんな事をSNSに書き込むと色々面白い返事がつく。気に入った返事にハートを投げておいてコーヒーを飲むと、ようやく落ち着いた気分になってきた。
寒いけど雪の降らない甲府盆地。高橋いづみの住まいはその住宅街のアパートだ。バイト先までは原付で五分ほど、通っている大学までは同じく十五分程だ。通い始めた当初は韮崎の実家から原付で通っていたのだが、急に事情が変わり夏休み前からアパートで一人暮らしをする事になった経緯がある。せっかくの大学生活なので一人暮らしは興味あったし、元々一人は嫌いでない性格なので今の生活を楽しんでいると思っている。
もっぱらの趣味はネットと読書。特にラノベが好きで、ネットのSNSではそう言った同好の人たちと繋がっている。
》コーヒーうまい
》深夜のカフェインは魔薬
》ノンカフェだから正義
顔も知らない性別も年齢も知らない人たちばかりだけど、趣味が近かったり考えが似ているだろう人たちばかりなので気はあう。そんな人たちの呟くタイムラインの流れは何か物語を眺めているようだけど、その中に自分が存在しているのはなんとなく嬉しい。
いづみにだってもちろん友達は居る。しかし大学は既に休みだしクリスマスも間近な友人たちはみな男友達を作って連絡も少ない。高校の頃からの友達も居るが――彼女たちはかつて自分が切磋琢磨した世界でいまも頑張っているので気後れするし気安く話しかけられない。
部屋も暖まってきたので着替えるために立ち上がる。いづみは身長176cmは女性として相当大きい、胸も大きい、コンプレックスだ。コンビニバイトではこの目立つ身長と目立つ胸のお陰でどう言うわけか気に入られている。男子校の近くなので夕方頃から忙しいのだけど、いづみが来てからはより忙しくなったらしい。
そんな看板娘となった自分をいづみは美人とも思っていない。そもそもそう言うことに興味を持つ事が判らない。小学校のときからずっとバレーボールで活躍し続けたいづみの青春はバレーボールだけ、自分の着飾り方も化粧もよく解らない。化粧水くらいは付けるけれど今どきの大学生のような化粧はできないし、化粧用具すら満足に持っていない。
下着だって愛用しているのはスポーツブラだ。慣れのせいか締め付けてないと色々落ち着かない。
とは言えそんな胸の締め付けを開放してあげればほっと一息つける。ぽいぽいっと洗濯機に着ていたものを放り込むとシャワーを浴びる。こんな寒い日は湯船に浸かりたいけどユニットバスはいづみには狭苦しいし、今からお湯を溜めようにももう脱いでしまったので我慢――あ、明日と明後日は休みだし温泉に行きたいな。
と、ふとSNSでは長い関係を持っているフォロワーさんの書き込みを思い出した。いづみの住む甲府の隣の市あたりでアニメの舞台になった温泉がなかなか良かったとか。どこだったっけ?
シャワーから上がるとちゃんと髪も乾かさないままタオルでゴシゴシと、思い出した温泉の話のフォロワーさんの書き込みを探すべく検索してみた。するととある動画を紹介していた。
何も考えないで見たその動画に、いづみは驚いてしまった。
それは風景から見るにスキー?の動画。なのだか、いづみの知っているスキーとは動きがまるで違う。まるで踊っているかのように変幻自在に滑るその動きは、高校のスキー教室で経験したスキーとまるで違う。
コメントには 》スキーボード楽しすぎる《 とあった。
スキーボード?これ、そう言うものなのかな?
まずはその動画にハートを投げておいて、 》スキーボードとか言うスキーの動画見て驚きを隠せない《 と書き込んだ。
と、すぐに返信があった。
》お、スキーボードたのしいよー。
》ようこそ変態の領域へ
》あーあの滑りはワケワカランよね。オレも最近興味出てる
》なにそれ、おいしいの?
》ウマす 〈url〉
時間も置かずにコメントが思ったよりついて少し驚いた。アドレスも貼って貰ったので見てみると、それは個人制作のスキーボードのプロモーション動画だった。
それは先ほどの動画よりも密度の高い、別の世界のような滑りの動画だった。滑ると言うよりも舞うと言う表現が正しいのだろうか――自由で、華麗で、楽しそうなその滑りは、いづみの知らない世界のものだった。
》スキーボードって、凄い?
》お、興味ある?
》知ったばかりだし興味までは未到達
》やってみればわかる。やれぃ。
するとメッセージアイコンが表示された。それは温泉の話を調べようとして見つけた、最初のスキーボードの動画を紹介していた「あきふゆ」さんだった。あきふゆさんとは今のところSNSでしか面識はないが、書き込み内容から同じ山梨の人物と言うのは想像していた。ラノベ好きで、タイムラインではなかなか好みのジャンルも近く気の合う感じがあるのでやり取りは割としているネットの友達だ。
『こんばんは!あきふゆです!書きこみを見て居ても立っても居られずメッセさせて頂きました!
