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【日記】豚骨ラーメンに紅しょうが

今日の昼は久しぶりに豚骨ラーメンを店で食べた。
途中でテーブル備え付けの紅しょうがを追加した。

そのときにふと、以前得た気付きについて思い出し、ネタとして書き記しておこうかなと思った。

福岡県在住のわたくしGrooki(グルーキ)、ラーメン大好きである。
特に福岡市中央区長浜の、いわゆる「長浜ラーメン」……とくに「元祖長浜屋」のラーメンは、僕のラーメン食い人生の原体験とも言えるくらい、小さな頃からことあるごとに食べてきた。

ある日、いつものように「元祖長浜屋」にて、店内に入るや「ベタ・生」(スープの油たっぷり、麺は生に近いくらい硬茹でで)とコールし、名物の相席テーブルの片隅に座って、約1分で提供されたラーメンをすすっていたときのこと。

僕は長浜ラーメンを食べる時、まず最初の1杯めは、テーブル備え付けのごま以外トッピングせずにそのままの味を楽しみ、替え玉をしてから、同じくテーブル備え付けの追いダレ、こしょう、紅しょうがを適宜追加して食べるのが常だった。

とくに紅しょうがについては、好きではあるものの、スープに混ぜ込んでせっかくのキレイなスープを濁らせてはいけないという思いから、ちょっとした口直しのためのものなのだと解釈して、丼に追加された替え玉をほぐす前に、備え付けの器からひとつまみ取って、単体で食べるくらいだった。

ラーメンの食べ方は、まずスープをひとくち、麺は硬めで……など、いわゆる「ツウ」と言われるような食べ方を、ひととおり調べ、知っているつもりだった。

ちなみに先述の「ベタ・生」は、「元祖長浜屋」では割と上級者の注文の仕方とされている。
さらに替え玉を「生(に近いほどの硬茹で)」でほしい時は「生玉なまたま」とコールする。硬めでほしい時は「硬い玉」。

スープをきれいに保つ。麺は硬めが至高。紅しょうがは混ぜるな危険。
それが正しい食べ方だと、ずっと思っていた。
※じっさい、別の有名店「長浜ナンバーワン」では、紅しょうがは「口直し」としている。


だがその日の僕はなぜか、相席になって、僕よりわずかに先に食べ始めていた、一人のじいさんに釘付けになった。

僕みたいなよそ行きの服装ではなく、ちょっと庭に出てきただけのようなラフな服で座っていたそのじいさんは、おそらく近所に住んでる人で、僕なんかよりよほど頻繁にこの店に通っているんじゃないかというくらい、「慣れている」雰囲気を醸し出していた。

そして彼は、目の前にラーメンが来るや、紅しょうがをガサッと、牛丼屋に来た大学生かよってくらい大胆な量を器に入れて、よく混ぜ込んでから麺と一緒に食べていた。

ふだんならそういうのを若い人がやってるのを見ると「格好の悪い食い方だなぁ……」などと思ったりするところだが、このときの僕は、雷に打たれたような衝撃を受けた。
まるでその、僕よりもはるかに経験値の高そうなじいさんから、

「若造。なん、しゃらくせえ食い方しよっとや」

と、雰囲気だけで言われた気がしたのだ。

……そのじいさんが本当に僕よりこの店に通っている常連客だという証拠は何もない。たまたまそのとき、雰囲気でそう見えただけだ。

けれど、その雰囲気は僕に「実はここのラーメンは、最初から紅しょうがをたっぷり混ぜ込んで食べるのがほんとうなのかもしれない」と、ふと思わせる力を持っていた。

そしてそういえば、僕の父親(僕を「元祖長浜屋」のラーメンにハメた張本人)も、そのじいさんと同じような食べ方をしていたのを、思い出した……。

そもそも、なぜ紅しょうがは長浜ラーメン……いや、いまや豚骨ラーメン全体的に、と言ってもいいかもしれない……のトッピングとして定着しているのか。

調べてみると、ラーメンに最初に紅しょうがや辛子高菜をトッピングとして提供し始めたのは、福岡市中央区高砂にある「のんきや」という、小さなラーメン屋さんだ、という情報があった。
「新横浜ラーメン博物館」の「ラーメントリビア」にも一時掲載されていたようだが、現在、なぜか同館サイトからは、その記事は削除されている。

※上記サイトには2023年9月30日現在、12個のトリビアが掲載されているが、それぞれのタイトルにカーソルを合わせると、それぞれにリンクされたURLの末尾が「1.html」〜「13.html」まであり、「11.html」だけがない。
下のブロガーさんの記事は、この「11.html」が、くだんの「のんきや」さんにまつわるトリビアだったことを示している。

