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ひたすら楽して人生げーむ0

初めましてグリリバです。

某ゲーム実況動画のタイトルをリスペクトしている題名で書いている通りに、人生をひたすら楽にするためにグリリバがやり始めたことやっていることをアウトプットし、知識の固着を第一の目的に記事を読んでくださった方にも人生を楽にできる内容が見つかれば嬉しいとの思いで、noteを始めることにしました。

そしてこれから私自身が人生を変えていこうと行動に変化がおこるまでの背景を書き出していくのですが非常に長くなるので、次の記事を読みに行くことをお勧めします。




いじめられてきた少年期

切っ掛けがなんだったのかは覚えていませんが、小学校3年の頃から友人達にいじめをされ、施工者達が変わったりしながら高校2年の頭まで虐げられてきました。

もちろん、それだけの期間を人の攻撃に曝されてきたら精神が歪んでいくのは必然ですね。そして不思議なことにどれだけいじめられても、寄るべき友人というのが加害者しかいないと思い込んでいたので、関係を断ち切ることで自分の居場所が無くなることに恐怖していたのだろうなと今は思います。

周りに頼れる人はいなかったのか?と問われれば正直いませんでした。悪い人ではないのですが私の親はお世辞にも頭が良いとは言えません。要は昔気質で考え方が偏っていたのです。なのでコミュニケーション能力も乏しく、幼い私と心を通わせることなく、力と恐怖で躾けられてきていたので親を頼ると怒られるとバイアスが掛かり助けを求めることができませんでした。

そして小3から溜まり続けていたものが溢れだし精神的に限界を迎えた小学6年の初夏に自殺を図りました。薬の大量摂取。ですがろくに知識もなかった私は、家にあった大きい瓶に入った胃薬でこの世にお別れできると思っていました。結果は謎の体調不良に襲われてぐったりするだで終わりました。

これを切っ掛けに親と教師陣も事態の危険性に気が付いたようで、当事者達の距離を話すことで安全面を確保しようとしていました。今のように心理学が発展していたわけではないので、正直対処のしようがわからなかったのでしょう。ただ大事なのがこの時も親や教師に守ってもらい戦い方を教えてもらえなかったのが現在でも心のしこりとして残っています。

散々暴力に曝されてきていたので、力での対抗策はお互いにひどく傷がつくことはわかっていたので心の戦い方を知りたかったですね。

これを機に少しの間だけ平穏でしたが、次に遊ぶようになった友人達ともいじめによる繋がりが出来しまいました。中学生にもなると少し不良よりの人達もいたりで、遊びの幅も広がり金銭が絡んでくることが多くなる時分だと思います。そこに漏れることなく私達も金銭でのやり取りが発生し、所謂カツアゲと呼ばれている脅迫行為ですね。

その年齢時に働くことなんてできなかったので資金の調達はどこ?ってなりますよね。家族の懐を探ることしか考えが及ばなかった私はそれを実行することとなりました。

犯罪を犯し略奪され毎日が怯えの連続で憔悴していた時にお金を盗んでいたことが家族にばれてしまい。父に髪をつかまれ地面に顔を叩き付けられました。当然のことといえば当然です。犯罪で信用を地の底に沈めてしまったわけですから。

事の次第を説明し、この時、友人達の名前は伏せていました。ここで名前を告げていれば違う人生を歩んでいたかもしれませんね。

このように中学時代もどんな形でも自分を必要してくれる場所が欲しくて、劣悪な環境に縋っていた中学2年の終わるころ。またもやメンタルに限界をきたしてしまい。あの時より知識を付けていた私は風邪薬と頭痛薬を一箱ずついただき服用しました。これで確実だと確信めいたものをもっていたのは覚えています。

ですが深夜に目を覚ましふらふらとトイレまで歩き、直前で嘔吐しました。その時の正露丸の香りを思い出しあれも飲んでいたんだなと明滅する頭で考えている時に、母が隣に寄り添い何事かと話しかけていました。この辺りから記憶がぼやけており、救急車で運ばれているなーとしか覚えておりません。

病院で目を覚まし、まずは親に事情説明。そこから教師に説明。加害者の親にはどう通っているのはわかりませんが、当事者達に直接の謝罪と今後一切近づくことはしないとの誓約(あくまで口のみ)を交わし、一つの交友関係が終わりました。

