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答えはだれが持っている?~子どもたちとの時間で気づいたことVol16




先日のこと。

宿題がおわって、それぞれの時間を過ごし始めた頃、
Bくんが私のところにやってきて
「ぼくが読んでいた本、Cくんがとった!」と怒った表情で訴えます。

Cくんを見ると、本を持ったまま顔を真っ赤にして
「ぼく、とってない!」とこちらも興奮しています。

学童預かり保育では、
毎月図書館から50冊ほど本を貸し出ししていただいており、
漫画や科学、読み物から、図鑑まで司書さんが選んでくれる本は、
とても魅力的で
本好きなBくんは、宿題が終わったら、まっすぐ本のコーナーに行って
寝転がりながら本を読むのが大好きな時間なのです。

「Cくんがとった!」 
あったことをそのまま伝える・・まだ伝え方は未熟ですが、
「読んでいた本が、読めなくなってくやしい」「悲しい」
ということなのでしょう。

とった・とられた という揉めごとは、ちょくちょく起きます。
外で遊んでいるときは、ほとんどと言っていいほど それはないのに
室内での遊びの時間では、とった・とられた というところから
本気モードのもめごとに発展していくのです。


大人に訴えるのは、なぜ?


学童預かり保育で仕事を始めた頃、実はこの手の揉めごとに
私はいつもモヤモヤしていました。
なぜなら、子どもたちは、なにかぶつかり合うと
経過やその場面を見ていない私たち大人に「なんとかして」と
助けを求めてくるからです。
どちらかというと、”〇〇くんが悪い!とジャッジして(裁いて)ほしい”
と言いに来ているように感じるのです。

・・・・
誰かが間違いで、誰かが正しい 
誰かが ごめんねと言い、誰かが いいよ と言う
一見すると、まるく収まったような場面。

大人が結論を出したとしても、また同じパターンを繰り返す
(それを学習していることになる)
もしかしたら ”言わされる” ような積み重ねの結果なのでしょうか。
ごめんね、や いいよ は 言わされるものなのでしょうか?



その場にいなかったことについて、何も言えないな。。。
という、私の率直な気持ち。

訴えてきた子の意見をそのまま受け入れることはできず、
自分自身の価値観をそのまま教え込むこともしたくない。
大人である私たちも、ともすると
自分なりの基準や判断が働いてしまいやすい場面でもあると思うのです。


いいか/悪いか  正しいか/間違いか を結論付けることが
大切なのではないだろうし

大人に決めてもらうことが全てではないよ とも思うのです。

モヤモヤはそんなところからきていました。


大人ができること


どういった対応をするのが、お互いにとっていいのか?
疑問とモヤモヤが膨らんだとき、

SHIEN学でご一緒することが多い、梅本陽子さん(現・熊本市内 小学校教頭先生)に、相談してお話を伺ったことがあります。
陽子さんはどんな時も、変わらず揺るがず急がず、フラットで・・
学校という忙しそうな現場で、
子どもたちといつもどんなふうに接しているんだろう? 
陽子さんなら、こんな時どうしているんだろう? と尋ねました。

陽子さんがその時、伝えてくださったことは こういうお話でした。

『学校でも、そういったことは起きるんです~。
伝えに来るときは涙を流していたり、怒っていたり。
お互いに興奮していることが多いので、
まずはそれぞれにゆっくり話を聴いてあげるようにしています。

聞き取ったことは本人に「こういうこと?」と確認してみて、
それぞれの気持ちを聞き取ります。そのあとで、もう一度話し合うんです。

〇〇ちゃんは、~で、~がいやだったんだって。
〇〇くんは、本当は~してほしかったんだって。
と代わりに伝え直します。
お互いに”うん”と思えるところまでこれを繰り返しています。』


といったお話でした。

なるほど!
〇どちらもそれぞれに、言いたいことがある
〇気持ちがたかぶっていることも多いので、
 まず大人がゆったりと落ち着いて話をきく
〇(場面によっては別々に)一人ずつ訴えていることを、よく聞く
 そして、「〇〇くんの言っていることは、こういうこと?」と
 こちらの言葉でまとめて伝える。確認する
〇お互いの気持ちを、もう一度伝えあう
 必要なところは聞き取ったことを大人が補ってあげる

