見出し画像

音楽の危機と新たな可能性

〈岡田暁生 2020年『音楽の危機《第九が歌えなくなった日》』中公新書〉

2020年1月、新型コロナウイルスが世界的に流行し始める。その影響で日本国内では「三密」と「不要不急」とみなされる業種に対して休業要請が出された。パチンコ店や映画館などの他に、ライブハウスや劇場などの「音楽」の分野もその一つとされ、演奏会やライブイベントが軒並み中止となった。これと同時に感染症対策として、「ソーシャルディスタンス」と呼ばれる、人との距離を2メートル空けましょうということが多く言われるようになったが、この、「距離をとる」ということが音楽の分野では難しい。音楽を聴く側の聴衆は座席を一席空けるなどすれば距離がとれる。しかし、演奏する側はどうか。ステージ上で奏者同士が2メートルの間隔を空けるとなると、音楽にとって最も重要な「呼吸を合わせる」、「お互いの音を聴くこと」が困難になる。また、平均して50名が演奏するオーケストラの編成では、2メートル空けて舞台上にセッティングすると全員舞台に乗り切らず、演奏が出来ないのである。
 このように、新型コロナウイルスの流行は音楽にとって相当な影響があったといえる。大袈裟化もしれないが、世の中から「音楽が消える」事態となった。


 しかし、プロの演奏家や音楽業界でもない限り、そのような「音楽が消えた」という実感が無いのではなかろうか。その理由として、現在はスマートフォンやテレビなどの機器を通じていつでもどこでも音楽を聴くことができるからである。さらに、コロナ禍になったことで無観客でのオンライン配信でのコンサートや、奏者や歌手が各自の自宅などで演奏した録音を編集で重ねた「テレワーク演奏」と呼ばれるものが普及した影響もあるように思う。
このような社会の動きによって、生の音楽よりもデジタルの媒体を介した音楽に触れることの方が多くなっていて、生の音楽の音楽が衰退しているのが現状であり、本書ではこれこそが「音楽の危機」そのものであるというと指摘されている。しかし、それと同時に本書では、この危機的状況を逆に「変化の契機」と捉えられると述べられている。音楽というのは遥か昔から、志を同じくする者だけが集う場という宗教共同体的な名残というのが今も残っており、音楽を聴くにしてもライブハウスやコンサートホールや劇場という、密閉された空間で多くの人が集まって同じ空気を共有することが、音楽を共有することと同義であると考えられている。その固定概念から脱却し、全く新しい「音楽の場」というものを考えていくべきであるという。
音楽は「どこで聴いても同じ」ではなく、「どこで聴くか」が重要である。つまり、聴く環境を変えてみることで見つかる、新たな可能性は必ずある、ということである。新しい芸術や文化が生まれ、現在の音楽の危機的状況を脱することが出来る、ということが本書では述べられている。

(執筆者:K.Y)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?