トリビア内容の情報をさらに詰め、確実なものにするため、いったん公開保留にしているのかもしれないが、とりあえず「のんきや」さんが開業してからの昭和30年代後半には、すでに豚骨ラーメンに紅しょうがのトッピングはあったことは確実だろうと思う。
※下は2代目店主さんへのインタビュー記事。

ほか、Wikipediaの「博多ラーメン」の記事では、下のように書かれている。

かつて豚骨ラーメンに馴染みがなかった時代、豚は不衛生なイメージが強く毒消しの理由から紅しょうががトッピングされるようになった。

店のテーブルには白ゴマ・紅しょうが・辛子高菜などが置かれ、客が好みに合わせてトッピングする。これらは豚骨スープの癖を取り除く作用があるが、同時に豚骨自体の味を弱くするため、ラーメン店の中にはトッピングのサービスをしない所もある。

豚骨ラーメンが誕生した昭和20年代当時、豚のエサは現在のようなトウモロコシ等を主原料とした配合飼料ではなく、食品産業から出る廃棄物や家庭から出る残飯が多かった、その為、豚骨スープの「豚骨臭」も現在よりも非常に癖があった。その癖をマイルドに軽減させる為、白ごまやすりごまをラーメンにトッピングするようになった。現在の豚骨ラーメンは豚の飼料が配合飼料の為、随分マイルドになっている。

Wikipedia「博多ラーメン」の記事より(一部抜粋)

ただ、上の記事も、出典や参考文献が明示されておらず、情報としてはいまなお不確かなものに留まっているようだ。

……郷土史家でもグルメ歴史家でもない素人の僕が、1日かそこらのネット検索の範囲で調べた限りでは、こんなところだ。

ただ、先述のじいさん(おそらく70代)や僕の父親(60代後半)は、紅しょうがを大量にスープに混ぜ込んで食べる、というスタイルを、昔から続けている、ということは確かだ。とはいえそれも、この年代の人全員にあてはまるものではないかもしれない。

結局のところ、「豚骨ラーメンに紅しょうがを入れる理由、入れ始めた時期」については、現状で確実といえる情報は得られなかった。

しかしながら、ぶっちゃけた話、豚骨ラーメンと紅しょうがの歴史はこれ以上はどうでもいい。

この体験で僕が得たのは、

「なぜ僕は、「ツウ」などと呼ばれてるだけの、根拠のよくわからん価値観に固執していたのか」

ということだ。

最初の一口めにまずスープを、というのはまぁ分からなくはない。
ただそれは、「審査員」的な食べ方であって、「客」としての食べ方ではない。
これは「真に自分が美味しいと感じられる食べ方」とは、少し違うはずだ。
まぁ、スープの比較審査をしてこそ幸せになるっていうなら、それもまたいいんだけど。

麺が硬茹でなほど良しとする傾向も、「魚市場の人が手早く食べたいからと注文しはじめた」などと聞くことが多いが、それだとむしろ「美味しい食べ方」とはかけ離れた始まり方だよね。

麺の硬さについては、ラーメン店側からは下のような意見が出ている。


この体験をしてから僕は、「ツウ」という言葉をあまり信じなくなった。

昔はほかにも、北大路魯山人のエピソードにならって、納豆を400回混ぜて食ったりもしたけど、「これはこれでおいしいね」以上の感想はなかった。
いまだに納豆は、あまりかき混ぜないほうが、粒感がはっきりしていて臭いもクドくならないので、僕は好きだ。

結局「ツウ」というのは、他者が定めた基準なのだ。それを至上とする価値観に縛られると、自分の考え方や行動に制限をかけてしまう。

「マナー」と言われるほどに社会習慣に昇華された行動ならまだしも、ラーメンの麺の硬さとか、紅しょうがを入れるタイミングとか、他人の決めた基準に、無理にならう必要はないのだ。
あと、十分にデンプンがβ化されていない硬茹で(=生煮え)の麺は、お腹弱い人にはきついと思う。

その次の機会に「元祖長浜屋」に行った時、僕は「普通で」とコールして、ごく普通の仕上がりのラーメンを注文した。

約2分後、提供されたラーメンに紅しょうがを多めに混ぜ込んで、麺と一緒に一口すすった。

細いながらもちっとした麺、白濁しているわりにあっさりで旨味の強い豚骨スープを感じる口内に、紅しょうがの甘みと辛味も同時に広がり、ラーメン全体が、全く違う華やかな表情を見せてきた。

これはこれで、すごく美味かった。