見出し画像

遺影・・・叔母ちゃんの終活

2018-02-21
「ゆうちゃん、よう来ておっけたな~、ありがと」いつもそう言って迎えてくれました。

2/14、記録的な大雪、叔母が除雪中の事故で亡くなりました。
福井県では大雪の被害者は12人に…。
88歳でした。
働きものの現役のお百姓さん、田んぼが好きで好きで、自他ともに認めた草取り名人。腰も曲がらず、髪も染めずに黒々として「何でも食べるよ~美味しいんにゃ~」と笑う明るい可愛い人でした。

今でも信じられません。100歳まで生きると本人が言っていたし、そうだと皆んなが思っていました。

おばちゃんの終活は、誰にお手伝いをお願いするかを書き残すこと。
この雪があるから、一人では生きてはいけないからこその村コミュニティ
葬式の手伝いとして、○○さんに頼んでほしい。4軒の隣組の名前と実家を書き残していました。

これまでも、おばちゃんもお手伝いをしてきたのでしょう。さすがの連携に感動しました。古き良き日本人の姿が残っていました。

葬式は白山えんにてする事、遺影はこれを使うことと、封筒に入れて書いておいてあったのです。その写真が・・・、どう見ても、40代かな?
え~!おばちゃん、半分です!サバを読むのも大概です・・・。

50年来のご住職が思わず笑って、
「そうかぁ~、このころが、一番幸せな頃やったんにゃなぁ~」
 っておっしゃって、その時は、暖かな春のような空気に包まれました。

その写真の叔母ちゃんは桜の背景で恥ずかしそうに笑っていました。

母の時、孫たちが弱るだけ弱った、変わり果てた近日の写真では嫌だ。大好きだった元気なころの子供のころに見ていた祖母の姿がいいと言う。
20代の孫たちが子供のころなので10~20歳は、若い頃の写真を選びました。

そのとき、おばちゃん
「ね~さん、なんた若いんにゃ~!そうかぁ~」
 とニヤニヤしてましたよね。

やってくれましたね。その上を行きましたね。
いい写真です。みんなの心にどう残したいかやもんね。ふふふ・・・。

決して休むことのない農業者でした。働いていないと、じっとしていられない人でした。そのことがあだになってしまいました。

仕事から戻っても、雪かきをしないといけない息子のために出来るところをと思って雪かきをかいていたそうです。
そのように言うのをその日通りかかった村のご住職が聞いて下さっていました。
おばちゃん、やっぱり最期まで働いていたんだ・・・。
もう、ゆっくりしてね・・・。お願いだから。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?