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母親が なくなって 早7年

早いもので 母親が なくなって 7年が 過ぎようとしています 。
 亡くなったのは ちょうど 私が 商売に 失敗してしまった頃の ことです。

 私自身は昔から母親の苦労をずっと見ていたので
いつかは 障害者の息子であっても 
母親が今まで 苦労してきたぶんまで 
一生のうちで 一度ぐらい幸せに なってほしいと
 そう願っていました。

どこまでできるか 分からなかったけど 
母親を幸せにしたいとの思いで取り組んだ
商売だったのですが なかなか 
障害のある私にとっては 難しかったみたいです。
逆に 母親に迷惑をかけ ただけで 終わってしまいました。
 
それだけでなく 親戚や兄弟 また 
世間に向けての 信用までも 無くすような 状況にまで なってしまって
 最後の最後まで母親の命がとだえるまで
何一つ 恩返しができないまま
 終わらせてしまった自分自身を恥じるばかりです 。

 本当に 母親にごめんと言われないままに亡くしてしまったことに
 心苦しく申し訳ない 気持ちばかりがこみ上げてきます。 

本当に 良かれと思ったことが このような結果になり、
親不孝者だと 思う ばかりです。

 母親は 本当に 苦労をするために 生まれてきたような人生でした 。 

母親は兄弟が多く 一番上だった ために 

淡路 の 家から 神戸 の ほうに 中学卒業と同時に
 家族のために 家を出て働きに出されました。

 母親の両親は 北海道の 日高から 淡路に 
開拓のため 出てきていたそうで 農業 を行うため 苦しかったそうです。

 本当に 母親は 苦労ばかりの 人生を 歩んできたようでした。 
花隈で 芸者から はじまり 父親と 知り合ってからも 
波乱万丈の 日々が 続き 
本当に何のために 母親は 生まれてきたのか
 苦労するために 生まれてきたようでした。 

特に障害の体をもつ私が生まれてからは私のために
手を取られ自分の時間など 無いような毎日 だったし 
本当に 94年間 自分の身を 削りながらの人生だったんだろうなと
 母親のことを考える たびに 申し訳ない気持ちで いっぱいでした。 

そんな 生活の中で なんとか 母親に対して
私でも 役に立ちたいとの気持ちから 
自分で商売を やるんだとの 思いで
福祉関連の会社を立ち上げ20年余り続けていました。

しかし、結果的に失敗に終わり
挙句の果てに 兄弟 親戚 などに
顔向けができない ような 状況になって
母親が亡くなった時、そのことを 謝ることすらできないままに
見送らざるを得なかったことに
悔やんでも 悔やんでも
どうしようもない 気持ちでいっぱいなのです。

本当に今、ただただ心の中で謝るばかりです。

 本当に ごめんなさい。

 親孝行ができなかった私を 許してください。


読んでくださりありがとうございます。
感謝申し上げます。             ぐらべるあっちゃん


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