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髭の対価

最近ハライチの岩井が書いたエッセイ本を買った。

僕は芸能人が本業の片手間に書いた本など買うタイプではないと思っていた。芸能人が書いた本というのは、まず前書きに「私の本業は物書きではないため自信はなく〜(中略)世間や出版社に促されるままに書いたまでです」といった内容の不必要なまでに謙った形式をとった尊大な序文が置かれがちである。芸能人の書いた本を読むのは恐らくこれが初めてなのに何故そんなことが分かるのかというと、本を出した芸能人は大抵そういうトークから入る番宣に出るからである。端的に言えば偏見だ。

言葉を綴る事に資格や下積みなど要らないはずなのに、金を取る文を書く時だけやたらと謙るのは単純に意味不明である。文芸を芸事と捉えているのだろうが、小説ならともかくエッセイなどは個人の独白に過ぎないのだから自由にやれば良い。金を払ってでも他人の独り言が聞きたいという奇特な者が自主的に金を落としているだけなのだから本業の者に気を遣う必要もない。何故なら奇特な人種は彼らの独白を覗き見るために支払った金を文芸の予算から支払ったりはしないからである。ではどの予算から出ているかというと、(これは各自治体の裁量で決まるので一意には定まらないのだが)大抵は緊急奇特費や衝動買い間接経費などから支払われる。いずれも決して温泉宿で缶詰にされた小説家の宿泊費にはなり得ない予算だ。新参として気を遣うなら田舎の面白スポットとかややスベってる変なガチャガチャとかヴィレッジヴァンガードとかに挨拶しておくべきだ。ヴィレヴァンには挨拶してそうだけど。

ここまで芸能人が書くものに絶望的偏見を持ちながら何故岩井は特別扱いなのか疑問に思うことだろう。僕は岩井のファンではないし、岩井が特別文章が上手いと思っているわけでもない。上手い文章を読みたくて本を買うわけではないが、経験の乏しい芸人よりは訓練された民間人の書く文章の方が面白いだろう。では何故岩井の本を買うのか。それは岩井に金を払いたかったからである。

僕はラジオが好きで単純作業の時は大抵ラジオを聴いている。最近radikoというアプリに課金するようになり、関東のラジオ番組も聴けるようになった。ハライチのターンというTBSのラジオ番組を聴き出したのは半年くらい前からだ。比較的短い番組だが岩井のフリートークのキレにハマり毎週欠かさず聴くようになった。

段々と僕は彼に金を払うべきではないかと考えるようになった。何かにハマると大抵こういう思考に至るのはオタクの生態そのものであるが、僕の無限にも思える単純作業の時間を楽しませてくれた礼を返さねばならないと考えるのは自然な心のはたらきではなかろうか。もうそれはファンだろうお前、という声が聞こえてくるがファンではない。

しかし、俺は岩井に金を払わないとダメだと思うと同時に、俺が一銭も払わなくてもこいつのメゾネットタイプの部屋の家賃は苦もなく払われ続けるだろうという確信もあった。相手が無名の芸人や同人作家ならまだしも、彼は売れている芸人であり猫を飼養する独身貴族である。金のない若者の突発的御布施費から巻き上げなくとも唸るほど金のある御仁だ。肝心のエッセイの内容もラジオの焼き直しだろうと予想がついており(Amazonのレビューにもそう書いてあった)、何のために金を払うのかというとこれは最早賽銭に近かった[1]。貧困な農民が大地を司る神に感謝し祈りと供物を捧げる、そうした感覚に近い。供物だの賽銭だのを捧げなくとも神はなんとでもやっていけるだろうし、大地の神の加護はサブスクではないので支払いを辞めても即刻サービスが停止されることはないだろうが、感謝の形を示すために賽銭を投げ入れ祈るのだ。ただ感謝を示すための課金、それが賽銭の真相と言える(本当は神社を始めとした神々の下請け企業を回すための運営費なわけだがそういう本当の話はどうでもいい、ここでは精神的な話をしている)。

