3.11と銃乱射事件をダブル回避した話

 初めまして、R子と申します。婚約破棄芸人と自称しながら上記タイトルのような全然関係ない内容を書くことが、初めてのnoteの記事として適切なのかは正直分からないです。

私がnoteを始めようと思ったきっかけは、本を読んでいて「6ヶ月後に死ぬとしたら、何をする?」という質問を目にしたから。3、4人分の濃い人生を生き切ったと既に感じているアラサー女子としては、特にやりたいことは思いつかなったのですが、「自分の人生の軌跡をどこかに残しておきたい」とは思いました。
あと100年弱は生きるつもりですが、偶然これを目にしたあなたに楽しんでもらえたら嬉しいと思い筆を進めます。エンタメだと思って、どうぞお付き合いください。

3月11日15時の航空券

 忘れもしない、2011年3月。日本人なら、あの瞬間、どこで何をしていたかという話題について、一度は誰かと話し込んだことがあると思います。私はあの頃、大学生でした。
春休みに差し掛かり、授業が始まる前に旅行でも行きたいな〜と思っていた私は、仲の良い友人と話していました。高校を卒業してからアメリカに留学していた彼女は、

「私もこっちで寂しいからさ、アメリカ遊びにおいでよ!」

そう言ってくれました。
初めてのアメリカ、ちょっと緊張するけど、せっかくの春休み。勇気を出して行ってみることに。彼女と話しながら日程を合わせ、その場で航空券を買いました。
3月11日15時に発つアメリカ行きのフライトでした。

急遽、日程変更

 どうせ行くなら色々やりたいので、私は早速好きなバンドのライブがないか検索しました。その頃は音楽大好きキッズだったので、家族旅行の行き先さえ、好きなバンドの公演に合わせてそれとなく誘導し、遠征していたくらい。こんなチャンス逃せません。
無事(?)当時好きだったバンドの公演を彼女の街で見つけた私は、バンドのメンバーにメッセージを送りました。そう、その頃バンドの追っかけだった私は、バンドメンバーと個人的に仲良くなり、ゲストリストに載せてもらうことが至福の喜びでした。

「3月にアメリカに行くんだけど、ライブ見に行きたい!ゲスト入れてくれない?」

「いいよ、3月10日の公演のゲスト入れてあげる」

やったー!と思ってキャッキャ喜んだのも束の間、(私のフライト3月11日じゃん・・・・)と気づいて落胆。渋々1万円の変更手数料を払って3月10日発の便に航空券を変更しました。

出国、そしてバンドマンの裏切り

 時差の関係で、日本を出てもその日の早い時間にアメリカには到着します。着いたらすぐライブに行ける!とワクワクしながら、3月10日に日本を出国しました。
長いフライトを終えて空港に着き、友人たちと合流してすぐに、バンドメンバーにメッセージを送ります。

「アメリカ到着したよ。今夜のライブ楽しみ、ゲスト入れてくれてありがとう!」

「あ、そのことなんだけど、ソールドアウトしてるからチケット買えなかった別の友達を入れることになっちゃった。ごめんね!」

ガーーーーーーーーーン
え、え、私、このライブのために変更手数料払って日付変更してはるばる極東の地から飛んで来たんだけど・・・・・・

まさかの裏切り(?)で、急に旅行の一番の目的を失った私。しかもソールドアウトしてるから、チケットは買いたくても手に入らない。まさに八方塞がり・・・
友人たちに慰められながら、スーパーで買い物をしてみんなで夕飯を作ることにしました。

日本沈没!?

 ショックを和らげようと、夜に友人たちと音楽をかけてノリノリで踊りながらご飯を作っていると、一人の友人がパソコンを見ながら言いました。

「なんか、日本で地震があったみたいよ」

いつものことでしょ、と笑いながら、シチューをかき回す私。すると心配してNHKのニュースをつけた友人が小さな悲鳴を上げました。

「とんでもないことになってるみたい」

その瞬間、3人でパソコンの画面に釘付けになりました。酷い揺れの映像、ふざけたTwitterのフィードが一瞬にして恐怖の悲鳴に変わった境目、信じたくない被害の言葉が目に入ってきました。
急いでそれぞれ家族に国際電話をかけるも、全く繋がらない。真っ青になってお互いの顔を見合わせました。

それからはお葬式モードで夕飯を食べながら、ひたすら家族に電話をかけ続けました。一向に繋がらないどころか、ニュースは恐ろしい内容が増えていくばかり。もう踊ってはいられませんでした。

一夜明け、銃乱射事件を知る

明け方にやっとそれぞれの家族と連絡がとれ、みんな無事だったことがわかりホッとして、3人で被さりあって死んだように眠りました。そして携帯に届いた一通のメッセージ。

「昨日、来なくてよかったよ。ライブ会場で銃乱射事件があって、亡くなった人もいたから、全員事情聴取で今やっと帰れた」

見た瞬間に背筋が凍りました。ライブのために日程を変えて大地震を回避し、ライブがソールドアウトしていたお陰で銃乱射事件を回避した・・・・?
神様か何かが仕掛けたとしか思えずに、感謝と恐怖と畏敬の念が入り混じった複雑な気持ちになりました。

日本は終わった

 その後、アメリカのニュースでは爆発や津波や原発の映像ばかりが流れ、「日本は終わった」という報道が連日のようにありました。きっと日本以上に偏った報道がされていたと思います。ドラマチックな部分ばかりを拾ってきて、日本が沈没したかのような映像ばかり見せられ、気が滅入りそうでした。東京にいた家族は原発のニュースを見た途端に九州に家を借りて、家を置いて全員引っ越してしまいました。「日本はもうダメかもしれない。せっかく入った大学だけど諦めて、そのままアメリカの大学に転入する手続きをしなさい。もしどうしても帰ってくるなら西へ」とか言われた日には、大学生ながら人生の儚さと諸行無常を思い知りました。

道を歩けばアメリカ人に、

「あなた日本人でしょ?本当に御愁傷様」
「できることがあったらなんでも言って」

などと声をかけてもらったり、ハグをしてくれたり、人の優しさにも触れました。まあ、私はここにいるから被害を受けていないんだけど・・・・

1ヶ月アメリカ滞在の後、帰国

 春休みいっぱい帰国を伸ばしましたが、自分の大学が授業を開講するという知らせを受けて、結局は帰国することにしました。今から思うと、その経験から、その後何度も行くことになる、アメリカという国を好きになった気がします。後から、東北に住む生みの親が犠牲になったことを知りました。これが私の3.11の経験です。皆さんはどのような関東大震災の記憶がありますか。

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