一番大きかった事態はここでの話でしょう。これ以降も違う友人と交流を持ちましたが、己を虐待させることでコミュニケーションを図ることしかできなったのでしょうねあの時の私は。結果、以前とはいじめの質は変わっていましたが恐怖と暴力に支配されていました。金銭面は無くなっていたのだけが幸いでしたね。

じりじりと摩耗させられる日常を繰り返し、遂に高校受験です。現在から思えばまともな生活をしていないので勉学など及ぶはずもなく、底辺の学校しか選択肢がなく且つ、極力知り合いがいない場所を選ぼうとしていたので私学しか選択ができませんでした。

周りに以前の自分を知るものがいないというのは結構強みになるんだなと高校に入って思いました。ですが負け癖がついてしまった精神では何事も続かなく友人との付き合いも下手くそで、自分で自分を苛み、現実逃避をするように好きなゲームをひたすらやっていました。

何が限界か?マインドセットが成長していないので反芻思考と未来と親への不安で高校2年。本当にちょっとした嫌がらせでした。机の上に載せていた教科書をわざと落とされるだけの。完全にフラッシュバックのようなものでした。尋常じゃないほどの恐怖心と嘔吐感に脳が焼けるほどの怒りがドロッとこぼれた瞬間が自分でもわかりました。この時に暴力に訴え相手に襲い掛かっていたら覚醒できていたでしょうね。暴力の怖さをわかっていたので自分で振るうことに怯えて、結局何もできずに片付けてじっと席に座っていました。

ここから全てが崩れていきました。

薬でダメだったので物理的にやるしかないと決意し手首をいっぱい切りました。切ることも怖い。痛いのも怖い。でも現実の方がもっと怖い。だから血管が通るラインを縦に筋を入れましたカッターナイフで。

傷が浅すぎたので痛かっただけ。そしてどうみても跡があるので親に聞かれます。その傷はどうしたのかと。学校の蛍光灯を割ってしまい、その破片でケガしたと言い訳を言っていたのをはっきりと覚えています。

その後、家庭の事情もあり高校を中退。晴れてフリーター。

そしてうつ病へ

フリーターの時期はたまぁに中学時代の人と遊びいやぁな気分になったり、ゲーセンやカードゲームとオタク活動でそれなりに遊び楽しんでいましたが、ふと就職のことを考えることがあり。このままだと就職できずに後の人生が大変なことになるだろうと思い、もう一度高校に通うことに決めました。

詳細は省きますが、以前の高校の単位を引き継ぎ新しい高校へ編入という形で新生活を始めることができました。自分より3つ下の人達一緒だったのでドキドキが強かったですね。

元々頭の回転は速かったほうなので、真面目に受けている授業に関してはeasy modeで余裕ぶったり、初めての彼女ができたりとそれなりに青春をやり始めたんじゃぁないでしょうか。このまま行けていれば。

何でもなかったし何もなかったはずなのに、卒業を控えた最後の一年で急激にメンタルの不調を起こし動けなくなりました。一つの不安が延々と頭の中を回り続け、どこを見ても何をしてもどう体を動かそうと頭にへばりついた泥のような霧のような粘着質の異物が剥がすことができず。わけもかわらないまま嗚咽を漏らし体を震わせる日が始まりました。

追い打ちをかけるように学校から留年の通知をいただいたことで、更に自分を苛み親に呪詛とも言えるような謝罪の言葉送り、生きていること自体が罪だと思い込み己を恨み悔い呪い、私は生きていてはいけない生物なんだ。だから死のうと決断し以前の失敗を省みて、思いっきり手首を深く切りました。黒く野太い血管が露わになり脈動していたのをよくよく覚えています。ここまでやったのだから間違いないだろう。そう安堵し近くに寄ってくれていた愛猫を撫でながら意識を閉じました。

はい。残念ながら見事に未遂で終わりました。この時に感じたことが死ぬべき時ではないということを思ったので、これ以降、自分で自分を殺すことは諦めようと考えを改めました。これは心が回復するまでにあった記憶がぼけて前後確認ができていない出来事。

そして中でも覚えているのが西尾維新さんの戯言シリーズを読み、少しだけ考え方が変わり、現実の世界を直視しないようにバイオハザード4をフルコンプクリアした辺りから変化が生じてきたと思います。

