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空の犬小屋(3/21)


犬小屋を捨ててしまえば帰る場所失くした風集う河川敷

軒先に犬小屋褪せてもいつまでも「犬を飼っている人の家」

さみどりの日々は降る降るとこしえに祠のように空の犬小屋


・空の犬小屋をお題に三つ作ってみた。犬、飼ったことないですが。短歌うまくなりた〜い。



・休みなのに平日と同じ時間に目が覚めてしまうとなんとなく悔しい。それで二度寝したら昼の一時だった。

・しかも、睡眠がトリガーになって時間が巻き戻り過去に戻って世界を救う系の夢が見れたのでうれしい。どうして世界が滅ぶのか、なにから救うつもりだったのかもう思い出せないけど、なんか山間の崖をひたすらに駆けていた気がする。


・読みました。おもしろかった。著者のフットワークの軽さと言語への愛の深さが交互に降ってくるような。

・ヨーロッパの方では第二言語としての英語ペラペラな若者が当たり前にいるけど、人口が少なく国が貧しく話者が少ない故に戦略的に英語を学ばざるを得ず、ひいては母語を捨てることにつながる、というのはなんとも悲しいことだなあ…

・ヨーロッパの国別音楽チャートとかでアメリカのポップソングが常に上位にあるのは、英語が通じるのとそもそもその国の音楽市場が大きくないというのがあるんじゃないか。話者が少ないということは当然ながらその国の言葉の音楽を聴く人も少なくなるということで、自然と市場は小さくなり、代わりに英語圏の大きな市場が幅を効かせることになるのかも。

・日本語もマイナー言語だけど、擁してる人口が多いので少なくとも日本語が話せる人はたぶん一億人はいるし、日本語だけでやっていける市場はルーマニア語と比べても十分ある。音楽チャートは大抵日本語を歌うアーティストが取るし。そういうのをガラパゴス的という声もあるけれど、単純に良い悪いとかの話じゃないんだな。


・著者のシオランの解釈がわたしと完全一致でうれしかった。シオランってルーマニア人なんだ。わたしは「告白と呪詛」しか読んでいないのだが、シオランのbotはフォローしているクチです。

・シオランを読むと謎に元気出るの、わかるな〜。わたしも疲れ果ててダークサイドに片足突っ込んでるときに読んだけど、シオランが本当に極端に暗くてなんにでも絶望してるから逆に笑っちゃうんだよな。シオランの発想は陰鬱で厭世的でウジウジしてるけど、それに対する態度や反応は妙にさっぱりしてて倦んでない。悪態をつき続けるという後ろ向きな行為は、その分、命という時間を長引かせているという意味で前向きな行為でもある。「Tシャツを変えるように絶望を取り替える」、わかりすぎるな〜。

・ちゃんとシオラン読もうと思って図書館で「絶望のきわみ」を借りてきた。今心身がわりかし健康なので今シオランを読むとどんな感想を持つんだろう、とちょっとどきどきしてる。

🙂

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