スキーボード興味ありそうですか?もし良かったら案内させて下さい!スキーボードは手軽で簡単で凄く奥が深い楽しいスキーです!仲間とかめっちゃ集めてるので良かったらぜひ!』
予想してなかったアプローチをかけられて少しドキッとした。
『こんばんは、連絡ありがとうございます。
スキーボードは正直驚いています。』
何を書いたらいいのか解らなくて、とりあえずあっさりと返事を返した。
『スキーの経験とかありますか?あればすぐ滑れますよ!』
いづみの家は父親がアウトドアに全く興味が無いので家族で出掛けても旅行と買い物くらいだ。それにバレーボールに明け暮れていた生活なので他のスポーツも経験が乏しい。
運動神経は人並み以上なので高校のスキー教室で初体験だったスキーは滑ることは出来た。しかし滑れたと言っても他の生徒よりは苦労しなかったと言った所で、自由自在と思うほどではない自覚があった。
記憶としてスキーは――足が痛くて寒かった――というくらい。インストラクターに先導されて連なって滑っただけだから、思い出すとスキーを楽しんだことよりもクラスメートとの泊まりの一夜が楽しかった思い出が強い。
でも何だろう?この不思議な期待感は。
『良かったら一回滑ってみません?アテンドしますよ!私が初めて滑った時の動画送るので、それ見て貰えると嬉しいです!〈動画〉』
メッセージと共に送られてきた動画。スマホで撮影したのか画質が悪いものだったけど、動画の中で板を履くのもままならなかった少女がみるみる滑れるようになっていったには興味を惹かれた。
何よりも笑顔が素敵だった。表情を出すのが苦手ないづみにその笑顔は、強烈な憧れを感じさせていた。
あきふゆさんってやっぱり女性だったんだ……。
『凄いですこんなに滑れるんですね。わたしにも出来るものでしょうか?』
同性と判って引っかかりが取れたいづみは少し積極的になっていた。元々興味があった人だから尚更だ。ぼんやりと想像していたあきふゆさんのイメージがはっきりとして、その彼女がスマホの向こうで自分の答えを期待しているのが伝ってくるような気がした。
『もちろん!スキボは雪の上で立てれば滑れるものだから大丈夫!私にだって滑れるし!ちなみにスゴイ急ですが明後日の23日って予定あいてます?タイミングよくタダで滑れるイベントがあるんですよ』
『イベントですか?……予定は空いてますが、どんなイベントなんですか?』
『隣の長野のスキー場のイベントなんだけど、サンタとかの恰好して行くとタダになるんですよ。〈URL〉』
送られてきたURLによるとそう言うイベントがあるらしい。スキー場の名前は聞いたことないけど、思ったより近いみたいだ。
『もし行くとして、どうやって行けばいいんでしょう?車とか無いんですが……』
スキー場に行くと言うのは、ゴルフ場に行くとかそういうお金のある大人の遊びというようなの敷居の高さを感じる。親や兄に急に頼んでも連れて行ってもらえると思わないし、原付では無理そうだし。
『私の車で相乗りとか出来ますが、いつみさんは女性ですよね?』
ネットの上では性別がバレたくなくて公表してないけど……まぁ判ってるみたいだしいいか。
『はい。なので男の人とはちょっと……』
『わかりました!私がどこへでも迎えに行きます!勝手に想像してますが、梨っ子ですよね?』
『はい、私、甲府の方なんですが』
『結構近いですね、私は河口湖です!』
『それなら宜しくお願いします。いいんでしょうか?』
『大丈夫です!もともと単独で下道で行くつもりでしたし、甲府なら道中です!他にもスキボ仲間も来るので板とかブーツは貸して貰えると思いますよ、スキー道具は持ってないですよね?』
『ウェアだけならありますが、借りれるなら助かります。実は学生なのでお金があまり無いので……』
『学生!大学生とかですかね?うらやましいなぁ。足のサイズってどれくらいですか?』
『26.5です。女の癖に大きいんです……』
『まじか!わたし22cmですよ!きっと背も高いのかな?』
『はい。176もあります……』
『少し身長分けて!わたしちびっ子なのよ!』
『あげられるなら是非もらって下さい!のしも付けます!』
『もらうもらう!ブーツと板は用意は訊いてみるんで明日までに連絡しますね!用意してもらうものはウェアと手袋とサンタの恰好!あと多分帰りに温泉に寄って帰るので着替えと温泉道具も!』
『わかりました!いろいろありがとうございます!』
話はトントン拍子に進んで借りれれば明後日にスキーボードを体験する事になった。気がつけば伸ばし始めていた髪は乾き初めていて、コーヒーもすっかり冷めてしまっていた。
よし。
一気にコーヒーをあおって、SNSに今日最後の書き込みをする。
》明後日、スキーボード初体験ですわ
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