それまでの間に心療内科や精神科をめぐり色々と処方してもらっていましたが、医者にいけば治ると思っていたのに治らなかった失望と科学的に研究が進んでいないのもあり、ボルダリングやキックボクシングのように強制的に意識を体に向けないといけない状況にすることで治療できるなどと知る由もないですから。

意識を集中させるという点でFPS寄りのゲームであったバイオ4でクリアのためにマインドフルネスな状態になっていたんでしょう。そして最高難易度やアイテムのコンプ等の成功体験で少しずつ己の核の形を作っていけたんだと思っています。

これを丸一年使って自己を再形成し動けるように構築しなおして、高校卒業のために学校へ通い無事卒業しました。想定より大分と遅れましたが、必要であろう高卒の資格を入手しました。

卒業後は兎に角働いてお金を稼ぐことが大事だと思っていたので、友人から建築業での話を貰った時に二つ返事で決めました。

肉体労働は恐ろしいほどきつかったですね。ろくに体力づくりをしてきていないので何をするにも全然追いつかず、消耗した体力で先輩達の送り迎えで車を運転したりで経験値を稼がせてもらっていました。

女性恐怖症になった理由

そんな中、元カノと寄りを戻すこととなり恋愛依存症になっていました。そう実は回復したように見えて動けるだけでマインドセットは変わっていなかったのです。肉体関係をその繋がりだけで彼女は私を選び理解し一生を寄り添ってくれると完全なる思い込みです。

当時は蜜のような薔薇のような甘美な時間を賜っていたのですが、今の私から見ると排他的で爛れて腐った時間にリソースを使ってしまったと思っています。彼女がどうこうではないのです。自分自身が判断力と心の弱さが露呈することになりました。

彼女との時間の過ごし方が全部SEXでしかありませんでした。時間と予定を捻出し都合を合わせるようにしても、全て通常のデートに赴く時間からずれる平日ばかりが彼女とあえる日々。今思えばもっと頭使えばいくらでも行く場所あったのだが、20前半の若輩者には圧倒的に経験と知識が足りていませんでした。

とある日。告げられました。実は私とは別に付き合っている男性がいるので悪い女なんです。と

衝撃が走り、全身の毛穴が広がるのを感じました。もしかしたら髪の毛も逆立っていたのかもしれません。そう思わせるくらいあまりに重たい言葉いただいたにも関わらず。この時の私は別に付き合っている男性がいるにも関わらず私と関係を続けているこの事実に彼女は私を選んでくれていると幻覚を見ていました。

色んな要員が絡んでいたのだと思います。彼女の初めての相手が私だった。付き合っている男性との性的か日常的な関係に少し不満があった。私自身の精神が可哀想だった。この辺りでしょうね。

ある時を境にどうしても彼女が欲しくなり二股をやめ、私を選んでほしい旨を伝えました。その時は曖昧な返事でしたが後日、相手方の男性を直接お話しする機会を設けていただき、誠意を示すためにスーツを着用したのを覚えています。

男性と話をしてみると凄く大らかで柔らかく包容力があり、落ち着いていて心にゆとりがある素敵な男性でした。ただこの時の私はそこまで機微が回らず完全に容姿だけで判断をしていたのが非常に残念なところです。

話し合いの末、直接本人に来ていただきジャッジしていただこうとのことで、結果、相手方を選ばれました。今思えばまぁ当然ですね。性格の良い方でしたから。ですが私はこの世の絶望を舐めさせられている感覚をその時に味わっていました。

話も終わり元カノを家に送り、男性と二人歩きながら帰路についていると、あの子も大変だから良かったらこれからも、あの子の友達でいて欲しい。何を言っているのだろう?そんなの無理に決まっているじゃぁないですか。そう考えざるを得ないほど当時の私には悲しさと悔しさしかありませんでした。

ですが、あの時に男性が言ったことを解析してみると、元カノ自身にも問題を抱えている部分があったんだなと思える節が多々ありました。通っていた学校で上手くいっていないことや、それに伴って家庭内での話あるだろうし、友好関係も狭まっているのは感じ取っていましたから。だからこその発言だったのだろうと今は思います。

そうして少しの時間を空けた後に、どちらともなく話す切っ掛けができ、また爛れた関係を結んでいました。いつしか連絡も取ることなく気が付いた時には姓が変わったお知らせが来たくらいです。

