【徒然書き】くるり『東京』の歌詞が沁みた話

はじめに(注意的ななにか)

物を書くという気力が完全にゼロになってしまい、すごい久しぶりな今回のnote。
理由は単純で「書きたい」となったから書いてみるんだけれど、
正直書き始めのこの時点ではいいものになる気が全くしないので、駄文・駄作覚悟で読んで頂ければ幸いです。
正直な話をさらにするのであれば、主に僕のことをよく知っていらっしゃる方々(細々と配信もやっています)とか、あるいはタイトルに惹かれて来てくださった心の優しい神様みたいな読者の方で、僕のイメージを『元気の塊!』みたいな感じだと思って読んでいただいている方には、
もしかすると『えっ、暗っ……』となる内容になるかもしれないので、そちらもご承知おきの上、読んでいただけますとうれしいです。
あと、この文章は批評でもなんでもないただの思いを吐き出しているなにかです。
一体なぜこれを深夜2時から書いているのかはつっこまないでほしい。

注意書きはここまで。
以下が本文になります、最後までお付き合い下さい。


『東京』

くるりというバンドは京都のバンド。
そんな彼らのメジャー1st AL『さよならストレンジャー』の6曲目にあるのが『東京』である。
シンプルなタイトルだが、本当に素敵な名曲なので、聴いたことのない方は一度でいいから聴いてみていただきたい。
今回はこの曲の歌詞を自分に重ね合わせて色々考え込んだ結果のはけ口的なエントリだ。決して評論とか、レビューじゃない。
しいて言うならひとりごとである。

重ね合わせると言いつつ、僕自身は生まれも育ちも東京であり、冒頭『東京の街に出てきました』のフレーズからして自分の身の上には合わないんだけれど、この間色々落ち込んでしまって考え込んでいた時に、この曲を聴いて色々考え込んでしまった。
言葉で上手く言い表せないけれども、なんというか、街全体がせかせかしていて、どこかひんやりとしてる感じがして。
ひんやりとするのはコンクリートのグレーの色味のせいかもしれないが、 僕自身、住み慣れたところでもあるけれども、時折街を歩いていると疎外感を感じるような瞬間があったりもするのである。
例えば『自分がいなくなってもこの街は顔色ひとつ変えずに回っていくのだ』 みたいなそんな感じ。
そんなの別にどこの街だっておんなじなんだけれど、『東京』を聴いていて、この間初めてそういう感覚になったのだった。

僕という人間の話 

細かく身の上話をしたい、みたいな見出しタイトルだけれども、あくまで話は繋がっているので安心して欲しい。
前述した感覚の話、なんでそうなったか理由があって、それを語るために僕そのものの話をしなきゃいけないので、そんなタイトルになっている。

普段、車いすで生活しています


車いすで生活を送っているというのは、恐らくnoteで初めてご挨拶させていただいた時に述べていると思うし、初めて知った方でも僕の名前の隣に♿がついているのにお気づきの方もいらっしゃるだろう。
改めてご挨拶の、これよりさらに拙い文章を「じゃあ今から読んできてくれ」と言えるほど僕のハートは強くないので、改めてここでお見知りおきいただければ幸いである。

自己肯定感がゼロ。

さて、そもそもこのハンデ生まれつきなので、もう24年のお付き合いになろうとしている。
なので、いまさら何を言うかと思われる方が大多数かもしれないのだが、正直めちゃくちゃ厄介である。

大前提として、僕自身はハンデも使い方次第では強みになるという考えなので、発想の転換で『この身体だからこそできることをやりたい』と思って、サイトを立ち上げたりしたのだけど(これはまたいつの日かnoteでお話しましょうね)、
実生活、あるいはこの先の将来を考えた時に、本人的にはかなりしんどいと言うのが正直な意見である。
これがなければできたことも沢山あるだろうし、きっと違った人生だったろう。
まあ逆も然りだし、サイト立ち上げから続いている色んなものに関しては感謝してもしきれない。

ただ、ここ数年、やっぱり自分が人と違いハンデを持っているということが、
いくら自分の中で落とし込めていて、当たり前になっていたとしても、結局弱点だし、『個性的』ではあるとしても個性として誇ることは出来ないなと思うことが増えた。
どうあがいてもこのハンデは付きまとうのだから、それくらい割りきれと言うのもごもっともだけれど、なんというかずっと『普通にはなれない』ということ自体、強いコンプレックスだったりする。
ありがたいことに友達はそこそこいるが、このままずっとひとりかもしれない、と思うこともままある。
そうして街に繰り出してみて、ふとひとり車いすでぽつんといる、というものを客観的に見て悲しく、寂しくなったりもする時があるのだ。
この身体で良かったということも確かにあるし、街にいるのも、街に繰り出して車いすに乗る僕も、みんな同じ人間なはずなんだけれどね。
分かっているんだけどさ、そんなことは。

『東京』と僕

だからなんとなく、『東京』の歌詞に描かれる『君に電話したくなった』の一節からにじみ出る寂しさと、(おそらく大切な人が)遠くなっていってしまった、その感覚に自分を重ねてしまったのである。
沁みた。とにかく沁みた。
先日、友人と飲みに行った帰りのことであった。

僕がもし今ここからパッと消えたとしても、誰かは僕のことを覚えていてくれるだろうか。
誰かが「電話したくなった」と、言ってくれるような存在に、僕はなれるのだろうか。
パッと消えてしまった時に、「君は素敵だった」と誰かに思い出してもらえはするんだろうか。
歌詞の中で出てくる、(おそらく)東京に希望を持って出てきたであろう青年は、そんな寂しさをどうやって乗り越えていったんだろうか。

……東京はそろそろ朝の4時半である。
そういう人になりたいと願いながら、さすがに眠りにつこうと思う。

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