結論を出さなくてもいい ということを子どもと関わる専門家の方からの
お話を聴いただけで、とってもスッキリした記憶があります。

いい、悪い と答えを出したがるけれど、話し合えばいい。
大人が結論付けなくていい。

お互い”うん”と思えなかったら、
時間をおいたり場面を変えたりしてもいい。

スッキリしないまま、のことがあってもいい。


そうでなければ、
「どんどん大切なことから離れていってしまう」


陽子さんは、たくさんのお子さん、保護者の方たち
職場の先生、関係する地域の方たちなど、ご自身を取り巻く方達と
丁寧に関わってこられたからこそ、
子供たちの学びの環境において「大切なこと」を掴んでいらっしゃるのだと思うのです。

陽子さんの 日々の綴りはこちら♪
とてもあたたかな拡がりを感じる、素敵な日記です☆


さて、私がまずしたことは・・・

「〇〇くんが~~」という訴えには、ひと通り話を聴いたあとに

「そうなんだ。でもね、それを見ていたいなかったし、よくわからないな。もう一度二人で(みんなで)話し合ってみることできる?」
「それでも困ったら、また声をかけてみてね」
と伝えることをしました。(年齢や危険性にもよりますが)

大人がいい悪いを決める とか 大人に従う ということではないよ、
まず自分たちで考えてみることだよ、というメッセージを行動にしました。


さて、子どもたちはどうしたと思いますか?


大人がいないと 子供は話し合いができないか?


「そうなんだ。でもね、それを見ていたいなかったし、わからないな。
 もう一度二人で(みんなで)話し合ってみることできる?」
「それでも困ったら、また声をかけてみて」と伝えると、

子どもたちは、「わかった!」と言って
また子供同士の場に戻っていきます。

私は遠くで(耳だけで)見守るのです。

そのあとの様子は、こんな感じです。

もう一度、「あのさ~、」と自分の訴え、気持ち、を落ち着いて伝え直す。
さっきとは明らかに違う口調で話し始めます。
相手を責めるような言い方から、
自分の思いを、そのまま言い始めるのです。

とても真剣です。

そして、相手の話も聴くのです。
自分のことを話しているけど、話し合おうという意志を感じるのです。 
〈同じだけ相手の話も聴く〉という表現が近いかもしれません。


落ち着いたころ 側に行って「どう?話し合いできた?」
と声をかけます。

「うん。~だったから、~することにした」
「うん。もうケンカやめようって言った」
「ブロックやめて、ちがう遊びすることにした」
「うん、じゅんばんにすることにした」
などなど、その時々で何かしら調和点を伝えてくれます。

子どもたちなりに話し合いをした、最終点です。


冒頭で「読んでいた本をとられた」と訴えにきたBくん。

”とられたって決めちゃう前に、Bくんがどうして本を読んでいたのか、よく聞いてみたらどうかな。もう一度Cくんと話し合ってみてね” 
と伝えると、BくんはCくんに質問をしていました。


「この本、どこからとったの?」
「どこにあったの?」
「なぜよもうとおもったの?」


質問へのこたえを繋ぎ合わせると、こうでした。

【Cくんがトイレに行っている間に、宿題を終えてやってきたBくん。
自分が読みたかった本を他の子が読んでいた。
「まだ読み終わらない?」と聞くと、
「ここにある本、だれも読んでいないよ」とすすめられ
置き去りになっていた(Cくんが読んでいた)本を手に取った】

その瞬間、Bくんは ぽかん。。。という表情。
きっと自分がいなかった場面を、想像していたのでしょう。

ちょっと気まずそうでしたが、Bくんは自分からCくんに
『ごめんね』と静かに言います。



それでも、とったとられた・・は時々ありますが
〈同じものを共有し、お互いに貸したり貸してもらったり〉
〈誰かの使い方ややり方を見て学ぶこと、教え合うこと〉を体験していく過程でもあるのですよね。

貸してもらう、貸してあげる
友達から学ぶことは
人と人が関わっていく、大切な土台作りになると思います。



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