これが私が女性恐怖症になった理由です。これ以降10年は女性と接することがありませんでした。あっても本当に上辺だで会話をさっさと場から離れる算段しかしていませんでした。今思うともったいないですね。

そんな紆余曲折しながら友人に裏切られ仕事をクビになり、フリーターに戻って色々しながらできた友人と地元の友達とも知識と経験が少ない私が原因で関係の崩壊を招き、幼馴染にが紹介してくれた仕事先では周囲一帯からのパワハラにメンタルを潰されて辞め。職業訓練校を経て今現在の仕事に就くこととなりました。ここら辺はありきたりで世間に溢れている話なので割愛します。

音楽との出会い

2016年MINAMI WHEEL 2016の最終日に幼馴染と参戦したあの日が本格的な音楽との出会いでした。

それまでも音楽は好きでした。幼少のころからゲームサウンドが大好きで特に伊藤賢治さんとShadeさん、時を経てZUNさんの作曲の影響を多大に受けています。イトケンは私の中では神扱いです。特にT260Gラストバトルは本人が鼻血を出しながら作った作品に対し、私も鼻血が出そうなほどテンションあがります。

歌ものに関してですが、ハマりだしたのが16歳くらいの時に友人が教えてくれた
Janne Da ArcのGAIAが始まりでした。それまでもアニソンなども好んでいたのですが、ハマりましたと言えるのはGAIAからでしょう。

そこからはV系をメインにメタルフレーズの曲を好むようになり、ジャンヌの活動休止でしばらくは聴くものが迷走していた時期もあり、MWAMや凛として時雨を聴いていた時期にホルモンを知りドハマり。ここからシャウト・デスボイスの魅力に憑りつかれていきました。

ここから聴く範囲が広がりフレデリックやアジカン、9mm等のビッグアーティストにも興味を示し友人の誘いでRADIO CRAZYへ行くことに。

この音楽フェスが認知と好奇心を広げる切っ掛けとなり、ミナホの2016という本当の意味でのライブハウスでの音楽との出会いに繋がります。

あの日Pangeaで見た草野華余子さん(ex.カヨコ)と密会と耳鳴りが激烈に良くてメジャーじゃなくてもこんなに凄いのか!!と驚愕していました。PangeaでLisaさんがゲスト参戦したのも今だと尋常ならざる事態ですよね。キャパ200ほどのスペースでもろ近くで顔見えてましたからね。

そんなインパクトの強い音楽との出会いに本当に良かったものなのか?お祭り状態で高揚していたからこそ感じたエキゾーストだったのでは?と疑問を呈したので、これを確かめるために梅田シャングリラで密会と耳鳴り
(対バン アカシック、スノーマン)、Knaveでかよこさん(対バン memento森やジラフポット)これで確信しました。とても良いものなんだと。

これだけ感動をするものをいただけたので私自身も趣味であれ音楽をやりたいなと思い、元々歌うことも好きだったのと楽器はハードルが高いと感じていたので、ボイストレーニングに行こうと決断し、その旨を幼馴染達と話していたら、だったらバンドやろうや。ボーカルやっていいからその分ギターもやってな。ここから音楽と触れ合う人生が始まりました。

当然のことギターを触ったこともないの何もかもわからない状態で幼馴染に付き添いを頼み始めてのギターをフィーリングで買いました。
Gibson USA 2012 Les Paul Modelの綺麗な水色のギターがファーストです。

こうしてギターとボーカルを平行して練習しながら、時に腱鞘炎になり、時に幼馴染が教えると言っていたギターもほぼ教えてもらうこともなく、一年ほどで独学に限界が来たのでギターレッスンにも通うようになりました。

日々ギターやカラオケなどに足を運び練習しつつ仕事とライブハウスに遊びにいく毎日を充実しだしたころに人生の転機が訪れました。なんと10年も彼女のいなかった私に再び女性と交流を結ぶ切っ掛けができ、お付き合いさせていただくことができました。

筋トレと勉強の切っ掛け

以前の教訓を生かし自分なりに色々と気を遣い良くなるように良くなるようにと行動していたのですが、恋愛依存症が抜けていない私の行為は行き過ぎていて彼女のメンタルに多大な負荷を掛けることにお別れをすることになりました。

