見出し画像

マンダラエンディングノート~「私の終活編・ツナグこと」財産

遺していかないものは何ですか?

2017-11-09
何故、40代、50代の人がエンディングノートのワークショップに来てくださるのだろう・・・?
そう思っていました。
書けないことがまだまだ多いはずです。まだ、ほとんどは書けないでしょうと思うわけです。
そして、書けないということに気が付いていかれる。それがいいのです。答えはこれからの人生の中にありますから。
直面した時に、必要な時に見つかる・・・。そう思うわけです。
ゴールはこれからも変わる・・・と、ごめんなさい。長く生きているとそう思うわけです。
だから、どう生きるかという課題はあったほうがいい。マンダラエンデイングノートは「人生の地図を描く」ためのノートなんです。

さて、人は、その場に立って初めて見えることがあります。
私は50代に入ってすぐに母の介護と死に直面しました。
その時の思いは今となっては薄れてしまいましたが、2001年から書いているWEB日記に残されています。

マンダラエンデイングノートでは財産について
Q:残していかないのは何ですか?
という質問をしています。
A:後悔の山とごみの山
そう答えています。

&&&&&&&&&&&&&

14年前、母が逝きました。
WEB日記に残されたその数日の記録や心のさまが甦ります。

&&&&&&&&&&&&&

2004年10月2日(土) 母の残したものの始末

一日中、部屋を片付けていました。実家を始末した時に、捨てきれなかった母の荷物を部屋に置いて、6畳間の半分に積み上げていました。

その中で約2年間暮らしていました。
母が生きているうちは、休日は介護や看病もあり、手が廻らずにそのままにしていました。
どれもが捨てきれずに持って帰って来たものばかり・・・。
それでも、整理していかねばなりません。
母の思いの残るものばかりの中で寝ているわけですから、いつまでも心がひかれるのかもしれません。
環境を変えて、行動パターンを変えてみようと思いたちました。

母のものを整理して収納しようとしたら、私のものを整理して不要なものを捨てないと入りきらない。
かなり思い切って捨てることにしました。
痩せて着られない服がほとんどなのですが・・・。
また元に戻るかな?とか考えると捨てられない。
値段と気に入ってる度合いで考えて捨てていきました。
ビニール袋10袋出しましたが、まだまだ整理しないとどうしようもありません。

いくら考えても、洋服タンス1本買わないと収納しきることは不可能ってことだけは今日の時点で解ってきて、思案してしまいます。
母の着物は、自分が着そうもないものは、従姉妹か誰かにもらっていただこう。
車椅子も友人のお母様に使ってもらおうとか、着物の反物は洋服にしていただけないかとか・・・。
思案ばかりでちっとも進みません。
ボチボチやることにしましょう。

着物や道具類が片付いたら、書籍や、ノート類の整理。
そちらが本当にやりたい部分です。
でも、この調子では年内に片付きそうもありません。

ものって、持ち主がいる間はいいけれど・・・。
これは、自分の持ち物の整理も兼ねてやっていくしかありません。
ものは必要最小限でいいとつくづく思います。

母が残した着物、刺し子は母が刺したものなどもあって、捨てられないものばかりです。
ものを片ける。遺品を片付ける。
すべてに思い出と、故人の思いがあります。
始末に困る。捨てないと次に行けない・・・。

さて、私、立つ鳥後を濁さずと行きますでしょうか!?
今は、絶対ダメです!
今は死ねません!
めっちゃくちゃ~にひっくり返っていますから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?