大地の神である岩井に1200円を捧げた僕は清々しい気持ちだった。7年くらい前に当時気に入っていたAV女優のDVDを買ったときも同じ気持ちだったと思う。彼女も当時無名ではなくそこそこ売れてる単体女優だったと思うが、AV女優はスパンが短く、売れるとすぐ引退するので応援しようと思った頃には行方知れずという場合も多い。当時の僕もさして金があるわけではなかったが彼女には金をお支払いしたいと考え、秋葉原のソフマップでDVDを購入した。この時代に何故わざわざ店頭で買ったのかはよく分からない。DVDは3000円くらいしたので大地の神・岩井よりも美の神・エロースの方が位が高いことになってしまうがどうか屈辱に堪えてほしい。

ともあれ、僕は比較的以前から商品よりも個人に対して金を払いたいという欲求から商品を購入する傾向があったが、近年ではこうした層に向けてドンピシャなシステムが展開されている。そう、クラウドファンディングというやつだ。クラファンは基本的にプロジェクトに対して投資する形で金を払わせる形式をとっているが、実際のところ人物的魅力に対して集金しているも同然な一面がある。プロジェクトの説明に際してさして重要でないはずの身の上話が詳細に語られている場合が多いのはそのためである。クラファンは万一目標金額を達成できなかった場合でも投資者に資金を返金しなくてよいという但し書きを加えることができる。金を払う側もそれを承知の上で見知らぬ他人に金を払っているのだ。僕がやっていることも本質的には変わらないが、商品が介在しない以上、これは純粋な個人への投資と言える。クラファンは間で誰かに間引かれることなくダイレクトに個人に投資できる分、「金を払わせていただいた感」が半端ではない。金を払う理由は人それぞれだろうが、プロジェクトが完遂される保証が無い以上、クラファンの客はそいつに金を“あげたくて”払うのだ。若いとか顔が良いとか本質的でない理由もありえる。それでも投資したいと思わせて金を出させたなら誰にも文句はつけられまい(実は文句をつける人はそこそこいますが本当の話はどうでもいい、ここでは物理でいう理想気体的な話をしている)。

似たような話で、その昔優秀な科学者にはパトロンがいて唸るほど金のある富豪たちがじゃぶじゃぶ投資してくれていたと聞くが、何故奇特な人間達に率先して金を払おうと思うのだろうと不思議に思っていた。否、実のところ金を払う富豪達こそが奇特なのであり、科学者達は血筋が良いとか髭が長いとか話が上手いとか、そういう本業に関わりのない理由で彼らの投資モチベーションを刺激していたのだろう。どの時代にも個人に対して金を支払いたい衝動に駆られる人間は一定のボリュームだけ存在していて、彼らのモチベーションを刺激できればどんな形であれ援助は受けられた。流行りのクラファンもVCもエンジェル投資家も何も新しくなどない。昔からあるもののインターフェースを整えてアクセスしやすくしただけである[2]。

とにかくはったりだろうが本質でなかろうが、他者に金を払いたいと思わせるきっかけを作るのは並大抵のことではなく、それができるだけで凡庸な大衆から頭一つ抜けていると言っていい。いまの僕に金を集めるだけのカリスマや才能が宿っているとまでは思い上がっていないが、念のために髭は伸ばしといた方がいいかな。


[1] そういえば岩井の本にはラジオで話していない書下ろしもあったし、ラジオの焼き直しの話もそこそこ面白かった。麻倉憂のDVDほどには見直さないかもしれないけど死んだワニの本よりは買ってよかったと思う。

[2] ここまでドヤ顔で書いてきたけど大抵のものは全部そうなので、賢しらにモノを言いたいときにオススメ。

※あと本筋に全く関係ないけどフリー素材の本の画像ってなんかどれもめちゃくちゃ馬鹿っぽいな、びっくりしてしまった

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