この話を一人で抱えることができずに話を聞いてくださる女性がいたので、完全に甘えですが、その方に話を聞いてもらっているうちにメンタルが非常に弱り切り、且つ距離感が非常に近い女性に頼っているうちに好意を持ち、そのうち恋心となりました。

湧き上がってしまったものは仕方がないということで、自分に活を入れ女性に思いのたけを伝えました。まぁ、見事に振られたわけですけどね。

そうこの振られた事実。これにより私の人生に多大な影響を及ぼし今現在、己を鍛えることに快楽を覚えるようになる性格が構築されるのです。

ちなみにこの振られるまでの時間、以前に付き合っていた彼女と合わせて1年。1年に二回も振られる。これは何か問題がある。どこに問題がある?そうそれは自分自身に問題があるのだろうと見切りをつけ。まずは女性にモテるようになるための情報を仕入れるところから始まりました。

文明も進んでいるので恋愛関係の話はネットにごろごろと転がっているので探すのに苦労することはありませんでした。ですが、質の問題になると違います。似たような雑多内容が非常に多く、あくまで一般とカテゴライズされている内容なので万人が使うもの=成功しないとなっているので、訝しみながら検索を続けていくうちにyoutubeでメンタリストDaiGoさんの動画たどり着きました。

これが始まりです。DaiGoさんの動画を拝見し恋愛、落とすどうこうより知識としてなるほどなぁ!!と感心させられる内容に好奇心を抜群にくすぐられ、彼の持っているニコニコチャンネルに登録しました(この時はまだDラボはなかった)。

登録してからまず第一に見たのが持てるための肉体とはどういうものなのか?それを作るためにはどうすればいいのか?を解説している動画でHIITとバーピージャンプなるものを知りました。これさえやっておけば体が締まり、女性にモテる体型になっていきますと科学的根拠も据えて教えてくれました。

愚直にHIITタバタ式を6か月ほどほぼ毎日こなしながら、人間関係やセルフコンパッション(自分を受け入れる)など心理学に関する情報を頭に入れながらギターも練習している時。HIITだけでは筋肉は付けにくいだったらどうする?こう考え、次は行動でわかりやすくジムに行くと選択しました。

ジムで体験入会を経て正式に加入しビッグ3(ベンチプレス、スクワット、デッドリフト)をメインに要所要所でマシンを使い全身を鍛え始めだし、ベンチプレスで左の肩を壊しました。そこからは体の使い方壊さない鍛え方を考えるのと本を読んで知識をつけている時にコロナ問題。

これによりジムでのトレーニングに支障が出ると考えた私は自宅で出来る方法を探し、まずはやってみようということでダンベルを購入(可変式10kg)そして探索している時にたまたま見つけたケトルベルで日々のトレーニングはこなす計画を立て自宅修行の始まり。

自宅でのトレーニングを始める頃には女性に振られてから1年が過ぎていて、何もとまではいきませんでしたが特に重い思いをもつこともなくそれよりも今自分がすべきことに注力するようになっていました。

この考えに至るようになったのもDaigoさんに教えてもらった恋愛関係の話から発展しまくって見ることができるようになった自己省察の話と知的謙遜。そして筋トレをこなし少しずつ体の変化が起きていることとギターと歌をやり続けてほんの小さな上達を積み重ねてきたことで、私自身変わったと思えるほど心が楽になることができました。

クソ以下のごみ溜めみたいな憎悪とヘドロが混じった沼で生活していましたが2020年の11月には希望とは言いませんがやるべきこと。自分が持っている価値観に沿って行動し、己を幸せにし、その過程で私の周りで関わってくれる人に少しでも貢献できるように日々研鑽していくことを誓えるようになりました。

正直僕は運が良いと思います。死ぬことなく年齢的にはミドルに差し掛かりましたが折り返し地点でやり続けていくこと勉強の大切さ。人間関係の脆さと強さ。女性とは非常に尊きものだと認識することができ、まだまだ己自身を鍛えることができる事実こそ幸福だと。

終わりに

以上で主だった私のヒストリーは終わりです。もしここまで読んでくださった方がいましたら感謝しかありません。こういう過去をもった人間ですが仲良くしてくだされば幸いです。

これ以降は小さな実体験や読み得たものを短い話で書いていこうと考えています。少しでも貴方様の益になれば嬉しいです。

ありがとうございました。

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